第20話 夢現逃花城 -ムアンドゥルガ城ー

 たった一人での朝食を終え、里桜はだだっ広い食堂を後にした。

 聞くとアルカもファメールも、朝食どころか食堂で食事を摂る事が滅多にないのだそうだ。

 アルカからは城の中を自由に見て歩いて良いと言われているし、少し探検でもしようと、里桜は長い廊下を歩いた。

 正門のエントランスに向かうと使用人達がせっせと掃除に精を出している姿が見えた。邪魔をしたら悪いと思い中庭へと出ると、咲き乱れる花の香りが里桜を包み込んだので、肺一杯に空気を吸い込んだ。


 パチリ。と、枝を切るハサミの音が聞こえ、見ると、真っ白な髪をし、眼鏡をかけた耳の長い青年がせっせと庭の手入れをしている姿が見えた。彼は里桜に気づきニコリと微笑んで会釈をしたので、里桜も「おはようございます」と頭を下げた。


「アルカイン陛下のお客人の方ですね。お噂は訊いております。私はシェザール。庭師です」

「里桜です。ここのお手入れ広いから大変そう」


シェザールは頷くと、パッと掌を空へと向けた。パラパラと雨粒が零れて花々を濡らす。


「多少魔術の心得がありますから。さほど難儀でもありません。花はお好きですか?」

「好き……だけれど。私、そんなに詳しくは無いの。それって好きとは言えないのかな」


 恥ずかしそうに俯く里桜にシェザールは微笑むと、再びパッと掌を空へと向けた。舞い落ちる雨粒がクリスタルの様に光を反射し、虹を描いた。


「綺麗な魔法だね」

「リオ様もお綺麗です。一輪の花の様に」


 ――アルカとはまた違ったキザ男タイプだ。

 と、里桜は赤面しながら思った。が、庭の手入れをするシェザールもまた、その真っ白な髪から白い薔薇の様だと思ってしまった里桜は、自分も相当だなとため息をついた。


「おー! リオ。ここにいたのかー。あれ? なんだ、今日は女の子の服じゃないんだな」


 アルカが意気揚々と庭へと入ってくると「よ!シェザール」と、手を上げて挨拶した。シェザールは恭しく頭を垂れて「おはようございます。アルカイン国王陛下」と丁寧に挨拶を返した。


。口説かないでくれる?」

「おや、今口説いている最中ですので邪魔をしないで頂きたいものですね」


』!? と、里桜が驚いてアルカを見たが、シェザールの答えにも困惑した。


「お前、手あたり次第だなぁ!」

「陛下こそ」

「オレはいいの!」

「陛下が過ぎるから城の使用人に女性が一人も居なくなったのですから、リオ様を私が口説く権利くらい下さい」

「えー!? なんか、無茶苦茶じゃね!?」

「メイドのリーナ、シェリルにミレア。ソフィアにクリスティーヌ、皆可愛がっていたというのに……」

「あ? あー、うん。オレも可愛がってたけど」

「手あたり次第手を出すの止めて頂きたいですね!」

「お……お前もな!?」


 ……なんだか、関わらない方が良さそうだ、と、里桜はそっと中庭から屋内へと戻ろうとすると、それに気づいたアルカがパッと里桜の手を取った。


「リオ、昨日できなかったからさぁ、城の案内するぜ。シェザールみたいなのに絡まれると危険だしな!」


 アルカも相当危険だよ! と里桜は思ったが、一人でうろついて迷子になるよりはアルカと居た方が良いだろうと了承した。


 ムアンドゥルガの城は地下室も多く、かなりの広さだった。地下室の一部は牢獄にもなっていたが、今は誰も入っていないのだとか。研究室も地下にあるが、そこにファメールが籠る時はひと月以上出てこないのだそうで、普段は星見の塔にある研究室か、執務室に居るらしい。


 城の一階にある大広間では以前はパーティー等も開催していたが、今は全く使っていないとのことだ。謁見の間にしても、アルカがほとんど不在であることからほとんど使う事が無く、里桜が朝食を摂った食堂も普段は誰も使わないのだと言う。


「使ってないところだらけ。勿体ないね」

「まあな。こんな広い城なんか要らないんだよ」


 そう言ったアルカは少し寂しげで里桜は不思議に思ったが、すぐにニッといつもの愛嬌のある笑みを里桜に向けて「次はこっちだ」と手を引いた。


 謁見の間の奥にある巨大な扉は豪華な装飾が施されており、衛兵が両脇に控えていた。


「ここは?」

「王室。オレの部屋」

「……え」


 それって、女性をよく連れ込んでいたっていう部屋なのかな? なんかちょっとヤダなぁと苦笑いを浮かべる里桜の手を引き、アルカは装飾の施された扉を押し開けた。

 王室内で真っ先に目に入ったのは、立派な鞘に収まった剣だった。その背後の壁はくりぬかれ、アーチの様に象られて薄いカーテンが掛かっており、奥の部屋が薄っすらと伺える。


 立派な剣の横を通って王室内の奥へと入ると、豪華な家具やベッドと大きな窓があり、窓の外には広いテラスが広がっていた。

 アルカは窓を開けてテラスへと出て、広大な砂漠の風景には目もくれず、城の左右の壁に備え付けられている階段を里桜をエスコートして上った。


 階段を上った先は城の正面側へと続くテラスとなっていて、煌びやかな王都が見渡せた。遠くに広がる深緑の森。色とりどりの生地を屋根にした露店。石造りの家々は綺麗に整地されて立ち並び、白い石畳が王城を中心に放射状に延びている。

 広場には噴水が備わっていて、とても砂漠の街とは思えない。その光景に里桜は感嘆の声を漏らし、テラスの縁から身を乗り出して眺めた。


「ムアンドゥルガの王都って、本当に綺麗!」


 そんな里桜の姿を眩しそうに見つめ、アルカも里桜の視線を追ってムアンドゥルガの王都を眺めた。その表情はどこか寂し気で、里桜はそんなアルカの顔を見て小首を傾げた。


「アルカ、どうかしたの?」

「ん? 何が?」

「なんだか、ちょっと寂しそうな顔」


里桜の指摘にドキリとして、アルカはいつもの愛嬌のある笑みを浮かべた。


「えー!? そお? いや、ホラ。愁いを帯びた表情の色男とか、リオにウケるかなーって思って! どお? こう、色っぽくてクラクラ来た!?」

「あー、はいはい。かっこいいかっこいい」


棒読みで里桜が言うと、アルカは「えー!?」と、笑いながら頭を掻いた。


「おっかしいなー。『アルカ素敵! かっこいいっ! ちゅっ!』ってしてくれていいんだけど」

「しない」


 さくっと拒否すると、里桜は騎士団の稽古場を見つめた。整列した騎士達が稽古をする様子が建物の影から僅かに見えた。


「レアン、もう来てるのかな」

「あいつは朝早いからなあ。来てると思うぜ? 会いに行ってやったら大喜びするんじゃねーの?」

「……そうかな」

「ああ! レアンの奴、いつもにも増してはりきって稽古するんじゃねーか? リオは相当気に入られてるもんなぁ」


でも、邸宅には居ちゃダメって、やっぱり理由がわからないよ。レアン……。


 ため息をつく里桜を見つめ、アルカは里桜の頭を優しく撫ぜた。


「暑くない?」

「うん。平気。ムアンドゥルガって砂漠が近いのに暑くないなんて不思議」


里桜の言葉にアルカは微笑んだ。


「ファメールの魔法障壁のお陰さ。王城は更にエアコン機能付きってすげーよな」

「そうだね」


 ふっと笑って同意した後、里桜は違和感を覚えた。

 ――あれ? 今、アルカは『エアコン』と言わなかった? この世界にエアコンなんか無いだろうし、どうしてアルカはその言葉を知っているのかな。


「よし。次、行こうぜ!」と、手を差し伸べるアルカを不思議そうに見つめたが、聞き間違いだったのかもしれないと、里桜は差し出された手を取った。


 アルカはちょっとした段差等でも里桜を気遣い、エスコートする。すぐに手や肩に触れるし、女性の扱いが慣れている。日本人の男性にはなかなか居ないタイプだなぁと里桜は思った。

 王室内へと戻ると使用人が数人で王室の掃除を始めていた。そういった仕事も全て男性が行っているという事に若干の違和感を感じる辺り、里桜の居る日本でも男尊女卑の考え方が残っているのだろうか。とはいえ、力仕事は肉体的にどうしても男性の仕事となるわけだが。


「めずらしいですね、アルカイン国王陛下が城にいらっしゃるとは」


掃除をする手を止めて冷やかす様に使用人の一人が声を掛けた。


「昨日は珍しくベッドでお休みになったんですね」


もう一人の使用人も加わり、アルカは苦笑いを浮かべた。


「うるせーな。別にいいだろ?」

「一体いつもどこで寝てるんですか?」

「そうそう、どこへ出かけてるんです? 王都で見かけるわけでもなし。他に別荘があって女性を沢山連れ込んでるって噂ですよ?」

「ど、どこだっていいだろ!? り、リオ、他行こうぜ?」


アルカは慌てた様に里桜の手を掴み、急ぎ足で王室から出て行こうとした。


「今度はその子を手籠めにするんですかー? ほんと、好きですよね」

「彼女、気を付けた方が良いですよー! アルカイン国王陛下は女性と見れば手あたり次第ですから!」

「んなっ! 余計な事言う……」


ガシャン!!


と、凄まじい音を立てて王室の扉の前に飾ってあった剣が倒れた。使用人達の揶揄い様に慌てて振り返った拍子に、アルカの肩が触れたのだ。


「ありゃ。しまった」

「慌てる辺り、図星だったんですか?」

「うっせぇったらー! 余計なコト言うなってーのっ!」


 言い合いを続けるアルカと使用人に、里桜はやれやれと苦笑いを浮かべて剣を拾い上げたが、その異様なほどの軽さにイミテーションか何かなのだろうかと思い、僅かに鞘から剣を引き抜いてみた。

 青白く煌めく刃が見えたので慌てて鞘へと納め、アルカへと手渡そうとしたとき、その一連の行動をアルカが瞳を見開き、驚いた顔つきで見つめていた。


「あ。ごめんなさい。触っちゃダメだったりした!?」


 首を左右に振り、アルカは里桜から剣を受け取らずそのままじっと剣を見つめたまま動かなくなってしまったので、里桜はまずいことをしてしまったと不安になった。


「アルカ、ごめんなさい。大切なものだったのに、勝手に」

「いや、違うんだ。そうじゃなくて」


 二人の様子を使用人達が驚いた様に見つめていて「ファメール様に報告を」と、漏れ聞こえた。


 里桜は増々不安になった。ここからも追い出されてしまったら自分はどこへ行けばいいのか。アルカもまた、レアンの様に自分を避けるのだろうかと唇を噛み、浮かぶ涙を必死に堪えた。


「追い出さないで。お願い……」

「え!? いや、まさか!! 違うって!」


泣きそうになる里桜にハッとして、アルカは慌てて里桜の頭を撫でた。


「違うんだ。追い出すとかそういうことはしないし、何もリオは失敗なんかしてないぜ? そういうことじゃないんだ」


 使用人達が慌てた様にパタパタと王室から出て行き、アルカと里桜の二人きりとなった。

 里桜は持っていた剣をどうすべきか分からずに戸惑っていると、アルカが優しく、けれど、苦しそうに微笑んだ。


「悪い、リオ。その剣。そこへ戻しておいてくれねーか?」

「う……うん」


 剣を立てていた飾りへと倒さない様に戻すと、アルカは「ありがとな」と、再び優しく里桜の頭を撫でた。


「ごめんな? なんか、驚かせちまってさ! よし、次の所に行こうぜ!」


 ニッと愛嬌のある笑みを向け、くるりと扉へと向かおうとすると、扉の前に片眉を吊り上げて両腕を組んだファメールの姿が有り、アルカは「わっ!」っと叫んだ。


「『わっ!』じゃないよ。変な顔」

「変な顔って言うなよ!!」


ツンと鼻先を立てると、ファメールはアルカと里桜を押し分けて背後にあった剣の様子を見た。


「なるほど。報告は間違っちゃいないようだね。リオが異世界から来たと聞いた時嫌な予感がしていたんだ。リオ、もう一度その剣を引き抜いてみてくれるかい?」

「ファメール!」

「アルカは黙って」


 トン、と軽くアルカを突き飛ばし、ファメールは里桜を見つめた。戸惑う里桜の手をぐいと引くと無理やり剣の柄に触れさせた。

 否応なしに剣を僅かに引き抜かせると、里桜は怯えて悲鳴を上げた。


「離して! いやだっ!」

「おい、ファメール、乱暴は止せって!」

「……なんてことだ」


里桜の手を離しファメールは呟く様に言った。


「一体、何? 私、どうかしたの?」


 怯える里桜に声を掛けようとしたアルカを遮って、ファメールは素早く腰に吊ってあるレイピアを引き抜いた。

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