第9話 エデン
「里桜、この
筐体を食い入るように観察しながらヴィベルが言うと、里桜は「私もそう思った」と言い、筐体を見つめた。
「そっくりどころか一緒だよ。中身は知らないけど、筐体のケースは全く一緒。毎日見てるんだもの」
アダムが「だろうな」と、肩を揺らして笑い、その場にどっかりと腰を下ろした。
「悪いな、オレは長時間立ってると疲れるんでな。座らせて貰うぜ」
「アダム、さっさと説明してくれないか」
ファメールの言葉に顔を
「はぁ!? 俺がか? ガブリエル、任せた!」
「え!?」
レアンはとんでもない! と、首を左右に振ったので、ファメールがやれやれと肩を竦めた。
「仕方ない。じゃあ僕がまとめて話すか。けど、僕は今日日本に着いたばかりなんだ。読み違ってたら補足してくれ」
ファメールはそう前置きをすると、アダムから手渡されていたタブレット端末を見下ろして「まったく、この端末の情報をもっと先にくれたら良かったのに」と愚痴て、説明を始めた。
「まず、七年前の異世界転移についてだけど、……ああ、里桜にとっては二年前だね。全ては秘密裏に制作していたコイツの実験のせいさ」
コン、と黒い筐体を叩いてファメールが言った。
「里桜の家にも同じ物があっただろう? バーチャルリアリティと言えば聞こえはいいかもしれないけれど、こんなものは脳を電子化して自分の理想の世界で生きる事ができるという夢見るクズ商品さ」
「お言葉だなぁ。そのクズ商品で人格形成された俺を目の前に言う言葉かぁ?」
「うるさいな。クズアダム」
フンと鼻を鳴らすファメールに、里桜はゴクリと息を呑んだ。
「それって、要するに私が昏睡状態の間、この筐体の中に取り込まれていたって事なの?」
「まあ、そんなところだね。筐体名は『エデン』。憶測だけれど、もとはといえば僕達の養父が軍への訓練用として開発した機械なんじゃないかな。僕達の養父は軍の上位層の人間だからね。戦場を疑似体験して、軍事演習できる装置の開発をした。そしてそれを民間で楽しむ為に改良を加えたのがコレというわけさ。合っているかい?」
「ああ。さっすが、読みが完璧じゃねーか。つってもまぁ、俺達も憶測でしかねぇけどな。残ってる情報なんて、こいつがここにあって、俺がここに居るって事だけだからな。俺もガブリエルもコンピュータにそれほど詳しくもねぇし。にしても、この短時間でよく理解できたなぁ。ミシェルの頭はどうなってんだ?」
——キミが無能過ぎるだけだろう。
と、肩を竦めると、ファメールが更に説明を続けた。
「なるほどね。どうりで、無宗教のアルカが、嫌に宗教的な世界観だと思ったよ。これで
……それで、『エデン』を民間に売り出す為の、開発の実験体に選ばれたのがアルカだ。そして何故だか筐体を手に入れていたラウディー家。つまり、里桜の家だね。
けれど、設計には重大なミスがあった。本来その二つの筐体はネットワークとして全く別の世界を描くはずだった。フランスでアルカの創成した世界と、日本で里桜が創成した世界とね。なのに接続されてしまったんだ。エデンは一つの世界に統合され、出会う予定の無い二人が顔を合わせる事になった。
まあ、有りえないことではない、か。バーチャルリアリティーが夢と過程するなら、夢の世界は死後の世界とも繋がっているとも言うし、死後の世界や魂といったものは、時間や空間といった概念が無さそうだからね。尤も、僕はそんなものは眉唾だと思っていたけれど。
……とまあ、誤って接続されてしまったが故に、最初に創成されていたアルカの『エデン』から、里桜の『エデン』を切り離そうにも難しくなってしまった。片方だけ電源を落とすわけにはいかなくなってしまったというワケさ」
——電源を落とすとどうなってしまうの……?
里桜はゴクリと息を呑んだ。
今、アルカが入っている世界を、シャットダウンしてしまったら、アルカはこちらの世界に帰って来るのだろうか?
……それとも……。
「おめぇらの養父は、カインを犠牲にして電源を落とそうとしたけどな」
アダムの言葉に里桜はドキリとして思わず胸の辺りでぎゅっと手を握りしめた。
『犠牲』と、いうことは、ここにある筐体の電源が、もし何らかの理由で落ちてしまったら、アルカは……!
ファメールは片眉を吊り上げて、納得したように頷いた。
「なるほどね。里桜本体が入って来てしまったから、シャットダウンを断念したというわけか。里桜を巻き込む気は無かった。そういう事だね?」
「ああ。強制シャットダウンすると、ホストになってる奴の創った疑似世界は消えて無くなるが、本体そのものもVRの世界ごと消えてなくなる。エヴァであるエルティナや俺も当然綺麗さっぱり消えて無くなるし、本体の里桜もエデンの世界毎消えて、現実世界には二度と戻れなくなっちまう」
アダムとファメールの言葉に里桜は瞳に涙をいっぱいに溜めてファメールを見上げた。シャットダウンしようとした、だなんて、アルカの養父は、
——アルカはきっと、そんなことを聞いてもいつもみたいに笑って流すかもしれないけれど、本当は傷つきやすい人なのに……。
「里桜。泣かずとも大丈夫です。アルカはシャットダウンされていませんから」
里桜を気遣うレアンの言葉に、里桜は頷きながら、すがりつくようにレアンの腕をぎゅっと抱き寄せた。
「そういうことか。なるほど、分かってきた。だから、クズアダムが居てアルカが居ないのか」
「どういうこと?」
小首を傾げた里桜にファメールは頷いた。
「里桜とアルカのエデンが融合されたせいで、先にエデンを作っていたアルカが主体の世界になっていた。アルカ主体である以上、エルティナが死んでもエデンは消えない。里桜を現実世界に戻す為には世界の創造主であるアルカは、エデン内で殺されるしか道が残されていなかった」
「そーいうこった。俺かカインの野郎が死ねば、『エデン』が強制的に消滅する。残った方がカインの体に転送されるってこった」
「じゃあアルカは知ってたってこと? この筐体の事とか」
「恐らくね。どうしてこんなクズアダムなんかをアルカが庇ったのかは僕には理解不能だけれどね」
アダムは僅かに視線を落とし、夢現逃花の花を見つめた。白く小さなその花は淡く発光し、香木の様な香りを辺りに放っている。
「しかし腑に落ちないな。それじゃあ、アルカが『エデン』を創成した筐体はフランスにあるはずじゃないのかい?」
レアンは頷くと、いくつも連なる筐体をため息をついて見つめた。
「二年前、養父は何を思ったのか、フランスにあった筐体本体をここに運んでいたのです。ですから、元々ここにあった筐体と、アルカが『エデン』を創成した筐体とが入り混じっているのです」
「わざわざUPS(無停電装置)まで駆使してまで、ここに運ぶだなんて、大がかりだね」
アルカの死すら
それは、『里桜』だから救いたかったのか。それとも、単純にアルカ以外の者を巻き込むつもりが無く、その命を奪う訳にはいかないという理由だったのだろうか……。
不安げに俯く里桜を見つめ、コホンと咳払いをすると、今はあまり深く考えるのは止そう、と、ファメールは肩を竦めた。
「……まあ、それにしても厄介な機械じゃないか。本体ではない記憶まで僕やレアン、ヴィベルにも入り込んじゃったって事なんだからね。致命的なバグだよ。たかだかバーチャルリアリティー世界の一登場人物にされていたってだけで、その都度記憶を上書きされてたんじゃあ、いつか脳が崩壊するね。これを利用すれば洗脳なんて簡単にできちゃうよ」
「……アルカはどこに居るの? ……だって、私、知らなくて。帰ろうって、言ってくれたから、だから! どうしよう。私、聖剣なんか使わなきゃ良かった……」
里桜の震える肩をレアンが優しく支える様に大きな手で包み込んだ。
「里桜、心配要りません。アルカは、この中に居ます」
レアンが筐体の一つを指さしてそう言った。
「おお、分かったのか!」
アダムの言葉にレアンは頷いた。
「アルカの遺伝子に刻まれた塩基情報と、その筐体の中にあるプログラムの一部が似ている事が判明しました。膨大な量のデータとのマッチングに時間がかかってしまいましたが、恐らく間違いないでしょう。概ねはブラックボックス化されており、解読不能でしたが」
「よし。望みはあるってことだな! シャットダウンされてもなければ、初期化もされてねーんだから、どっかに居るだろうとは思ったけどよ!」
アダムがニヤリと笑って、「勿論、エヴァも居るんだろうな?」と、レアンに聞いた。
「そちらについては私の専門外です。アルカの遺伝子照合はできたとしても、エルティナは元々コンピュータのプログラムに過ぎません。私には分かりかねます」
「ち。使えねえなぁ!」
「何をするつもりなの?」
里桜の言葉に、アダムがああ、と返事をしながらレアンを見た。はいはい、説明しろと言っているんですね、と察した様にレアンが咳払いをした。
「再び『エデン』にダイブして、アルカを救い出そうとしているのです。エデンにはリタの例を
ですが、アルカを発見する事はできましたが、エルティナについてはアルカとは違い、そもそもエデンで形成された人格ですから、遺伝子情報も何も探す為の手掛かりが存在しません……」
「プログラムであれば復元は可能でしょう」
そう発言したヴィベルを見つめ、里桜は頷いた。
「そうだね。ヴィベルさんなら、前のデータを分析して、このエデンのプログラム形態からエルティナさんを探し出す事も、破損データの復旧をすることもできると思う。私も手伝うよ」
「よっしゃ! やるじゃねーか! 小娘とその叔父!」
「データの元を見つけられたらの話です。これほど数が多ければ、かなりの時間を要すると思いますが」
室内に整然と並ぶ黒い筐体を見渡して、ヴィベルはため息をついた。流石に人手を集めて手分けをしてというわけにもいかないだろう。
「検索用のプログラムを作る事から始めなければなりません。私も仕事がありますので、作業速度は落ちると思います」
「まあ、時間がねぇってワケでも無し。じっくりやってくれよ」
「アルカとエルティナを救う為にアダムはレアンと日本に来ていた、つまりそういうことかい?」
ファメールの問いにアダムは頷くとガシガシと頭を掻いた。
「まあ、そんなとこだ」
「どういう風の吹き回しさ? 僕の見立てではキミはこの世界に来たのなら、今度はこちらで魔王として破壊行動を起こすだろうと思ったんだけれど」
ジロリとアダムを金色の瞳で睨みつけて、ファメールは言った。どうしてもアダムを信用できないのだ。
アダムは小さく笑うと、肩を竦めてみせた。
「なるほどな、だから安心してたんだな? お前も魔術が使える以上、俺も同様に魔術が使える。それなのに騒ぎになってねぇから、カインの奴が帰って来たんだと思ってたってことか」
「だまれ。僕の質問に答えろよ。何を企んでいる?」
ファメールに凄まれて、アダムはアルカが眠っているであろう筐体を見つめ、ため息をついた。
「……誰だって、親は大事だろ」
「え?」
「カインの野郎は、俺の親なんだよ」
アダムにとって唯一家族と言えるのは、アダムという人格を生み出したアルカだ。寂しげに、灰色の瞳を細めて筐体を見つめるアダムに、ファメールはフンと鼻を鳴らした。
「ふーん? 僕はてっきり、キミはアルカを憎んでいるんだと思ったけれど。異世界でキミを封じ込めていたんだからね」
「ああ。大嫌ぇだったさ! 俺が生きるはずだった世界を全部てめぇの物にしちまいやがって!」
……だが、と、アダムは頭の中で続けた。
アルカにはアダムの記憶は無いかもしれないが、アダムにはアルカが普段何をしているのかも全て筒抜けだった。ファメールやレアンだけではなく、目に映る者全てを大事にし、思いやるアルカの生き様を、身を持って体験していたのだ。その様子を見る度に、アダムはアルカの中で、自分は何の為に生まれたのか、屈辱的な思いを味わっていた。
誰からも愛されるアルカが妬ましく、憎しみは膨れ上がる一方だった。
「最期の最期で、あいつは、俺の存在を認めてくれた。……まあ、それも屈辱っちゃあそうなんだがな」
お前は生きろ。そう言って、無理やりにアダムと入れ替わったアルカの気持ちは、言葉にしようにも難しく複雑な感情が入り混じっていた。
「なんでなんだろうなぁ。俺がカインの野郎に身体を返せって何度言ったって聞きやしなかったってのに。来たくもねぇこんな世界に送り込みやがって。俺は、あいつにそれを問い詰めてやるつもりだ」
「アダムさん、願いが叶ったんだね」
「あ? 何のことだ?」
里桜はアダムに微笑んだ。
エデンで里桜はアダムに『貴方の願いって何?』と、問いかけた。その時アダムは『愛されること』と答えた事を、里桜は覚えていたのだ。
「アルカはアダムさんを愛してくれてたって事なんでしょう?」
「……どういうことだ?」
「愛しても居ない人の為に、自分を犠牲になんかできないじゃない。アルカはアダムさんの事、大事だったんだよ」
「俺を、あいつが?」
「うん!」
力強く頷く里桜に、アダムは困惑の色を浮かべた。
「絶対そう!」
照れた様に、けれど、嬉しそうに微笑んだアダムを見て、ファメールはやれやれと片眉を下げると、肩を竦めた。
「滑稽だね。愛だなんだって、虫唾が走るよ。ああ気持ち悪い。何が『誰だって、親は大事だろ』さ。キミと一緒にしないでくれよ。鳥肌が立って堪らないね」
「ファメールさんたら、そういう言い方良くないよ。親の愛が無ければ生まれてなんか来れないわけだし」
そう言いながら、里桜はファメールの体中につけられた傷跡を思い出し、自分の発言を後悔した。
「ファメールさん、ごめんなさい。気持ちも考えずに変な事言っちゃって」
シュンとする里桜に、ファメールは笑った。
「ああ、違う違う。そんな風に責めたかったワケじゃないよ。それに、僕は親はともかく、里桜からは愛されてると思っているけど? だから、なんだかアダムなんかに同じ気持ちを向けられてると思うと気分が悪いと思っただけさ」
ファメールがツンと鼻先を上げて話したので、レアンが僅かに笑った。その様子に里桜も和んで微笑んだ。
「うん。とっても大好きだよ。ファメールさんも、レアンも、ヴィベルさんも、アルカも、皆大事な人だもん」
「あれ!? 小娘、俺は?」
しょぼくれて人差し指を咥えるアダムが妙に可愛らしく、里桜は笑った。
「うん。アダムさんも大好きだよ。会えて良かった!」
ファメールがムッとして文句を言おうとしたとき、アダムがポロポロと涙を流したので、呆気にとられて押し黙った。里桜も驚いてアダムの側へと行き、「アダムさん?」と、心配そうにのぞき込んだ。
「悪ぃ。俺、ずっと怖かったんだぜ。お前ら全員、俺を憎んでると思ったから!」
まるで子供の様にグスグスと泣くアダムの頭を里桜が優しく撫でた。ファメールが何なのコレ? とでも言わんばかりにレアンに視線を向け、レアンは頷いた。
「私も、最初アダムが目覚めた時に身構えたのですが、彼はどうも泣き虫で。病室でずっと泣くので困りました」
「だってそうだろう!? 俺はカインの野郎の代わりにこっちに来ちまったんだぞ! 右も左もわからねぇってのに、どうしろってんだ、クソったれ!」
涙を零し、喚くアダムを見つめて眉を寄せるファメールに、レアンは困った様に微笑んだ。
「なるほどね。レアン、キミはそれでアダムに情が移ったというわけか」
「まあ、情といいますか、アダムも望んでこちらに来たわけでは無いのですから、彼も被害者でしょう。それに、アルカを連れ戻す為にはアダムから情報を聞き出す必要もありましたし」
「アルカの顔で泣かれたらたまんないね」と、ファメールはため息をついた。
「もっと虐めたくなるよ」
この人、根っからのサドだ!! と、その場に居る全員が思い、ゴクリと息を呑んだ。
「そうだ。俺の義手におかしなカウンターがついていてなぁ、ミシェル、こいつがなんだか分かるか?」
アダムがパチリと義手の小さな蓋の様な物を外し、親指の付け根に現れた小さな数字の羅列をファメールに見せた。ファメールは、(僕にそんなものを見せてどうしろと言うのさ?)という顔を一瞬したものの、液晶画面に表示された数字を見てブツブツと計算したあと、金色の瞳を見開いて、里桜を見つめた。
「里桜、キミがエデンに来たのは何年何月何日だい?」
「え!? えーと……2020年11月13日だったと思う。11月なのにとても気温が高かったの」
やっぱりか、と、ファメールが呟いた後、レアンが言葉を発した。
「アルカがエデンを形成した、例の劇場襲撃事件の日は、2015年の11月13日でしたね」
「うん。何曜日だったか覚えているかい?」
「金曜日です」
「……そう。里桜、キミも金曜日だね?」
頷く里桜に、ファメールは確信したようにアダムを見た。
「アダム。そのカウントは2026年の11月13日の金曜日までの時間をカウントしているよ」
「一体何のカウントだあ?」
「養父の事だからね、どうせろくなことじゃないだろうさ」
「ろくなこと……」
「うん。かなりろくでもないね」
その言いぐさは、予想はつくが確信が無い以上言わないという事だろうな、と、アダムはやれやれとため息をついた。
夢現逃花 ふぁる @alra_fal
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