第46話 アルカの夢幻

 薄灰色の、鳥の羽根のような鱗に覆われた白竜が姿を現し、それを見てアダムがニヤリと笑った。


「よぉファメール、そいつがお前の覚醒した姿か。だが、暴走を抑え込んでいるな? そんな状態で俺を封じられると思うなよ。バカにしすぎだぜ」


 白竜は白い尾を振り上げてアダムを払おうとしたが、さも簡単にアダムは片手で尾を止めると、剣を振り下ろして白竜の尾を切断した。

 血をまき散らし、咆哮を上げながら白い鳥の様な翼をはためかせてアダムから離れ間合いを取ると、巨大な魔法陣が空を覆いつくした。


 光り輝く魔法陣は轟音ごうおんを発しながら空気を振動させ、大地すら揺るがした。

 アダムが小さく舌打ちをして空を見上げると、魔法陣から現れた燃え盛る隕石が一斉にアダムめがけて降り注がれた。


「ほぉ? リオごと俺を殺す気か? ファメール!!」


 ——里桜の指には守りの指輪を戻しておいた。お陰で大分魔力を消費したけれどね。

 と、ファメールは脳内で答えながら、巨大な口を開き氷のつぶてを吐いた。


 アダムは漆黒の翼をはためかせ、隕石の間を縫う様に飛びながら、白竜の吐く氷のつぶても難なくかわすと、白い鳥の様な美しい翼を剣で切断した。

 悲鳴を上げ鮮血をまき散らしながら白竜は落下し、王室のテラスの上に叩きつけられた。


 ……ファメール……さん……


 里桜は朦朧とする意識の中、凄まじい睡魔を抑え込もうと、鋭利な石片を縋りつく様に握りしめていた。脈打つ痛みが辛うじて眠りを妨げてはいるものの、身動きを取ることができない。

 傷つきながらよろよろと身を起こす白竜の姿は二重にも三重にもなり、里桜の瞳にはただ、鮮血に汚れたファメールの姿だろうとしか分からなかった。


 アダムは両腕を組み、漆黒の翼をはためかせながら片眉を吊り上げて、血で真っ赤に染まった白竜を睨みつけた。


「お前には、俺を殺せねぇ」


ザクリ


と、鈍い音がアダムの耳に響いた。


「……あ!?」


 隕石の召喚魔術を発動している最中、白竜が投げつけて仕込んでいた細身の剣が回転しながらブーメランの様に戻ってきて、アダムの体が真っ二つに分断されたのだ。


 アダムはドウと音を立てて王室のテラスの上へと落下し、真っ赤な血で辺りを染めた。

 白竜は印を切り風迅の嵐をアダムめがけて飛ばし、アダムの体は粉々に砕け散った。


 ——手間かけさせてくれちゃって……。

 と、悪態をついた白竜の体から眩い光が発せられ、元のファメールの姿へと変えると、息を切らせ、血まみれのまま金色の瞳でじっと粉々になったアダムを見下ろした。


 ——里桜、と、ファメールは心の中で呼びかけた。

 キミには、アルカが必要なんだ。だからどうにかしてアダムからアルカを取り戻す。それさえできれば、僕がどうなろうと構わない。


「帰って来い、バカアルカ……!!」


 ススッと飛び散っていた肉片と血液が集まり、アダムの頭部が形成されていく。


「無駄だファメール。お前に俺は殺せねぇよ。そうだろう? お前は、俺に殺意が無ぇ」

「……うるさい。なぜアルカが戻ってこない!」

「戻りたくねぇんじゃねーか?」


 アダムは高笑いをあげながら肉体を元の姿へと復元させると、ぎゅっと拳を握りしめ、己の体が傷一つない事を確認した。


「さてと試してやるか。どうだ? 面白い実験だ。つきあえよ、ファメール」


 アダムはそう言って笑うと、横たわる里桜へ向けて掌を翳した。パチン!! と、弾ける音が鳴り響き、里桜の指に着けられていたはずの守りの指輪が砕かれた。


「さあファメール、俺を切りつけてみろよ」


アダムはもう片方の手をふっと動かし、ファメールの剣を操作した。

 細身の剣はくるくると回転しながらファメールめがけて飛んでいき、それをパシリと音を放ってファメールは掴んだ。


「ほら、さあ、やってみろよ! リオを殺すぜ? いいのか?」


挑発するアダムに舌打ちし、ファメールは剣でアダムを突き刺した。痛みに眉を僅かに寄せながらも、アダムがニッと笑った。


「カインの刻印が発動しねぇなあ? なんだぁ? 小娘を傷つけなきゃダメってことか?」

「うるさい!!」


アダムが里桜へと向けた掌から一迅の風を飛ばした。里桜のブラウンの髪が切り刻まれ、ハラハラと散る。


 里桜はブルージルコンの瞳でファメールを見つめた。魔力を使い果たしたせいで、ファメールの眠りの魔術が切れかかっているのだ。


「ファメ……ルさ……」

「!!!!」


 ——里桜に、見られている。


恐怖を感じ、ファメールが必死になって再びアダムを切りつけたが、アダムは高笑いを上げた。


「ダメだなぁ、お前。心がいかれちまってるんじゃねぇのか? ああ!?」

「だまれ……!!」


 ——何故だ。何故僕は、アダムに憎しみを向けられない? 大切な女性が、アダムに傷つけられそうだというのに!


 アダムが再び里桜めがけ、掌を翳した。里桜の肩にスッと薄く刃が通り、彼女の白い肌を鮮血が汚した。


「止めろ!!」


 突き刺した細身の剣に射抜かれながら、アダムは更に高笑いを上げた。

 ファメールは絶望を味わうかのように金色の瞳を見開いた。


「殺してやる!! アダム!!」


 剣を引き抜き、再びアダムを貫いたが、アダムは高笑いを止める事なく笑い続けた。


「口で言ったって無駄だなぁ、ファメールよぉ。おめぇは『心がいかれちまってる』んだ」


 ——僕は、どうかしている。殺意が、憎しみの感情が無くなったとでもいうのか? いいや、本当に心が壊れていかれてしまったのかもしれない。そうとも、大事な弟のレアンをこの手にかけたのだ。よもやそれでまともなはずがない。

 そして大切と思っていたはずの里桜を傷つけられているというのに、アダムに対しての殺意が芽生えないだなんて、僕は壊れているとしか思えない。彼女の事をまだ心のどこかで、『アルカを殺す事のできる脅威』として認識したままだとでも言うのだろうか。


 項垂れるファメールの姿が里桜の瞳に映る。里桜は願っていた。


 ——だめ、それ以上自分の心を傷つけてはダメだよ、ファメールさん! アダムを憎めないのは当然なんだから、他人を憎めないのは良い事なのだから、責めてはダメ! 貴方は優しい人だから、誰も憎めないだけなんだもの!!

 ……もどかしい。どうして声が出せないんだろう。私は、こんな時ですら役立たずだ。


「ん? ……そうか。なるほど」


 絶望の色で項垂れるファメールを、アダムがなにやら面白そうに唇の端を持ち上げて見つめた。


だ。そういうことか」

「……何が言いたいのさ」


 金色の瞳から涙を零すファメールに、アダムはフッと笑い瞳を閉じた。ファメールが訝し気に見つめる中、パッと灰色の瞳を開き、悲しみに満ち溢れた眼差しをファメールに向けた。


「……ファメール?」


心配そうに眉を寄せ、アダムがファメールの名を呼んだ。


「なんだ。お前、どうしたんだよ。そんな、ボロボロに傷ついちまって……。また一人で背負ってるんだろう? ダメだって、もっと、オレに頼ってくれよ!」

「アルカ……?」


 ——ザクリ……。


 アルカの右手がはじけ飛んだ。それは、アルカの左手に握り締められている剣で自らを切り払ったのだ。悲鳴を上げるアルカを、ファメールは困惑の色で見た。


「何をやっているのさ……? アルカ、バカじゃないの……?」

「どうだ? ファメール」


ニヤリと笑い、真紅の瞳でアルカはファメールを見た。



ヒヤリ……と、心臓を氷のような冷たい手で撫でつけられるような不快感がファメールを襲った。


「……止めろ」


 ——……!


アダムが今度は自らの左足を吹き飛ばした。アルカが悲鳴を上げ、痛みに悶える。

 ——僕は、現実世界ではもう存在していない。だから、なんだ。あいつなら、里桜を必ず守ってくれるだろうから。


「止めろ……」


 震えるファメールの前でニヤリとアダムは笑うと、剣を自らの胸へと突き立てようとした。


「止めろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ファメールが悲鳴にも似た叫びを上げ、アダムに剣を突き立てた。その途端、真紅に染上げられた刻印がファメールを包み込んだ。


 心臓を直接握りつぶされるような凄まじい苦しみが襲う。


 ……なんだよ、こんな終わり方……なんて、屈辱的な……。


 ファメールがくっと口から血を吐き、両ひざをついた。

 ————里桜、アルカ。すまない……。


アダムへとファメールがもたれ掛かり、金色の瞳を見開いたままぴくりとも動かなかった。


「へ……。くだらねぇ最期じゃねぇかファメールよぉ。カイン可愛さにオレに殺意を抱くなんてなぁ。矛盾してるなんてモンじゃねぇなあ?」


 アダムが笑い、もたれ掛かったファメールの体を蹴飛ばした。


片手片足で這ってテラスの端へとたどり着くと、アダムは縁に捕まりながら立ち上がった。

 眼下に広がる崩壊したムアンドゥルガ王都は累々たる死体が燃え盛る炎に包まれ、黒く焼け焦げている。


「カイン、どうだ? お望み通り、全部ぶっ壊してやったぜぇ?」

『……望んでなんかねぇよ。こんな、こんな酷いこと!』

「望んでたんだよ。お前は」

『違う! オレの望みは……そうじゃねぇ。こんなんじゃ……! ただ、皆で……』

「皆で生きたい、か。お前もそれには含まれるんじゃねぇのか? だから俺が小娘に殺されて、現実世界に戻る必要がある。違うのか?」


くっと笑い、アダムはため息をついた。


「最初から俺なんか作らなきゃ良かっただろ、クソが」


 皮肉をたっぷりと込めてアダムはそう言った後、悲痛な程に感じるアルカの思いにうんざりしたように肩を竦めた。


「……悪かったよ、泣くな。そうじゃなかったな。お前が望んだ事は一つだけさ。俺にはわかる。一番、俺にはお前の心が分かっちまうんだ。嫌になっちまうぜ、ったくよぉ」

『ごめん……。アダム』

「アルカイン……か、カイン。お前、どうしてその名を選んだ?」

『オレの名。有賀あるが カイン……la racaille(社会のクズ)に……似てるだろ?』

「そんな気持ちで戻る気か? もういい、お前は眠ってろ」


アダムの言葉に答えずに、アルカは口を閉ざした。

 小石を踏む音に振り返ると、そこにポツンと立つ少女を見据えてニヤリと笑った。


「よぉ小娘。俺の願いを叶えてくれるのか?」


 肩のあたりまで短く切られたブラウンの髪を風に靡かせて、ブルージルコンの瞳に涙を沢山溜めたまま里桜は立っていた。その手には、青く淡い光を放つ刃の、聖剣が握り締められていた。


「アダムさん。貴方の願いって何?」


里桜の問いに、アダムは肩を揺らして笑った。


「カインの願いが俺の願いさ」

「……違うでしょう? もう、今更ごまかさなくていいよ。願いが叶う人は、そんな風に悲しそうな顔をしたりなんかしないもの」


アダムはため息をつくと「敵わねぇなぁ」と、深紅の瞳で里桜を見つめた。


「愛されること」


自嘲気味に笑ったアダムの瞳から深紅の涙が零れ落ちた。


「俺は、俺をこの世界に生み出したこの男からですら忌み嫌われる存在になっちまった。何故だ? 俺を必要だったから、生んだんじゃねぇのか?」


里桜は唇を噛んだ。


「封じ込めて満足か? 存在を赦されない俺の気持ちは?」


 もしも、アルカがアダムを封じなければ。アダムはエヴァにも愛され、ファメールやレアン、ムアンドゥルガに住まう皆に囲まれて生きたのかもしれない。


「レアンもファメールも、俺を憎しみの目で見やがって。無視し、無い者とされる気持ちが分かるか!? 三カ月に一度の周期すら、奴らは俺を封じる事に徹しやがる! 俺は、何のために!!」


 里桜はタッと駆けた。アダムは里桜を見つめたまま微動だにしなかった。このままその聖剣で殺されることに最早悔い等無い。


 ——さあ、ひと思いに……


「ごめんね。アダムさん」


里桜が血まみれのアダムを抱きしめた。人の肌の柔らかさ、温もりがアダムを包み込む。


 ——エヴァも、最後にオレを抱きしめたな。何故だ?

 と、訝し気に思って、アダムは眉を寄せた。


「私、どうすればいいのかわかんないけど、でも、寂しかった気持ちとか、すごく分かるの。気づいてあげられなくてごめんね。貴方はアルカと一緒に居たのにね。アダムさんもずっと一緒に居たのに。人が沢山居る中で、自分を無視される孤独ほど絶望的な孤独は無いよね。分かってるのに、ごめんね……!」


 ——孤独? 俺は、寂しかったのか。孤独だったのか。

 お前は、俺を分かってくれるのか? 里桜。

 抱きしめられるこの感覚は何だろうか。温かく、ふわりと何かに包まれているような、腑抜けになるようで恐ろしかったが、何か穏やかな気持ちになれるこれは何だろうか。


『……安心って言うんだよ、アダム。人に愛されると、自分の存在が認められたみたいで安心するんだ。オレは実の親からも、育ての親からも愛されなかった。ごめん、お前を分かってやれなくて』


アダムの中でアルカが声を放った。


 ——そうか、人を愛することすら知らねぇ俺が、愛されるはずなんかねぇに決まってる。

 アダムはふっと笑い、「なるほどなぁ」と、ため息をついた。


「わかったよ、小娘。ホラ、世界の開放の時間だ。ひと思いに……」

『だめだ』


アダムの中でアルカが低く声を放った。アダムは顔を顰め、何言ってやがんだ? と、唸るように言った。


『オレに代われ。アダム』


寝言言ってんじゃねぇ!! 小娘に殺される役目は俺だろう!?


『いや、違う。オレだ』


正気か!? カイン! 消えちまうんだぞ!! お前は現実世界に戻るんじゃなかったのかっ!!


『戻れねぇよ。そんな資格はオレにはねぇんだ』


それでもあの小娘を選んだんじゃねぇのかよ!!


『オレはリオに相応しくなんかねぇよ。彼女を傷つけ、不幸にしちまう』

「させねぇ!! 何言ってやがんだっ!!」


抱きしめる里桜から逃れ、アダムは叫んだ。


「俺は、お前を生かす為にっ!!」

『オレは、お前を生かす。決めたんだ。リオに殺される役目は、譲らねぇよ』

「カイン!!」


凄まじい頭痛と眩い光に襲われ悲鳴を上げながらアダムは瞳を閉じた。

 ムアンドゥルガの王城を包み込んでいた熱風がフッと消え、白く輝く日差しが差し込む。その下で、里桜は訝し気にアダムを見つめた。


「……アダムさん?」


心配そうに覗き込む里桜の前で再び瞳を開いた時、灰色の瞳を虚ろのままドウとその場に座り込んだ。


『カイン!! てめぇ!! ふざけんなっ!』


お前は眠れ。アダム。


『!!!!!!』


最期くらい里桜を感じさせてくれ。頼むから。


 アルカの中でアダムが声を上げて泣き喚いていた。言葉は何を発しているのか、ただただアルカを罵るしかできずアダムは叫んだ。そして、やっと浮かんだ言葉を最後に、深い眠りについた。


『カイン。愛されるって、苦しいんだな……クソ野郎……』


灰色の瞳をブルージルコンの瞳で確かめる様に見つめながら、里桜は恐る恐る言葉を発した。


「……アルカ?」

「……うん」


頷くアルカに、里桜はふっと声を漏らし、ポタポタと涙を零した。


「アルカ、ごめんね。ごめんなさい。私が来たばっかりに、アルカの世界を壊してしまったんだね」

「違う! そうじゃない。オレが、きっとオレが望んだからこうなったんだ。リオは悪くなんかねぇ! ……オレが……!」


アルカの頬を涙が零れ落ちた。


「オレが、作り出しちまった。最悪な世界を……巻き込んじまってごめん」

「違うよ! 私にとっては最高の世界だったよ。ファメールさんも言ってた。喜んでいたんだよ。アルカが作った世界を気に入っているって言ってたもの! レアンも絶対そうだよ! 皆、この世界が大好きなのっ!」


 瞳を擦っても絶え間なく零れ落ちる涙を、里桜はどうしようもなかった。アルカの顔を見たいのに、涙のせいで滲んでしまう。


「……ごめんね、ありがとう、アルカ……!」


里桜はアルカの前に膝をつき、優しくアルカの頭を抱いた。


「他人なんか大嫌い。誰とも関わりたくない、絶対恋愛も結婚もしないって思ってたの。でもね、この世界は皆が優しくて」

「……リオ」

「人が怖かったの。すごく。でも……」


ポロポロと涙を零し、里桜は歯を食いしばった。


「私が逃げちゃったから、殻に閉じこもって拒絶してしまったから、エヴァを作り出してしまったから辛い思いをさせちゃったんだよね。皆を苦しめちゃった」

「そうじゃない! リオ。自分を責めるな!」


 肩を震わせ、里桜は嗚咽を漏らした。アルカは片腕で里桜を抱きながら、もう片方の腕が無い事に苛立ち、歯痒く、そして情けない思いを味わった。


「……頼むから、自分を責めないでくれよ。頼むから。リオが幸せに笑ってくれねぇと、オレ、もっと辛い」

「ごめんなさい……」


 里桜を包み込む甘い香木の様な香り。握りしめる聖剣を、里桜は放り投げてしまいたい気持ちになり、震える手を必死に抑えた。


「夢現逃花の匂い。消えて無いね」

「……うん。でも、もう必要ないな」


この香りを嗅ぐことはもう無いだろう、と、里桜は寂しくて心が押しつぶされてしまいそうだった。


「……必要無い……か」


お別れだな、と、アルカは里桜を見つめて微笑んだ。


「消して貰えるか? リオ」


聖剣を握る手がカタカタと震える。


「どうしよう、アルカ……」

「うん?」


「アルカが……好き」


 アルカは瞳を閉じ、泣きじゃくる里桜の温もりを味わった。ぎゅっと締め付ける様な心の痛みに耐えながら、言葉を発した。


「オレも、里桜が好きだ。愛してる」


優しく里桜の背を叩き、そして頭を撫でると、アルカは里桜にキスをした。


「……さあ、帰ろう」


アルカの声は大きくは無いけれど、ハッキリとした口調でそう言った。


「それぞれの世界に、帰ろう」

「嫌だよ。アルカ……!」


 そう言いながらも、里桜はもう帰らざるを得ないということは分かっていた。抗いようのないその運命に、ズキズキと心が悲鳴を上げる。


「離れたくないのにっ!!」

「リオ……」

「アルカと、一緒に居たいよぉ!」


 泣きじゃくる里桜の背を撫でながら、アルカは唇を噛み締めた。

 アルカに背を撫でられながら、里桜は何故自分に掛けられた眠りの魔術が解けたのかを理解していた。


 ファメールがアダムの手に掛けられたのだ、と。レアンの姿が無いことも、恐らくレアンも……。それは、アルカの心も深く深く傷つけているだろう。

 アルカ自身もそうだ。失い、癒えない肉体から、この世界の最期を物語っているのだ。


 もう後戻りはできない。アルカの痛みを救える方法はただ一つ。そして、それができるのは自分だけなのだ。


 瞳を擦り、それでも溢れて零れ落ちる涙にどうしようもなく、里桜は聖剣を握りしめてアルカを見つめた。


「アルカ」

「……ん?」

「灰色の瞳。綺麗だね」


瞳を細め、アルカが笑った。


「ありがとう。リオも、ブルージルコンの瞳が綺麗だ。オレ、サ、リオにそっくりな瞳の女性を探すよ。絶対に」

「私も、アルカみたいな男性を探すね……みつかんないと思うけど」


もう二度と、これほどにも心惹かれる相手には逢えないだろう。


 あの暗い世界から手を差し伸べ救ってくれた優しいアルカ。誰が何と言おうと、里桜にとっては唯一無二のヒーローなのだ。


「アルカ、ありがとう」


ふっと、アルカが笑った。


「それはこっちのセリフだって、リオ」

「じゃあね」

「うん」


『さようなら』

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