第29話 甘美
外交パーティを成功させるべく、着々と準備が進められた。以前王城に努めていた女性の使用人達も招集され、招待客達が宿泊する部屋の準備と共に、ファメール先生による厳しい訓練や、人間の文化についての勉強会が開催された。
ファメールの右腕とも言えるヴィベルは外交に付き添う事が多かった為ある程度人間の文化を知っており、シェザールは植物の仕入れや知識を深める為……と、言うよりは人間の女性に興味があったため、ある程度の知識があった。
二人はファメールの手が回らない時は代わりに教師役を担い、あれこれ指導してファメールを助けた。
準備に最も苦労したのはレアンだった。柄にもないダンスを里桜と踊る為に、不器用ながらも一生懸命に練習に励んだ。そもそも里桜の手を握るだけで顔が赤くなるレアンに、踊れというのはなかなかの無茶ぶりだ。
息が合わず、体が触れ合う事も多々ありその度に動きが止まるのでかなりの苦労を要した。
例を見せる為だとレアンの代わりをヴィベルが務めると、ピッタリと息の合った踊りを目の前で披露される為、レアンは増々落ち込むのだった。
しかし、レアンに踊れと指示をしたファメールにはきっと思うところがあるのだろうと、敬愛する兄を信じ、必死になって練習に取り組んだ。生真面目なレアン
「レアン、まだ練習してたの?」
夜も更けた王城の広場で一人、熱心に練習をしているところに里桜が訪ねて来た。
「すみません、リオにもご迷惑を」
「全然。気にしないで」
里桜は微笑んで広間の中へと入ってくると、「なんだか妙な事になっちゃったよね」と肩を竦めた。
「パーティでダンスだなんて」
「アルカが引き受けてしまいましたからね。お陰で兄上の研究も進まず、リオが帰る為の手段を見つけるのが遅れてしまいます。なんとお詫びしたら良いか」
「いいの。本当は帰りたく無いし」
里桜の言葉にレアンは汗を拭きながら小首を傾げた。
「帰れない方がいいの。どうせ天涯孤独だもの。ここに居て皆と過ごしている方がずっと幸せ」
レアンは何も言わず視線を落とした。里桜は叔父に襲われたと言っていた。それは里桜の両親が側に居ないのだという事の予想はついたが、彼女の心に土足で踏み込み傷をつけてしまいそうで、レアンは聞けずにいたのだ。
「私は歓迎しますよ」
レアンの言葉に里桜はレアンを見つめた。少し照れた様に頭を掻いて、マリンブルーの瞳で里桜を見た。
「その、リオは皆に好かれています。ですからずっとここに居ればいいと思います。嫌な所にわざわざ帰る必要等ありません」
「……逃げるって事にならないかな」
里桜はポツリと言った。
「嫌な事から逃げる事に、ならないかな」
「逃げたら駄目なんですか?」
「……え?」
「リオが逃げたら、誰か困りますか? 沢山の人に迷惑がかかるのですか?」
里桜は考えて、「そんなに困る人は居ないかも」と答えた。
「それならここに居たらいいんです。むしろ今リオがこの世界から居なくなれば、困る者が大勢居ますよ」
「でも私、アルカを……」
アルカを殺す事のできる私は、皆にとっては不安材料でしかないんでしょう? と、続けようとした言葉を、レアンは「リオ」と名を呼んで遮った。
「リオがそんなことをするとは思っていません。気にしなければいいんです。」
「でも……」
「そんな不安よりも、リオが居なくなって寂しくて死にそうになっている皆の姿を思い浮かべると不幸でしかありません。イリアナも、デュランも、邸宅の使用人達はいつかリオが邸宅に帰ってくる事を心待ちにしているのですから」
里桜はフッと笑って「そうかな?」と言ったので、「勿論」とレアンは頷いた。
「私も困ります」
「ダンスの相手が居なくなっちゃうから?」
里桜を城へ移すと決めたのはレアンだ。里桜は茶化す様に言ったつもりだったが、レアンは寂しげに里桜を見つめた。けれど、それ以上は何も言わず「そうですね」とだけ告げ、ため息をついた。
――ここに居てください。
と、レアンには言えなかった。そんな事を言ってしまったら里桜の負担になってしまう。本当は帰りたい気持ちがあっても、抑え込む形になってしまっては元も子もない。
里桜はすっと立ち上がり、レアンの側へと来ると微笑んだ。その笑みにドキリとして里桜を見つめた。
「レアン、練習しよっか」
今日の里桜は珍しく女性ものの衣服に身を包んでいた。いつもは動きやすいからと男性の服装ばかりを好んで着ているのだが、レアンが一人ここで練習していることに気づき、練習に付き合う為に女性ものの服装を身に着けたのだ。
その方が実際のパーティの時の所作等も練習できるため都合がいい。
ところが、レアンは何かに気づいて里桜からパッと離れた。
「リオ、兄上から渡されたネックレスをどうしたのです!?」
ファメールの守りの術が無い里桜はヴァンパイアであるレアンにとっては無防備状態だ。万が一その首筋に噛みつきでもしようものなら大変なことになると、レアンは警戒した。
一体いつからネックレスを身に着けていなかったのか。男物の服では隠れてしまう為気づかなかったと、迂闊な自分に苛立ちを覚えた。
「あれね、ファメールさんが回収したよ。代わりにこの指輪を貰ったの」
里桜はレアンが警戒している事に戸惑いながら、右手の中指に嵌めている指輪を見せた。その指輪にファメールの守りの術が施されているのが分かり、レアンは安堵のため息をついた。
なるほど、ネックレスにはファメールの眷属の証である竜の鱗が付けられていた。アルカの眷属である以上それは必要無いし、この先パーティでドレスを身に纏う際に宝飾品の関係上、ネックレスでは不都合が生じるだろう。指輪であれば、手袋を付ければ見えもしないし、ファメールの事だから簡単に外れないような術まで仕込んでいるに違いない。
「レアン、ほら、踊ろうよ。一緒に練習しよう」
里桜は微笑んでスカートを僅かに摘まんでお辞儀をし、手を差し伸べた。レアンも頷きお辞儀をすると、里桜の両手を取った。
ヴィベルに教わった通りのステップを二人で確かめる様に踏みながら練習に集中した。
音楽が無いので里桜が数字を口ずさむ。最後の数字を口ずさんだ時、ピタリと二人足を止め、優雅にお辞儀をした。
里桜とレアンは頭を上げてお互いを見た後、ふっと笑った。
「やったね! レアン。完璧にできた!」
思わず里桜はレアンの手を取り、大喜びでレアンを見上げた。
「リオのお陰です。有難うございます」
微笑むレアンの口元が近かったせいで、レアンのヴァンパイアならではの牙が見え隠れするのが分かった。
里桜は悪気無く、レアンの口元をじっと見つめたので、レアンは少し照れて、「どうしました?」と聞いた。
「レアンって、本当にヴァンパイアなのね。かわいい牙」
「……っ!」
思わずレアンは里桜から離れた。
『レアン、お前笑うと牙がバッチリわかるなぁ。それさ、キスする時邪魔にならねぇ? かわいい女の子とちゅーってしたときに牙が当たったら、折角のムードがぶち壊し』
アルカが
――けれどもし、里桜とキスをして嫌がられたのなら……?
押し黙るレアンに、里桜は傷つけてしまったのだと思い、「ごめんなさい!」と慌てて言った。
「レアンが気にしてるなんて知らなかったの。ごめんなさい!」
なんて軽率だったのだろうと、里桜は自分を責めてぎゅっと瞳を閉じた。
「傷つけてしまってごめんなさい!」
『私とて、リオの境遇等分からない事だらけなのですから。貴方を傷つけてしまったり、失言だったりをこの先してしまうと思います』
初めてレアンと会った時、レアンはそう言って里桜をフォローしてくれた。それなのに里桜はレアンの優しさに甘んじて、軽率な発言を繰り返してしまった。これではレアンに嫌われて当然だと、里桜は泣きそうになって唇を噛んだ。
泣きそうになっている里桜にレアンは大慌てで首を左右に振った。
「リオ、違うんです。えーとですね、その!」
と、アルカの発言を咄嗟に里桜に話した。
「以前アルカにキスをするとき邪魔にならないかと、からかわれた事はありますが、全然その、気にしていませんから! 大体、私にはそんな機会もありませんし、いいんです。本当に気にしてなんかいませんから!」
「そんな! アルカも酷い。私もだけど」
「いえ、全然、気にしてませんから!」
顔を真っ赤にして必死になってフォローするレアンが余りにもお人よし過ぎて、里桜は唇を噛んだ。いつも優しく大好きなレアンに申し訳なくて堪らず抱き付いて、「本当にごめんなさい。レアン」と言った。
里桜にとってレアンは絶対に揺らぐことの無い強い精神を持ち、安心できる人であり、そのせいかレアンに対しての警戒心が里桜には微塵も無い。それも当然だろう。里桜に『信頼』を教えてくれたのはレアンなのだから。
里桜の柔らかい胸の感触が伝わり、髪から仄かに石鹸の香りがレアンの鼻をくすぐった。
レアンはピシリと音を立てるかのように硬直し、身動きが取れなくなった。
「り……リオ」
顔を真っ赤にしたまま硬直するレアンを里桜は見上げ、再び謝罪の言葉を口にした。
白い肌に潤んだ大きな瞳。柔らかそうな桜色の唇を動かし、必死になって謝罪をする里桜の言葉が耳にはいってくるどころか、余りにも可憐で可愛らしい彼女のその唇を奪ってしまいたくなる衝動にレアンは必死になって耐えた。
『かわいい女の子とちゅーってしたときに牙が当たったら、折角のムードがぶち壊し』
――いや、違う。そもそもムード以前の問題で、そんなことをしたのなら里桜に嫌われてしまうだろう。里桜に嫌われでもしたらどれほどに自分は不幸なことか!
と、レアンは顔をくっと持ち上げ天井を見つめた。
「……何してるのさ?」
いつの間にか広間に入って来て二人の様子を冷たい目で見ていたファメールの言葉にハッとして、二人は慌てて離れた。
「い、いえ。その、ダンスの練習に付き合って貰っていてですね!」
「ふーん? そんな風に抱き合うものだっけ?」
すかさずツッコミを入れたファメールにレアンはあわあわとし、里桜が「私が抱き付いたの!」と、フォローのつもりで言った言葉にファメールのこめかみがピクリと動いた。
「キミさ、こんな夜更けに男と二人きりで少しは自重したらどうなの!? 女性としての自覚が無いにも程があるよ!」
「え。でも……」
「口答えしないっ!」
ファメールに叱られながら里桜は腑に落ちない思いをした。
――ファメールさんやアルカや、ヴィベルさんと二人きりになることなんてしょっちゅうなのに、レアンとならどうして叱られるんだろう……と。
「兄上、リオは私の練習につきあってくれただけなのです。何もそんな……」
「余計なことを言わなくても知ってるよ」
ファメールは呆れた様に大きくため息をつくと「練習が終わったならさっさと部屋に戻りなよね!」と、吐き捨てるように言った。
里桜は小さく謝ってパタパタと広間から出て行き、その背中を見届けた後ファメールはレアンを見た。
「……大丈夫かい?」
「え?」
「守りの術が効いているとはいえ、当然キミにだって感情はある。少し危なかったんじゃないかな」
「……」
申し訳無さそうに里桜の背中を見送っているレアンを、心配そうに覗き込んだ後、ファメールはため息をついた。
「邪魔しちゃったかな?」
「い! いえ、全くそんなことは!」
「邪魔したんだよ」
ふっと笑ってそう言って肩を竦めるファメールを、レアンは困った様に見つめた。
「……兄上は、リオを好いているのですか?」
「寝ぼけてるの?」
「しかし、兄上の態度を見る限り……」
「虫唾が走る様な事を言うなよ気持ち悪い。僕はただアルカに生きて欲しいだけさ。生きて貰わないと困るんだよ。キミだってそうだろう?」
「それとリオの事と何か関係が? 聖剣を扱える事は聞きました。ですが、リオはアルカを殺そう等とするはずがありません。兄上がリオを好いているならば、ちゃんと向き合い話すべきです」
「本気で言っているのかい?」
「勿論です! リオは自分の世界に帰りたくないと言っていました。帰りたくないものを無理やりに帰すことなど無いでしょう。それならばしっかりと安定した生活を送れるように保証しなければなりません。そうしないから彼女は不安で仕方が無いのでは? 今リオに必要なのは安心なのだと思うのです」
「だったらキミが
「押し付ける等と!」
「いや、違う。そうじゃないんだ……」
ファメールは金色の瞳を僅かに伏せた。それは余りにも寂しげでレアンは思わず口を閉ざした。
「……僕はただ、アルカにここで生きて欲しい。それだけ。それだけさ……」
そう力なく言うとファメールは広間を後にした。
だだっ広い広間で一人レアンは取り残されて瞳を閉じた。
「兄上の気持ちを伺う資格等、私には無いではないですか」
里桜が好きだ。大事だと、自分の心が張り裂けんばかりに叫ぶのだ。その想いはその他の欲望すら駆り立てて、巨大な波としてレアンを支配しようとする。自分が抑えきれなくなりそうでレアンは恐ろしくて仕方が無かった。
もしも誤って里桜の血液を口にしようものならとんでもない事態となる。自分は化け物と化し、力を暴走させて殺戮や破壊といったこの世界を破滅に追いやる行為に及んでしまう。そうなったとき、自分を止めるのはファメールやアルカなのだ。二人の手を汚させてしまう。
そして、そんな自分の醜い姿を、里桜に見せつけてしまうのだ。
「臆病者と言われたとしても私は、誰も傷つけたくは無いのです……」
レアンは片手で顔を覆うと、広間でたった一人、唇を噛んで俯いた。
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