第30話 葛藤
「ねえファメールさん。最近またアルカの姿を見かけない気がするけれど」
ある日里桜は思い切ってファメールに聞いてみた。ファメールはふっと僅かに笑ったものの、里桜の方を見ず書類を書き進めながら答えた。
「アルカが不在なのはいつもの事だから、気にしなくても平気さ。居ると面倒事ばかり引き起こすしね」
けれど、あのテラスでのキス以来ダンスの練習も忙しく、アルカとまともに口を利いていないままだという事が里桜には気になった。
——だってアルカったらエルティナさんを好きなくせに私にあんなキスをするんだもの。怒って当然だよ。きっとまた、エルティナさんのところに行っているんだろうし。
腑に落ちない様な顔を浮かべる里桜を見て、ファメールは小さく笑い席を立った。
「今日は疲れたから早めに切り上げようか。キミもゆっくりするといいさ」
「え? でも……」
ゆっくりするって言ったって……と考えて、里桜はすっくと立った。
「じゃあお城の厨房を借りてもいいかな? 久々にお菓子を焼いてレアンの邸宅に居る皆に届けに行きたいの」
「好きにするといいさ……キミ、料理もできるのかい?」
「お菓子作りだけね」
刃物が使えない里桜は料理をするという行為にも躊躇いがあった。ファメールは片眉を吊り上げて里桜を見た後、思い出したかの様に革製の袋を取り出し、里桜に手渡した。
「何? これ。随分重いけれど」
「そういえばキミに給料を支払っていなかったと思って。十分役立ってくれているのにすまなかった」
「え!? そんな悪いよ居候なのに! パーティで着るドレスだって仕立てて貰ったし、必要な物は全部揃えてくれてるのに、これ以上は申し訳無くてダメだよ」
慌てて返そうとする里桜から逃れるようにファメールは執務室の扉の前へと行くと、「僕がいいと言ったんだ。素直に受け取れったら」と、少しいじけた様な照れている風の顔をした。
「大体、服装にしたって男の恰好ばかりしていないで、女性らしい恰好をしたらどうなのさ? これじゃあ僕の方が女性みたいじゃないか」
ファメールの言う通り里桜は城に来た後も動きやすいからと男性の服装ばかりだった。
ファメールは白地に銀の刺繍の入った詰襟の上に長いローブを羽織っており、装飾品もおしゃれに飾っていたので、顔立ちからしても里桜よりもよっぽど女性に見えるだろう。
ツンと鼻先を立てるとファメールは執務室の扉に手をかけて、「そうそう……」と、思い出した様に口を開いた。
「今夜はアルカが帰ってくる日だったね。王室の係に言っておかなきゃ」
独りごとの様にそう言い残し、ファメールは執務室から出て行った。恐らくアルカが帰ってくる日だと知っていた為、里桜に準備をする時間を与えてくれたのだろう。
——優しいくせに素直じゃないなぁ……と里桜は小さく笑った。
暫くファメールと居て里桜は少し彼の行動に気づいたところがあった。ファメールがつっけんどんな態度を取る時は照れている時。じっと見つめる時は面白がっている時。それと、無邪気に笑う時は本心で、アルカやレアンの言う通り根はとても優しい人だ。
「素直じゃないところが可愛いと思うなんて。私、マゾッ気は無いんだけどなぁ……」
城の厨房に向かうと数人の使用人達が居て、その中には女性の姿もあった。外交パーティの為に雇いなおしたのだが、ファメールとレアンは再び恋文やアプローチの嵐に遭い滅入っていた。アルカはあれからほとんど姿を見せていないので被害は皆無だろう。
「あら、リオ。厨房に来るなんて珍しい。どうしたの? ファメール様のお手伝いをクビにでもされた?」
メイドのロッテが茶化す様に言うと、庭師のシェザールが満面の笑みで出迎えた。
「ファメール様がクビにしたのなら私が口説いても良いですか?」
「いいえ」
ニッコリと里桜は笑うと「クビになってませんし」と、ため息をついた。
「あっ、シェザールったら、さっきまであたしを口説いておきながらリオに乗り換えるの? この鬼畜男!」
「乗り換えるのではなく両方口説いてるんです」
「ああ、なるほどね。って、それはもっと駄目でしょっ!」
ロッテはくるくるとした巻き毛を揺らしながら怒ったが、シェザールは全く動じていない風に里桜を見つめた。
「おや? その指輪は?」
里桜の指につけられているファメールの守りの指輪を見てシェザールが小首を傾げた。
「素敵なデザインですね。少し見せて頂けますか?」
いいけど、と、里桜は指輪を外そうとして「……あれ? 外れない」と、一生懸命外そうと顔を真っ赤にした。ロッテがそれを見て笑い「リオ、太ったんじゃないのー?」と茶化した。
「あれー? 変だなぁ。全然取れない。ホントに太ったのかな?」
——と、いうことはお腹のお肉も危険かもしれない。そんな感覚無かったけれど!?
と、里桜が慌てて自分のお腹のお肉を摘まんだので、シェザールとロッテは笑った。
「リオ、太ったのではなくその指輪には外れないように魔術が仕掛けられているのですよ」
シェザールがそう言って詠唱すると、指輪がスルリと外れた。
「ああ、良かった。ホントにヤバイって焦っちゃった」
里桜から指輪を受け取り回転させながらじっくりと見つめたシェザールは、「これは良い品ですね」と微笑み、里桜に返した。
「右手の中指用。つまりは守りの指ですね。作りも凝っていますしなかなかに高価でしょう」
里桜は指に嵌めながら、そんなに高価なものを貰っちゃってファメールさんに申し訳無いなと、困った顔をした。
「で? 厨房に何の用?」
ロッテの問いに里桜は「そうだ」と、すまなそうな顔を向けた。
「お菓子を焼きに来たの。材料、分けて貰えるかな?」
「おー! お菓子焼けるの? へぇー! 以外―! 見てていい? あたしも覚えたい」
「うん」
「ファメール様に差し入れしたら喜んでくれるかなー?」
うきうきと笑うロッテにシェザールは「私にはくれないんですか?」と、口を挟んで来たので、ロッテは「邪魔だから出てってよ!」と、シェザールを追い出した。
「ロッテはファメールさんが大好きなんだね」
里桜の言葉にロッテは頷くと両手を合わせてくねくねとした。
「だってぇ、女性みたいなあの美貌に天才的な頭脳。強力な魔力! それにね、リオは知らないかもしれないけど、剣技大会の時に披露する剣の舞は素晴らしいのよ! 誰もが虜になるわ! それと、なんといってもあの捻た性格が最高に素敵っ!」
捻た性格がいいだなんて……ロッテ、趣味が悪いよ……とリオは苦笑いを浮かべた。
確かにロッテの言う通り顔立ちも綺麗だし、頭も良く魔法の才能も素晴らしいとは思う。けれど、あのわけのわからない性格が全てをぶち壊しにしていると、里桜は苦笑いを浮かべた。
小麦粉を計量する里桜にロッテは瞳を丸くしながら言った。
「そんなに沢山作るの?」
「うん。レアンの邸宅に持っていくの」
「ああ、リオったらレアン様推しなのね? ふーん。良かった。ライバルかと思ってヒヤヒヤしてたの」
「推し?」
「そうよ、好きってこと」
えっ!? と、小さく声を上げて里桜は首を左右に振った。
「好きとか、そういうのわかんないけど……前にレアンの邸宅にお世話になっていたから、また皆とお茶をしたくて」
「レアン様の邸宅に仕える使用人は皆眷属でしょ? リオもレアン様の眷属なの?」
「違うよ」
バターを練り上げながら里桜はロッテの質問に答えた。
「確かに首に噛み跡が無いものね。レアン様に噛まれるなんて、考えただけでエロくてゾクゾクしちゃう! すっごく気持ちよさそうじゃない?」
「え!? 痛いんじゃないの!?」
「まさか! 眷属化するときって相当気持ちいいらしいもの」
——私、アルカの眷属になったとき、気持ちよかったっけ? 傷が治ったから気持ち悪くはなかったけれど、それよりびっくりした方が強かったしなぁ。
と、里桜はうーんと頭を捻った。
「レアン様もかっこいいよね~。紳士的だし剣の腕は一流で、あんな立派な体つきなのに顔立ちが綺麗な上に、物腰が柔らかくて優しいんだもの。そのくせ傷の手当とか薬師並の知識があるんですって。それに……知ってる? 笑った時に見える牙がキュートだって人気なんだから! でもねー、普段は余り笑わないのよー。激レアよね。あれで女性が苦手じゃなければねー。女性を前にすると石像みたいに固まっちゃうんだからもうどうしようも無いよアレ」
里桜の場合、最初は男性と思われていたせいかレアンの他の女性に対する態度とは全く異なっていた。イリアナや眷属相手ならともかく、レアンは女性に対し目を合わせる事すらできないのだ。
ロッテはパッと席を外すとティーセットを持ってきて、「お茶淹れてあげるね」といそいそと用意を始めた。
「リオはさー、ファメール様からもレアン様からもお気に入りで、それなのにいっつも忙しそうにしてるでしょ? 皆話したくても声かける隙が無いっていうかー」
「ファメールさんが忙しいからそのお手伝いをしてるとね。私、居候だし。働かないと」
砂糖をパラパラと振り入れ、里桜は更にバターを練り上げた。
「あたしさー、前はアルカ様推しだったのよねー」
ロッテの言葉に里桜は「えっ」と、手を止めた。
「あの瞳に見つめられたら、どんな女性だって蕩けちゃうよ! スマートな物腰なのに愛嬌のあるあの笑みは母性本能をくすぐるわ! ちょっとした仕草一つとってもやたらと男前で色っぽいのよねー。キザったらしいことするけれど、口調があんなでしょ? それが一層引き立つっていうか、ギャップ萌え? そのくせびっくりするくらい優しくて、見た目、性格、財力、地位、どれをとっても非の打ちどころが無いわ。あれで女ったらしじゃなければねー」
「ロッテ、必ず最後には落として無い?」
「そーお? だって、シェザールだって顔はいけてるけど女ったらしだから皆相手にしないもん。まあ、アルカ様にならエッチしてポイされても全然いいけれどねー」
「……それはどうなの?」
どうしてアルカはああも女性に対してだらしないのだろうか。エルティナと恋仲でありながら他の女性を口説いたり、里桜にキスをしたりとわけがわからない……と、小さくため息をついた。
「アルカ様って態度といい噂といい、すっごく女好きなはずなのに肝心なところで手を出さないの。実は変態なんじゃないかって使用人の間では噂になってるのよ」
「へ……へぇー。そうなんだ?」
——手を出さない!? どこが!?
「王室に女の子が押し掛けた事も何度もあったのに、テラスから飛んで逃げちゃうって。それなのにシェザール筆頭に男性の使用人達がやっかんで、あらぬ噂立ててるって話。シェザールなんて相当なのにねー?」
「アルカは女性を口説いたりデートに誘ったりってしてるじゃない。それなのに手を出さないってどういうこと?」
「あたしも聞いた話でしか無いけれど、デートしても手すら握らず帰すんだって。普通さ、女好きって行ったらその日のうちにエッチしちゃうよねぇ。期待してたのにーって話しを聞いた事があるよ」
嘘でしょ……? 里桜は信じられない思いでロッテを見つめた。
でも……まあ、夢現逃花の花畑にアルカとデートした時はキスをしなかったし、冷静になって考えてもみれば、王室に案内された時も不用意には触れて来なかった。
里桜は男性とつきあったことが無いので気づかなかったが、実はアルカは相当紳士なのかもしれないと考えて、急にアルカに逢いたくなった。
——アルカ、今一体どうしてるのかな? やっぱりエルティナさんの所に通ってるの? あのキスは一体何だったのかな……。ちゃんと話したいよ。
里桜はお菓子を作る手を止めて、唇を噛んだ。
「リオー? どしたの?」
「あ、ごめん。ぼーっとしちゃってた」
「疲れてるんじゃないの? ファメール様のお手伝いってめちゃくちゃ忙しそうだものね。大丈夫?」
ロッテはお茶を淹れると里桜へと差し出した。
「ありがとう」
「いいえ。どういたしまして!」
材料を加えて練り上げると、泡立てた卵白と小麦粉を振り入れて生地を混ぜた。オーブンに薪をくべて温度調節をすると、生地を型に入れてオーブンへと格納した。
「これでよしっと」
「手慣れてるねー。リオってどこかで料理人でもやってたの?」
「まさか。素人芸だよ」
ロッテが淹れてくれたお茶を飲むと、里桜はホッとしたようにため息をついた。
「美味しい」
「でしょでしょ? あたし、お茶を淹れるのには才能あるって言われてるんだ。いつかファメール様に飲んで貰う為に修行中なの!」
「へぇ~じゃあ、淹れて貰おうかな」
コツリと杖をつきながらファメールが厨房へと入って来たので、ロッテは顔を真っ赤にして驚いて立ち上がった。
「バターの香ばしい匂いがするじゃないか。今焼いているのがリオの手作りかい?」
「ファメールさん、焼きあがるにはまだ時間がかかっちゃうの」
「ああ、いいよ。僕は結構。お茶だけ頂こうかな。えーと、そこのメイドの子」
「ろ……ロッテです!」
「……ふぅん? お茶を淹れてくれるかい?」
「はーい! あ、お湯沸かし直さないと!」
ロッテはポットを取りいそいそと水を汲みに行った。
ファメールは椅子に掛けるとじっと里桜を見つめた。金色の瞳で見つめられると、まるで蛇に睨まれたネズミの様に身動きが取れなくなる。
「リオ」
ファメールは倫とした声で名を呼んだ。
「研究が少し進んだんだ。キミを帰す方法が分かったよ」
ファメールの言った言葉の意味が直ぐには理解できず、里桜は「……え?」と、瞳を見開いて呆然とした。
「あれ? 嬉しく無さそうだね」
「そ……そんなこと無いよ!」
「もし帰りたいと思うなら、後で僕の部屋に来てくれるかい?」
「ファメールさんの部屋? 星見の塔じゃなくて?」
「うん。
里桜は表情を曇らせた。帰りたいとは思わないけど、と考えて、必死に帰らなくても良いような理由は何か無いかと脳内を検索した。
「あ、でも外交パーティはどうするの? ドレスも買って貰っちゃったのに」
「キミが気にする必要は無いさ」
サラリと放ったファメールの言葉が拒絶されたように里桜には感じた。
俯く里桜をファメールはじっと見据えるように見つめた。里桜の唇が震えているのが分かる。
——帰れる。日本に……。
里桜は頭の中が真っ白になった。
心残りだらけだ。アルカにも逢いたいし、レアンや邸宅の皆とももっと一緒に居たい。パーティのダンスだって折角レアンと頑張ったのに、無駄になってしまう。
それに、ファメールの仕事の手伝いも楽しくなってきたところだというのに、このタイミングで帰るのかと、里桜は暗く瞳を伏せた。
「どうしたのさ? 浮かない顔しているけれど」
「そ……そんなことないよ! あ、えーと……今日すぐじゃないとダメなの?」
「キミが帰りたいと思うなら早い方がいいだろう」
忙しい中、一生懸命にファメールが研究し成果を出してくれたのだ。折角の好意に我儘を言う事で無碍になどできない。
それに、アルカを殺す事のできる里桜の存在は、やはりここには無い方が良いのだ。ファメールもきっとそう思っているからこそ里桜を帰す為の研究を続けていたのだろう。
考え抜いて里桜の口から出たのはファメールへのお礼だった。そう言うしかないと思った。
「……ありがとう、ファメールさん。私、帰りたいよ。帰る方法を見つけてくれて嬉しい」
カタリ、と、ファメールは立ち上がると里桜にキスをした。
里桜は驚いたものの、不思議と拒絶する気持ちが沸かなかった。帰る事が決まって、感傷的になっているせいかもしれない。
「……僕は全然嬉しくなんかない」
唇を離し、ファメールは呟くように言った。
「え?」
「帰りたいだなんて、言わないで欲しかった」
金色の瞳を伏せてそう言うと、スッと踵を返して厨房から出て行った。
その後ろ姿を呆然と見送りながら、里桜の瞳にじんわりと涙が浮かんだ。
「ファメール様~。お待たせしましたぁー! ……って、あれ? 居ない。……げ! リオ、どうしたの!? 何泣いてるの!?」
ロッテが大慌てでティーセットをテーブルに置くと、涙を零す里桜の側へと駆けて来た。
「ファメール様に何か言われたの? リオ」
首を左右に振り、里桜は瞳を擦った。
「違うよ。私が我儘なだけ。ファメールさんは悪く無いよ」
私は、帰りたくないだなんて言ったらいけない。レアンは帰らなくて良いといってくれるし、ファメールさんまで私が帰る事を嬉しくないと言ってくれたけれど、私は帰らなければいけないんだ。ここに居たらいけない。
皆が大好きだからこそ、ここにいたらいけない。その想いが痛い程に胸に突き刺さる。でも、帰りたくないよ……帰りたくない。皆と一緒にこの世界に居たい……。
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