第44話 リリス

「……怪我は無いかい? リタ女王」


 舞い上がる砂埃から顔を庇いながら、ファメールが言った。ファメールの展開した魔法障壁に包まれたリタは「お陰様で」と、サラリと答えた。


「ファメール様こそ、額から血を流していらっしゃいます」


 手当をしようと手を伸ばしたリタの手からさっと逃れ、ファメールは「僕に触るな」と、吐き捨てる様に言った。


「あら、うちの護衛は皆死んでしまったようね。頼りないわ。まぁ、あれほどの酷い落盤では、生き残っている方が不思議なくらいでしょうけれど」


肩を竦めてその場に腰を下ろすと、リタはため息をついた。


「さっきの爆発、キミが仕込んだのかい?」

「ええ」


ニコリと微笑み、リタは里桜と同じブルージルコンの瞳を細めた。


「何が目的さ。僕に殺されないとでも思ったのかい? 随分な自信じゃないか」

「ファメール様は私を殺すどころか、死なないようにと守ってくださっているじゃありませんか。自分の腹心よりも優先させてまで」


 落盤の下敷きになり、息絶えているヴィベルにチラリと視線を向けて、リタはファメールを見つめた。


 ——そうさ、死んでもらっちゃ困るからね。

 と、ファメールは屈辱を味わいながらもそれを表情に出さないように微笑んだ。


「当然さ。スラーの女王の身に何かあったんじゃあ、我国の一大事だからね」

「そうですか? ファメール様は私に聞きたい事があるから生かしているだけでしょ?」


ツンと片眉を吊り上げて、ファメールはリタを見つめた。


「お察しの通り、ヴィベルは私に沢山の情報をくれました。お陰様でこうしてこの場に罠を仕掛ける事ができましたの」

「ああ、そう。死人に口なしとは言ったものだね。そうじゃないだろう? 外交の一環として会話していたうちの情報に過ぎないんじゃないのかい?」

「さあ? どうでしょうか」


リタは意味深に笑みを浮かべた。

 翻弄しようとしてもファメール相手には通じない。しかし、その狡猾さがリタには興味の的となったのだ。


「ラウディも絡んでいる。そうだね? 彼がこの場に居ないのはそのせいだろう?」


ラウディはアシェントリアの外交顧問だ。それだというのにこの場に居ないということが、ファメールはずっと引っ掛かっていた。里桜から父に似ていると聞いた時、リタとの繋がりがあるのだろうと認識した。


「あら。分かりましたか。ですが、ラウディは私とエルティナのパイプ役でしかありませんわ。本人は至って普通に外交顧問をしていたに過ぎません。私が彼の妻と瓜二つなので、贔屓にしていただいただけ。疑わないでやってくださいな」

「ああそう。別になんでもいいけどね」


関係がどうだとか、どうだっていい。関わっているか居ないかを知りたかっただけだ、と、ファメールはため息をつき、天井を見上げた。

 パラパラと砂と一緒に小さな石が落ちてきている。様子から見れば、ここはこれ以上崩れる事は無さそうだ。


「それにしても、キミは自分の身まで危険に晒してよくやるね」

「守ってくださると信じてましたから。それに、かわいいエルティナが今頃カインを人質にしていることでしょうし」

「方便だね。エルティナはキミの言う事なんか訊きはしないさ」

「それはどうかしら」


二人は微笑み、牽制しあった。


「かわいいリオは、怪我をしていないかしら。心配ね。ねぇ? ファメール様」

「キミはどうやら、リオの母親としての記憶があるようだね」


ふっとリタが笑った。


「気づきまして?」

「そりゃあ、ね。誰もキミの前で、彼女を『リオ』と呼んでいないはずさ」

「バレてしまいましたか」


悪びれも無く微笑むと、「実は、娘を返して貰いたくてきたのよ」と、肩を竦めた。


「返すだって? 寝言かい? キミは死んでいるはずだけれど」

「私には夫が生きておりますもの」

「キミを殺した殺人犯の夫かい?」

「いいえ。まさか」


リタは首を左右に振り、楽しそうに微笑んだ。


「夫は私を殺してませんわ。私は自殺したんですもの。邪魔されないように夫には睡眠薬を盛ってね。でも、バカね、あの人。相当な眠気だったはずなのに、無理に起きて駆けつけた挙句、ご丁寧に私に刺さった包丁を引き抜いて、そのまま眠ってしまうんですもの。あれでは彼が殺人を冒したと思われて当然でしょう」


ファメールは呆れたように顔を顰めた。


「……バカなの?」


 ——そのせいで里桜がどれほどに苦しんだと思っているのかこの親は。

 と、ファメールの心に怒りが湧いた。


「キミが死んだって、リオは悲しむんじゃないのかい? それともキミはリオを大事に思っていなかったとでも言うつもりかい? 今更返せだなんて、虫が良すぎるよ。

 彼女は荒んだ現実世界なんかよりこの世界に居た方がずっと幸せさ。親だからというだけで、その幸せを取り上げる権利なんか無いはずだよ。くだらない事を言う暇で、どうしてもっと愛してやらなかったのさ?」


 ——リオ、キミの母親は申し訳ないけれど最低だ。けれど、どうか安心して欲しい。僕はリタからキミを全力で守るよ。この手を汚してもね。


 ファメールの杖を握る手に僅かに力が入る。リタはそれを少し驚いた様に見つめていた。まさかファメールが里桜を庇うような発言をするとは思わなかったのだ。

 情報によれば、ファメールという男は冷酷で先読みし過ぎる程の知能を持つと聞いている。そんな彼にとっては、里桜は邪魔な存在でしか無いはずだ。それを淡々と話すどころか熱さえ感じる程に里桜を庇おうとする言葉を発するのは、どういうことか。


「……私はリオをちゃんと愛していたわ」

「じゃあどうしてそんなことをしたのさ?」

「さあて、ね。リオの手術代の為と言っても、貴方には分からないでしょ?」


 手術? と、ファメールは眉を寄せた。


「キミの行動がリオの為だとしても、リオはきっとちっとも嬉しくないだろうね。彼女はキミと違って優しい。人を思いやる気持ちのある人だ。その綺麗な心に深い傷を負わせ、そんな状態で生きることを余儀なくするのは、親として正しい教育だと言えるのかい? 初めて彼女と会った時、人を信用せず、怯えた様に謝ることしかできなかった。そうさせてしまったのはキミの責任じゃないか」


 ファメールの言葉にリタは僅かに唇を震わせた。感情を悟られないように無表情にしていながらも、ファメールが里桜を大事に思い、深い愛情を向けてくれている事に心から感謝した。


 ——ああ、里桜は人に愛される子に育ってくれたのね。


「後悔しているわ。私も疲れていたのよ。人間は心が弱いから、逃げたくなってしまったのね。結果的に辛いことばかりリオに押し付けてしまったわ」

「わかってるなら、これ以上リオに関わるのは止してくれないかな。もう彼女を傷つけるな」


 ファメールは込み上げる怒りの感情を抑え込む事ができず、自分の熱を発散させるかの如くリタを責め立てた。


「彼女がたった独りでどれ程の闇を背負いながら耐えてきたか、キミには理解できないだろう! 一見平和に見える世界ほど混沌は渦巻き人は人を敵視する。誰が悪いでもない暗雲の中でもがき苦しんで、向けようのない怒りを、彼女はただ只管押し込めて、孤独に悲しみ、けれどそれすら見せないように他人に気遣ってずっと己を押し殺して生きてきた! キミは、側にいながら何もできなかったんじゃないのか!? それなのに、なぜ追い討ちをかけようとするんだ!」


「貴方にリオの何が分かるのかしら」


「キミは僕以上にリオを知らないじゃないか。キミの様な母親なんか要らない。迷惑だよ。関わらないでくれ。僕はキミが大嫌いだ」


リタは首を振り、「そうはいかないわ」と、ファメールを見つめた。


「貴方が何と言おうと私は親ですもの。リオを現実世界に戻さないといけないわ」


リタは真っ赤に塗られた唇を横に引き、ニヤリと笑みを浮かべた。


「へぇ? どうやってさ? 少なくともキミは自力でここから出る事すらできないはずだけれど?」

「幸いな事に、私がこの世界に来た時に現実世界のお守りを持ってくる事ができたのよ」


ファメールは片眉を吊り上げてリタを見つめた。


「私は、医者なの。リオの手術をする為に必要だったものを少しだけ、お守り代わりにペンダントに入れて持っていたの」

「何が言いたいのさ?」

「言ったでしょ? エルティナが動いてくれているって。まあ、この世界の人たちは知らないわよね、臍帯血さいたいけつなんて」


 ——何を言っているんだ……? 

 と、ファメールが眉を寄せたが、リタは更に続けた。


「でも、失敗だったわ。リオと貴方を閉じ込めるつもりだったのに。あの騎士団の団長とリオになってしまうなんてね」

「僕とリオを閉じ込めてどうするつもりだったのさ? 興味深いじゃないか」

「貴方はリオを邪魔に思っていると踏んだのだけれど」


確かに以前は……と、思いながら「まさか。彼女は僕のかわいい雑用係さ」と、ファメールは肩を竦めた。

 ——なるほど、誰がリタに情報を与えているか何となくは分かった。恐らくアルカが庭師に雇ったシェザールだ。だから情報が曖昧なんだ。

 我ながら熱っぽく語り過ぎた。冷静さを欠いて僕らしくないじゃないかと、ファメールは瞳を閉じ、深呼吸をした後にリタを見つめた。


「僕にリオを殺させようとしたのかい?」

「ええ。リオにはカインの刻印があるのでしょ? 落盤の時、貴方はリオを見殺しにすると思ったのだけれど、計算が違ったわ」

「カインの刻印を利用して僕を真っ先に殺す算段だったというわけか」


リタはニッコリと微笑んだ。


「ムアンドゥルガで一番やっかいなのはファメール様ですもの」


 確かに、以前の自分であれば、落盤という咄嗟の状況下で自分の身を危険に晒してまで里桜を守ろうとはしなかっただろう。しかも、一瞬でも『ここで彼女が死んでくれれば助かる』くらい考え、それがカインの刻印が発動するきっかけになったかもしれない。


「なるほどね。僕の殺意があれば、カインの刻印が発動してリオ自身は守られる。死ぬのは僕と眷属だけだ」

「そういうこと。素敵な考えでしょ?」

「まあね。で? 失敗した上に全部しゃべってくれちゃって、僕は今からキミを殺そうと思うのだけれど」


ファメールはニコリと笑みをリタに向けた。


「リオにとっても僕にとっても邪魔だからね。キミは彼女を傷つける存在だ。彼女が傷つけば、アルカもレアンも黙ってはいないだろう。妙な事になる前に、不安の芽は摘むのが僕のやり方さ」


 リタは頷いた。そして、感謝の気持ちでファメールを見つめた。願わくば、現実世界で彼と里桜が出会ってくれればいい。彼ならば、里桜を安心して任せる事ができる、と。


 リタのその表情にファメールは怪訝に思い、眉を寄せた。


 ——なんだ? この愁いを帯びたリタの顔は。他に何を考えている?

 ゾワゾワと嫌な予感が背後から忍び寄る様な感覚を味わい、睨みつける様に金色の瞳を向けた。


ドクン!! と、ファメールの体内で何かが大きく鼓動し、凄まじい頭痛が襲い掛かった。

 ——どういう事だ。リタは魔術を使える様子も無いというのに、一体……。

 と考えながらフラリとよろめき、ファメールは両膝を地面についた。


「さあ、種明かしは済んだことだし、そろそろリオを助けてくれないかしら」

「……助ける?」

「ええ。魔族の王アルカインは、アダムに身体を明け渡したわ。そうなれば、今頃きっと、あのヴァンパアは暴走の兆候が見られているはず。人間の処女であるリオは、彼の餌食になっているでしょうね」


 そう言いながらブルージルコンの瞳を輝かせて、彼女はすっと手を組んで膝の上で頬杖をついた。キラリと指に輝く指輪を見て、ファメールはヒヤリと悪寒が走った。


「レアン!!」


 思わずそう叫んで立ち上がったファメールは、落盤で塞がれた坑道を睨みつけるように見つめた。


 ——リタの指には、ファメールが里桜に贈った守りの指輪がはめられていたのだ。


 里桜は今無防備だ。そんな状態でレアンと二人きりはまずいと、ファメールは落盤を破壊すべく、頭が割れんばかりの激しい頭痛を押し切って詠唱をした。


 ——何故だ。指輪には外れないように魔術を施していたはずだ。里桜の手を握った時に気づくべきだった、僕の失態じゃないか!


 ファメールのその様子を見つめながら、リタは祈った。


 ——里桜、どうか幸せに。私は母として貴方を幸せにすることができなかった。それどころか不幸にすらしてしまった。だけれど、どうか、この先の未来が貴方にとって幸せな世界になる様に、そこへ行く為の道筋を、神が……いいえ、皆が照らしてくれるだろうから。


 里桜、貴方は愛し、愛される子だから。

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