第8話 ガブリエルの罪
「おっと、言い忘れたが、ここから先は電波が一切入らねぇからな。わざと隔離してんだ」
壁に隠された扉を開き、中へと足を踏み入れながらアダムが言った。
「どうして?」
「行けば分かる」
「トラップが待ち受けているかもしれないのに、従えというのかい?」
アダムはやれやれと肩を竦めると、ファメールに小さなタブレット端末を手渡した。
「そいつにある程度の情報が入ってる。大天才のミシェル殿なら一瞬のうちに理解できるだろ?」
食い入る様に端末を見つめるファメールに、まずは向かおうとアダムは促し、先へと歩を進めた。
里桜、ファメール、ヴィベルの三人がアダムの後をついて行くと、金属製ののっぺらとした扉へと突き当り、アダムが先ほどと同じように義手を翳し、扉を開いた。
扉が開かれると同時に、甘い香木の様な香りが洪水の様に押し寄せた。薄っすらと白く光り輝きながら、室内に咲き乱れる白い小さな花を目にし、里桜は呟く様に声を発した。
「
広い室内に無限の様に咲き乱れる夢現逃花の花畑の中、青い光を放つ黒く無機質で大きな筐体がいくつも置かれており、室内は気温が低くひんやりとしていた。
空調設備のせいか、それともその筐体のせいなのか、耳鳴りのような電子音が微かに鳴り響いている。
里桜は、その筐体が家にあるものと随分と似ているな、と思ったが、筐体の奥に立つ男性を見て、思わず叫んだ。
「レアン!」
ファメールよりも若干青味がかったアッシュブロンドの髪の男性がハッとしたように里桜を見つめ、慌てて黒い筐体の背後へと身を隠した。
「……レアン?」
——あれ? 人違いなのかな? でも、あの大きな体に顔立ちは、どう見てもレアンだよね?
「えーと、ガブリエルさん?」
オロオロしながら問いかけた里桜に、ファメールは困った様に笑うと、彼女の肩を優しく撫でた。
「すまないね、もっとキミから近づいてやってくれないか」
「う? うん。いいのかな?」
「勿論さ」
「れ、レアン。どうして隠れるの?」
近づく里桜に、彼は「私は里桜に合わせる顔が無いんです!」と、叫んだ。ピタリと足を止め、小首を傾げる。
「……私は、異世界で貴方の鮮血を口にするなどという過ちを冒しました! もう二度と、決して、里桜を傷つけるわけにはいかないのです! 私に近づいてはいけません!」
里桜はふっと笑った。
——なんて、レアンらしい……
と、困りながらも嬉しくなって、筐体の後ろに隠れるレアンの手をぎゅっと掴んだ。
「捕まえた」
「……里桜」
マリンブルーの瞳で里桜を見つめるレアンは、その瞳を細めた。
異世界で出会った時と同じ、里桜の艶やかなブラウンの髪とブルージルコンの瞳。白い肌に桜色の唇。どこを見ても愛らしく美しいその姿が眩しく見えた。ゆっくりと瞬きをする里桜の仕草一つにしても、レアンには愛しくて堪らない。
「逢いたかったよ、レアン。レアンは、逢いたく無かったの?」
「まさか……」
「それなら、隠れたりなんかしないで。寂しいよ」
レアンの温かく大きな手を自分の頬に当て、その温もりが異世界でのレアンの手の感触と同一であることを噛みしめる様に、里桜は瞳を閉じた。
レアンは唇を噛み、手に感じる里桜の頬の柔らかさを味わいながら、不安げに眉を寄せた。
「私を恐ろしくは無いのですか?」
「ちっとも怖くなんか無いに決まってるじゃない。逢えて嬉しい」
里桜は微笑んで、レアンを見つめた。遠慮がちに見つめ返すレアンの瞳は優しさが滲み溢れており、その温かく見守る様な視線に嬉しさが込み上げて、里桜は彼のがっしりとした大きな体に抱きついた。
「レアン。異世界の時と同じく、私に優しくて暖かい瞳を向けてくれるのね。本当に逢いたかった!」
異世界でのレアンと全く同じ安心感を味わう。レアンは戸惑いながらも優しく包み込み、里桜の頭を撫でた。
「異世界に居る時も、いつも私の頭を撫でてくれてたよね」
「すみません、つい……」
「あれ? 僕には『私、もう二十歳だよ』なんて言って拒否していなかったかい?」
ファメールの言葉に、「レアンはいいの!」と、答えて、里桜は笑った。
「私を守ってくれる騎士様だもん」
ヴィベルは二人の様子に、「里桜、彼も男性なのですから、むやみに抱きついてはいけません」と窘めたい気持ちをぐっと抑えて、面白く無さそうに視線を外した。その視線の先にアダムの義手があり、ヴィベルは眉を寄せた。
「……ところで、アダム。あのような危険な物を家に投げ込むだなんて! ガラスが割れて、危うく里桜が大怪我を負うところでした」
責めるところを見つけてヴィベルが口に出すと、アダムが「えっ!」と小さく声を上げた。
「あれ? ガラス割っちまったか? 招待状突っ込んだ義手だろ? 庭に落ちる予定だったんだが、おかしいなぁ」
「怪我が無かったから良かったようなものの、乱暴が過ぎますっ!」
「悪かったって、怪我無かったんならまぁ、いいじゃねぇか」
「全く、僕が居合わせなかったら大惨事だったね、クズアダム」
ファメールも面白く無さそうにアダムを責める会話に参加し、アダムは二人の八つ当たりを受けながらも、単純に自分が招いたミスに苦笑いを浮かべて謝罪した。
「招待状の送り主が『俺』だって一番信用して貰える手段って言ったら、これしか思い当たらなくてよ。ミシェルがフランスを発ったって情報が入ったから、丁度いいと思ったんだ」
「僕を監視していたのかい?」
「んだよ、人聞きが悪ぃ! ガブリエルの奴にメール入れただろ? で、うちのエンジニアに相談したらだ、この義手には目的地に飛んでいくプログラムが組み込まれてるなんて言うもんでよ!!」
ふーん、と、納得のいかない様な顔つきでアダムを見据えるファメールを気にも留めず、アダムははしゃいだ様に瞳を輝かせた。
「なあ、この義手、ロケットパンチができるんだぜ? あとなぁ! 聞いて驚け! ロケットキックもできるんだぜっ! すげぇだろ!! つい試してみたくってよ!」
瞳を輝かせるアダムを、ヴィベルとファメールは白けた様に見つめた。
「何に使う気なんです?」
「バカはアルカ譲りの様だね」
「全くです」
アダムは興奮した様に首を左右に振ると、「便利だし、何しろカッコイイじゃねぇか!」と反論した。
「飛ばした後の手足はどうする気です?」
「拾えばいいじゃねぇか」
「ふーん? じゃあ、あまり遠くには飛ばせないね」
「……あっ!」
「紐でもつけておいたらどうです?」
「巻き取りしている姿はさぞや見ものだろうね」
「ええ。ハサミで切ってやりたいですね」
「何で二人して俺を虐めるんだよっ!!」
——この人達、どうしてそう感動の再開をぶち壊すのかな……
と、里桜は苛立って大きなため息をついた。
「里桜」
レアンは里桜を眩しそうに見つめて、「一層美しくなりましたね」と、微笑んだ後、すっと視線を逸らした。
「ですが、その……露出が過ぎるのでは?」
「これ? ファメールさんが選んでくれたの。今日のパーティー用に。似合わないかな?」
「いえ、似合ってます! ですが……」
ファメールはニッコリ笑うと、「レアン、キミくらいの視点からだと眺めがまたいいだろう?」と、促した。
眺め? と、バカ正直なレアンが里桜を見下ろすと、里桜の豊な胸の谷間がバッチリと見えたので、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「レアン? どうしたの?」
「何でもありません!」
——レアン……よくわかんないけど、そんなんでお医者様は務まるの?
と、里桜は困った様に眉を下げた。
「全く。腹立たしいったらないね。僕に黙って二人で日本に来るだなんて」
「すみません」
ファメールはフンと鼻を鳴らして文句を言ったものの、それ以上責める言葉をレアンに言わなかった。
レアンの事だ。ファメールの性格を熟知しているからこその行動だったのだろうと、ファメール自身が理解していたからだ。目覚めた相手がアルカでは無くアダムだと知ったのなら、ファメールは逆上し、その場でアダムを殺していたかもしれない。冷静になる為の時間が、ファメールには必要だったのだ。
「レアン、日本に来てたなら、どうして私に連絡をくれなかったの? ファメールさんから連絡先聞いてたでしょ?」
「そんな資格など、私にはありませんから」
——レアンはもう二度と里桜に合わせる顔が無いと思っていた。
現実世界で、異世界での記憶を受けたレアンは、同時に里桜にしてしまった事の記憶も受け、絶望にも近い程の自己嫌悪と後悔の念に駆られた。元々正義感の強い彼には余りに過酷な程の罪悪感で、嘔吐を繰り返した。
「兄上、私は取返しのつかない過ちを!!」
「キミの過ちなんかじゃない」
ファメールはレアンにそう言うと、すっと両ひざを付き、床にひれ伏すかのように頭を下げた。
「兄上!? 一体何を!」
「僕のミスだ。完全に、ね。すまないガブリエル」
「何故兄上のミスなのです!? 私の過ちではありませんか!」
「そうじゃないよ。里桜に守りの指輪があるから大丈夫と過信した僕のミスだ。どう謝罪したらいいのかわからない。僕はあまり人に謝る事を知らないからね。キミがもしもキミ自身を赦せないというのなら、それはキミが僕を赦せないというのと同じ事だ。キミが望むのならどんな罪でも償う覚悟はできているよ。どうか僕を罰してくれ」
プライドの塊の様なファメールがそんな態度を取るとは思いもよらず、レアンは慌てて首を左右に振った。
「止めてください兄上! 兄上にどのような罪があるというのです!?」
「僕に罪が無いというのなら、キミにも罪は無い。けれどそうじゃない。僕達は二人とも罪人じゃないか。だから、頼むよガブリエル。今、目覚めないカインを助けられるのはキミしか居ないんだ。僕達が真に謝罪すべきはカインなんだ。そうだろう? カインにあの世界を作らせてしまったのは、僕達なんだから」
レアンはファメールの願いを受けてアルカの治療に専念した。養父から渡された義肢を取りつける手術も執刀し、毎日毎日アルカに声を掛け続けた。
「カイン、帰って来て下さい。帰って来て、私達に謝罪させてください。私達はあの頃とはもう違います。子供ではありません。今度こそ幸せな人生を歩めるはずです。いえ、歩むのです。貴方が望んだ、皆で笑って暮らす幸せな人生を。里桜から兄上に連絡が入っています。彼女も貴方の帰りを待っているんです」
薄っすらと灰色の瞳を開いたアルカを見て、レアンは喜び勇んでファメールに一報を入れた。『カインが帰って来た』と。
……しかし。
「……ガブリエル」
すまなそうに灰色の瞳を細め、彼は言った。
「すまねぇな。俺はカインの野郎じゃねぇんだ」
「……え?」
「俺は……アダムだ」
何故、どうしてアダムなのだろうか。カインはどうしたというのだろう。それとも、カインは余りの心の痛みに耐えきれず、壊れてしまったというのだろうか。現実世界を完全に捨てきってしまったというのか……。
レアンは絶望の視線をアダムに向け、その視線に耐えられず、アダムは瞳を反らした。
「すまねぇ。本当に! あいつは、カインは自分を犠牲にして俺をこっちの世界に送ったんだ。何のためなのか、訳がわからねぇ! 作りモンの俺なんかを生かすだなんてよぉ……! 殺してくれ、抵抗はしねぇよ」
アダムの発言にレアンは呆然として「殺す……? 何故?」と問いかけた。
「俺が、
「貴方がアダムだからと言って、私は……」
アダムに向けた自分の目は、どんな目だったのだろう。レアンはハッとして、顔を手で覆った。
「いえ、すみません。私は……」
——兄上が気づいたらどうするだろうか?
レアンはドキリとして唇を噛んだ。ファメールは今頃アルカが戻ったのだと思い、忙殺されるほどの忙しさすらそっちのけで大急ぎでこちらへ向かっているはずだ。もしもこちらの世界に来たのがアルカでは無くアダムだと知れば、激怒し、己の罪の向き先をアダムへと恨みや憎悪として向け、無慈悲な行動に出るかもしれない。
今はまずい。もう少し日をおかなければ、心を落ち着かせる為には誰もが年月を必要とするのだ。深い傷であればあるほどに、癒す為にはより長くの年月を要する。それに対する
「ガブリエル。
アダムの言葉にレアンは眉を寄せた。
「俺の世界は……カインの野郎が作り出した世界は、日本って国にあるんだ」
「どういうことです?」
「養父の会社。ジグラートの本社がそこにある。だから、カインの野郎は恐らくそこだ」
アダムの言っている事の半分も理解ができず、レアンは迫りくるアダムの命の危機に唇を噛んだ。兄が到着する前に、ここを離れなくてはならない。
——そうだ、
「アダム、気が付いて直ぐで申し訳ありません。医者として言うべきでないのは確かですが、私と一緒に来てください」
「……ああ。何でも言う事訊くぜ」
何をされても覚悟していると言った風に小さくため息交じりに言葉を放つアダムに、レアンは優しく微笑んだ。その笑みにアダムは眉を寄せた。
「何故笑う? 俺を殺せるのがそんなに嬉しいのか?」
「まさか。貴方が帰って来てくれて嬉しいのです」
レアンの言葉にアダムは瞳を見開いた。
「……なんだって?」
聞き間違いか? と、問いかけたアダムに、レアンはふっと小さくため息を吐いた。
「アルカが貴方をこちらの世界に送ったのでしょう? それならば貴方も私の兄弟なのですから」
「……ガブリエル」
「恐れずとも大丈夫です。さあ、行きましょう、アダム」
アダムは灰色の瞳から大粒の涙をいくつも零しながら頷いた。
「ああ、ああ。どこへでも着いていくさ」
涙を零しながらアダムは感謝した。カインが与えてくれたこの時間に……。
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