第8話 王都での買い物
「リオ様。困ります! そんな事をなされては!」
レアンの邸宅に仕える使用人達が大慌てで里桜を止めようとした。里桜は「いいから。心配しないで」と押し切り、水をたっぷりと汲んだ樽を運んだ。
「働かざる者、食うべからずと言うもの。私、おいしい食事をごちそうになったし」
「私共はレアン様から、リオ様は大事なお客様だと伺っています!」
「全然。ただの居候だよ。『様』とか止めて。えらくもなんとも無いんだし」
使用人達はおろおろとしながら里桜を見守った。レアンはというと、朝早くから騎士の務めと城へ向かった為、留守にしていた。
「お怪我等されては!」
「大丈夫、私、結構力持ちだし。お世話になってばっかりだと気を使っちゃうから、何かさせてくれないと落ち着かないし。ね、お願い見逃して」
瓶に水を移し入れ、里桜はふうと息を吐きながら汗を拭った。水道が無いというのはなんと不便なのだろう。
昨夜の食事の時に、レアンは邸宅に仕える使用人達を紹介してくれた。困った事があれば、執事頭のデュランか、メイド頭のイリアナに話すと良いと言い、その二人は
父親の会社が倒産する前、里桜も大きな屋敷に住み、運転手やお手伝い、家庭教師と生活を手伝ってくれる人々に囲まれて育った。その頃はあまり何とも思っていなかった里桜であったが、皆と離れ離れになって初めて人の有難さを思い知った。
誰かに頼ってばかりの生き方ではダメだと意識し、世の中の常識に必死で順応しようと努力した。結果、里桜はレアンの言う、『心の余裕』が無くなっていたのかもしれない。
学校の虐めに対してもクールになることで自分を守り、人に対しての優しさや思いやりも欠けてきていた。
そんな自分を治したい。レアンの様に、優しい人になりたい。
幸いなことに、この異世界では自分の事を知る人間が一人も居ないということが、尚更に里桜を前向きにさせてくれた。
他に何かできること……。と、辺りを見回した時、執事頭のデュランが咳払いをした。
デュランは見た目で言うと50歳前後の栗色の髪をした男性で、頭部には巨大な角が生えており、髭を蓄え、細い縁の眼鏡を掛けていた。
服装は開襟のシャツに黒いベストを羽織り、黒い革製のパンツと革製のブーツを履き、シャツの袖をまくっていたので、鍛え抜かれた腕がむき出しになっていて、なかなかに迫力のある風体である。
――しまった。何か粗相をしちゃったかな……。
叱られるのかと身を縮めた里桜に、デュランは小さく笑った。
「レアン様よりリオ様のお召し物を買う様に言付かっております。街で何か見繕ってきては如何ですかな」
「お召し物? あ……」
自分の姿を見下ろして、里桜は恥ずかしくなって唇を噛んだ。こんなみっともない恰好で邸宅内をうろつかれては、レアンに恥をかかせてしまうとデュランは言いたいのだろう。
「ごめんなさい。私、自分勝手に。レアンの事を考えていなかった」
「え?」
デュランは片眉を吊り上げて里桜を見つめた後、慌てた様に首を左右に振った。
「いえ、そういうつもりでは……」
「デュランは顔が怖いから怯えさせてしまうわ」
イリアナがくすくすと笑いながら割って入ってくると、デュランの肩を叩いた。イリアナは20歳位の女性で、浅黒い肌に黒く薄っすら緑がかった艶やかな髪を高く結わえていた。
耳が長く尖っており、額にはヒスイの様な石が埋め込まれている。首には金色の首飾りが付けられていて、服装は胸元が空いたトップにおへそを出し、深くスリットの入ったスカートからはスラリと伸びた足が色気を醸し出していた。
レアンの家の使用人達は皆、各々に個性的な服装だ。特に規則や制服等というものも無いらしい。
「リオ様、私と一緒に買い物に出かけましょうか。その方がお気に召す品が見つかると思います」
「イリアナ、勝手な事を……」
「デュラン、リオ様に構いたい気持ちはわかるけれど貴方じゃダメよ」
「
「だって、顔が怖いもの」
くすくすと笑うイリアナに、デュランはムッとした様に唇を下げた。この邸宅に騎士団の者や、アルカ、ファメール以外の客が来る事自体珍しい。特に里桜の様な可愛い少年等一度も足を踏み入れた事など無かったので、デュランは何とか役に立ちたいと考えていた。
イリアナはというと……
「こんなかわいい子を着せ替え人形にできるなんて。このチャンス、絶対に逃さないわっ!」
と、高笑いをした。
「着せ替え人形等と! 失礼が過ぎますよイリアナ!」
「あ。しまった。心の声がでちゃったわ。ともかく、デュランは顔が怖いから、リオ様が怯えちゃってダメよ」
「言いたい放題言ってくれますな」
里桜は二人のその様子に小首を傾げた。とりあえず、親切にしてくれようとしているらしい、とは分かった。なんにせよ着替えが必要であることは確かだが、街にでかけるにしろ、土地勘も無ければここは異世界な上に魔国だ。一人での買い物はハードルが高すぎる。
「どちらが供として良いか、リオ様に選んでもらいましょう。男同士の方が良いに決まってます!」
「まさか。私とデートしたいわよね? リオ様。可愛らしいコーデにしてあげるわ!」
……どっちも嫌だな。と、思ったものの、リオはイリアナと買い物に出かける事にした。イリアナの言う通り、デュランは見た目になかなかの迫力がある。
勝ったと言わんばかりに意気揚々とするイリアナと共に、ムアンドゥルガの王都を歩く。賑やかな街並みに、仮想パレードの様に様々な風貌の魔族達が行き交い、里桜は目を合わせない様にと俯いた。
「さてと、リオ様はどんな服がお好みかしら」
「あ、私の事は『リオ』と呼んでください。なんか、恐縮しちゃうし」
「ふふふ。嬉しいわ。じゃあ、リオ。私の事はイリーって呼んでね」
「え? う、うん。分かった」
イリーはニッコリと笑うと、里桜の頭を撫でた。
「リオったら、本当にかわいいわ。ああ、ごめんね。きっと人間の国の主人と従者とは、ちょっと付き合い方が違うと思うの。なれなれしくて気に障ったら悪いけれど、そのうち慣れると思うわ」
すまなそうにするイリーに里桜は首をブンブンと左右に振った。
「全然。むしろ畏まると恐縮しちゃうし。それに私、良く分からないことだらけだから助かるもの。つきあってくれてありがとう、イリー」
イリーはドキリとして里桜を見つめた。なんて、素直でかわいいのだろう、と、里桜をこのまま浚ってしまいたい衝動に駆られ、いやいやそんな事をしてはレアンにクビにされてしまうな、と、咳払いをして自分を落ち着かせた。
「それにしても、リオとデートなんて嬉しいわ!」
「え!? あ、ありがとう。私も嬉しいよ」
考えてもみれば誰かと二人きりで買い物に出かけるというのは初めてだな、と、里桜は思った。普段自分の服は母親が決めて買い与えていたので、自分が選んだ事等無い。叔父に引き取られてからは服を買う余裕等無く、いつも学校のジャージか、着古してよれよれになった服を着続けていた。
里桜はイリーとの買い物が段々と嬉しくなってきて、その瞳は慕っている姉を見つめる妹の様だった。イリーの人懐っこい性格も幸いしたのだろう。
「リオは、アルカ様に連れられて邸宅に来たのよね? アルカ様の知り合いに人間が居たなんて知らなかったわ」
「洞窟で足を滑らせた私をアルカが助けてくれたの。アルカのお家には怖い人が居るからって、レアンの所に連れて来て貰ったのだけど」
――怖い人? ああ、ファメールの事か、と、イリーは笑って、「確かにアルカ様の側には怖ぁい人が居るわね」と、言った。
「アルカはどこに居るの? レアンの邸宅に遊びに来る事はあるのかな?」
「アルカ様は……そうねぇ。いつもふらふらしているから。レアン様の邸宅にいらっしゃる事もそんなには無いわ」
「……そっか」
シュンとするリオにイリーは瞳をパチクリとした。
「アルカ様に何か用事?」
「助けて貰ったのにちゃんとお礼も言えてないの」
「じゃあ、今度レアン様に言ってお城に連れて行って貰うといいわ」
「え? アルカはお城に居るの??」
「んー……それなのよねぇ。ほとんど居ないかも。神出鬼没というか、いつもふらふらとしてるから」
「そうなんだ……怪我の治療もしてもらったのに、私……」
そう言いながら、里桜はアルカにキスをされた事を思い出し、顔を真っ赤にして俯いた。アルカの放つ香木の様な甘い香りを思い出し、あの香りに包まれていたら幸せだろう、と、想像する自分に驚く。
――怪我の治療? ということは、アルカは里桜にキスをしたのか、と、イリーは思った。顔を真っ赤にしている里桜を見て、純粋無垢な里桜が女ったらしのアルカに騙されてやしないかと心配になった。
「リオったら可哀想」
「え!? どうして?」
「アルカ様に
「誑かす!?」
「アルカ様は無類の女好きだもの。そのせいでお城は女人禁制になっちゃったのよ。きっと物足りなくてリオにまで手を出したのね。酷いわ!」
「え? 女人禁制なの!? どうして?」
「アルカ様がすぐ口説こうとするからよ」
――最悪。私、男の子って事になってて良かった。
苦笑いを浮かべる里桜にイリーはため息をついた。
「でもホラ、彼はかなりのイケメンでしょう? どちらかと言うと女性の方が集まって来ちゃうわ。彼目当てでお城に仕えてた女性も居たくらいで、そのうちにファメール様がいい加減にしろって皆クビにしちゃったの」
「そんな、酷い」
「どっちもどっちかしらね。私もお城に仕えていたのだけれど、騎士団のお世話係としても出入りしていた関係でレアン様に拾って頂いて、それからはあの邸宅に仕えているの。レアン様はあの調子だから、女性に手を出すなんて絶対にしないわ」
「レアンはお城に仕える騎士の騎士団長なのだから、凄く偉いんでしょう?」
「ええ。それにお強いし、お優しいから皆からも慕われているわ。邸宅の者も皆、レアン様が大好きなのよ。デュランなんて心からレアン様を慕っていて、騎士に忠誠を誓う変な男になってるわ」
ポッと顔を赤らめて言うイリーに、里桜はなるほど、と、イリーをみつめた。
「イリーはレアンが好きなの?」
「えっ!?」
増々顔を真っ赤にすると、イリーは大慌てになり両手で頬を包んだ。
「そ、そうじゃないわ! 凄く素敵な人だとは思うけれど!」
「確かに素敵な男性だよね。紳士的だし」
里桜の言葉にイリーが笑うと、「リオったら、その言い方だと勘違いされるわよ」と、肩を竦めた。ああそうか。私は男の子だと思われてるんだった、と、リオは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「あ、ほら見て。これなんかだと、色合いも涼し気でいいんじゃないかしら」
イリーは露店に並んでいる生地をいくつか手に取ると、里桜に宛ててみせた。思ったよりも生地が薄い事に里桜は戸惑った。それというのも、里桜は華奢な体つきのわりに胸が大きかった。薄い衣服では、体の線がよくわかり女性であることがバレてしまう。
「イリー、私、もう少し厚手の方が」
「え? でも、ムアンドゥルガは暑いでしょう?」
「私、結構寒がりなの」
「あ、そっか。夜は冷えるものね」
厚手の生地をいくつか手にすると、「これで上に羽織るローブを仕立てて貰いましょうね」と微笑んだ。
「他のお店にも行ってみましょう」
「え? でも、そんなに買ってもらっちゃったら悪いよ」
私のお財布、三千円しか入っていないし、きっとこの世界の通貨としては使えないよね……。と、思っていると、イリーがくすくすと笑った。
「リオ、遠慮すること無いわ。レアン様が渡したお金をあまり残すと、彼はきっと性格上心配するもの。使ってあげた方が、心配させずに済むわ」
「そ……そういうものかな?」
「そういうものよ。レアン様は面倒見が良い方だから尚更ね」
イリーは里桜の手を引くと別の店へと向かった。里桜はこうして誰かと手を繋いで歩くことも幼少時代から無かったので、その手の温もりに嬉しくなってイリーの手を見つめた。
つい、ぎゅっと握る手に力を入れた里桜に、イリーはハートを射抜かれた気分だった。
――リオったら、何てかわいらしいのかしら。きっとここに来るまでは酷い目に遭っていたに違いないわ。そうでもなければ、これほどまでに遠慮して萎縮する事なんか無いはずだもの!
と、同情する心と共に、里桜を守るのだという母性本能がイリーの中で燃え盛った。
「リオはここに来る前はどこに居たの?」
「う……えーと、アシェントリア。でも、その……帰る場所が無いの。それで、レアンのご厄介になってるの」
イリーの言葉に誤魔化す様に答えながら、この国に来た目的を忘れていたことに気づいて、里桜は苦しくなって唇を噛んだ。
魔王を討伐し、早く日本に帰らなければならないのだ。当たった宝くじを換金して、大学に行く。確か、宝くじは換金するにも期限があったはずだ。それに、高校を何日も休むわけにはいかない。バイト先にも迷惑が掛かってしまうだろう。
「……ねぇ、イリー。ムアンドゥルガの王様ってどんな人?」
「……え!?」
イリーは驚いて里桜を見つめた。アルカもレアンも、アルカがこの国の国王なのだと里桜に話していないのか、と、驚いた。二人が話していない事を、イリーの口から里桜に伝えるわけにはいかない。何か考えがあっての事なのかもしれないからだ。
「どんな人……かぁ。そうねー。うーん……」
「怖い? その、見た目とか。羽根が生えているとか、角があるとか」
「顔が怖いかどうかで言うなら、断然デュランの方が怖いわ」
「顔以外は?」
「魔力量は桁外れだし、そういう意味でいうなら怖いかもね。あの人が本気になれば簡単に世界を滅ぼせるだろうし。でも、基本適当な人だから怖くも何ともないわ。バカで女好きのあんぽんたんだもの」
里桜はゾッとして、後半部分の悪口は耳に入っていなかった。そんな世界を滅ぼすような化け物、どうやって退治すれば良いの!? と、青ざめて、困惑の色でイリーを見つめた。
里桜がどうして青ざめたのかわからずイリーは不思議に思ったが、優しく里桜の頭を撫でた。
「心配しなくても大丈夫よ。王様はちょっとバカだけど優しいから。人間を食べたりなんかしないわ」
イリーの言葉に、里桜は増々顔面を蒼白にした。そうだ、考えてもみれば、人間を食べる魔族だっている可能性もあるのだ。
「……そっか、私。食べ物かもしれないんだ」
「あ! ごめんね! 怖いわよね! でも大丈夫よ。ほら、それ!」
里桜の首に下げているネックレスを指さして、イリーは慌てたように話した。それはファメールから貰った竜の鱗のネックレスだった。
「それがあれば人間の匂いもしないもの。ファメール様の魔術がかかっているから、きっとリオを守ってくれると思うわ」
「これ、そんなに凄いものなの?」
「ええ! 肌身離さず持っていてね。だから……お願いだから私たち魔族を怖がらないで」
イリーは里桜がかわいくて仕方がなかった。嫌われたくなくて、里桜に両手を合わせる彼女の姿に驚いて里桜は首を左右に振った。
「イリーを怖いだなんて思っていないよ!」
「本当!? 良かった!」
安堵した様に胸を撫でおろすイリーに戸惑いながら、里桜は嬉しくなって微笑んだ。
「イリーはお姉ちゃんみたい」
「え!? こんなかわいい弟なんて、嬉しすぎるわ!」
キュッと里桜を抱きしめてほおずりすると、イリーは嬉しそうに手を引いた。
「さあ、ホラ。行きましょう! 早くしないと、デュランが心配しちゃうもの」
イリーに手を引かれながら、里桜はポカポカと心が温かくなるような気がした。思えば、物心ついてからこんな風に誰かに抱きしめられた記憶等無い。ムアンドゥルガの魔族達は皆優しくて人懐っこく、里桜が今まで経験したことの無い様な温もりを与えてくれる。
――参ったなぁ。日本に帰りたくなくなっちゃうじゃない。
「うん。リオったらホントにかわいい! どれもきっと似合うわ! 仕立てあがるのが楽しみね!」
「ありがと」
照れた様に言うリオに、イリーは増々気持ちを高揚させると仕立て済みの女性もののドレスを取り出した。
「見てみて。リオに似合いそう!」
「イリー!?」
「ごめん、冗談よ。怒らないで」
と、言ったものの、絶対に似合うのになぁ、と、イリーは残念に思った。
リオはフランス人である母譲りのブラウンの長いを三つ編みにしていて、それでも腰よりも先まで長く、艶やかで綺麗だった。
ブルージルコンの瞳は大きく、肌は色白で触れると驚く程に柔らかい。女装させるとレアンは驚くだろう、と、イリーは悪戯心で、いくつか買った生地の中にドレス用の生地も混ぜ込んで、満足顔で帰路についた。
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