第9話 再会

「ああ、リオおかえり。街はどうでしたか?」


 邸宅に戻った途端、待ちわびていたかのようにすっ飛んできたレアンに、イリーとリオは唖然として見つめた。


「レアン様、お仕事は?」

「丁度お昼なので食事をしようかと戻りました。またすぐ城に戻ります」


 普段お昼に邸宅に戻るなんてことは無いというのに、レアンはよっぽど里桜が気になって仕方が無いらしい、と、イリーはくすくすと笑った。


「リオ、買ったものは部屋に運んでおくから、レアン様と食事をしていてね」

「う、うん。ありがとう、イリー」

「では、リオ、一緒に向かいましょうか」


レアンに連れられて食堂へと向かうと、美味しそうな食事の匂いにつられて里桜はぐう~っとお腹を鳴らした。


「リオのお腹は元気ですね」

「食い意地張ってるのかなぁ」

「イリアナと仲良くなったようで良かったです」

「うん、お姉ちゃんが出来たみたいで嬉しいよ。優しいし、美人だし」


嬉しそうに笑う里桜に、レアンも嬉しくなって「それは良かったです」と微笑んだ。

 手を洗い食卓に着くと、里桜は「頂きます」と手を合わせた。魔族はそもそも信仰が無い為、食事の前に祈る等と言った行為をしなかったが、レアンは里桜のその行為が好きだった。

 昨夜の食事の時にそれは何かとレアンが訪ねると、「作ってくれた人や、こうして食事できる事への感謝の気持ちだよ」と、教えられたので、レアンも里桜にならって「頂きます」と手を合わせた。

 レアンのその行動に里桜はなんだか嬉しくて微笑んだ。

 食事の仕方についてもレアンは里桜に関心していた。最初にアルカが連れて来た時の身なりから人間の奴隷か何かかと思っていたが、里桜の食事のマナーは完璧だったからだ。

 里桜は元々裕福な家庭で育った為、父親の仕事先の相手だったり、母親の友人達や知り合いだったりと会食に出席をする場面が多く、幼少の頃からマナーについて厳しく指導されていた。

 人が食事する姿をじっと見るのは失礼だと思いつつも、レアンは里桜の食事姿が気に入っていて、自分の勉強の為にもいいと考えていた。

 いつかガサツな騎士団の連中達にも見せて、見習って貰いたいものだ。

 一つ気になる事といえば里桜は食が細いことだ。遠慮しているのなら不要だと伝えたが、そうではない、と、顔を赤らめて言うので、嫌いな食べ物があったのかと聞いてもどれも美味しくて好きだと言う。

 ここに慣れるまで時間を要するのは仕方のない事ではあるが、里桜の体調をレアンは心配していた。


「レアン。服を買ってくれてありがとう」


「いえ。遠慮は要りませんから必要なものがあれば言ってください」

「そんな、お世話になりっぱなしなのに。私、レアンに何も返せないのに」

「とんでもない。十分返して頂いてますよ」


キョトンとする里桜に、レアンは微笑んだ。


「リオを見ていると癒されます」

「えっ!?」


 カッと顔を赤らめて、里桜は「あ、ありがとう」と小さく言った後、私を見ていると癒されるとは、どういう事だろうかと考えた。

 体の大きいレアンにとって、自分は小動物の様にでも見えるのだろうか、と、うーん、と小首を傾げて料理を口に運んだ。


「ん。美味しい!」

「それは良かった。沢山食べてくださいね」


 ――何やってんだ? あいつ……

 満面の笑みを浮かべて食事する里桜を微笑ましく見つめるレアンを、あきれ顔で見つめた後、アルカは食堂の入り口の壁をコツコツと叩いた。




「お前さー、なに怪しいオッサンしてんの?」

「アルカ!」


驚いて声を発したレアンを無視し、アルカはズカズカと室内に入ってくると里桜を覗き込んだ。


「おー顔色いいな。良かった。ちゃんと食えよ?」

「食事中に無礼ですよ、アルカ!」

「かてーこと言うなって。ちょっと様子見に来ただけさ。そうそう、ファメールが話したい事があるからってお前を探してたけど」

「兄上が?」

「急ぎっぽかったぜ?」


レアンは席を立つと、「城へ戻ります」と、大慌てでグローブを嵌めた。。


「リオ、慌ただしくてすみません。今日は早めに帰りますから」

「あ。うん。いってらっしゃい。気を付けてね」


 何気なく言った里桜の言葉に、レアンは嬉しそうに微笑んで、「行ってまいります」と、バタバタと食堂から出て行った。

 そのやりとりを苦笑いをして見つめていたアルカは、「夫婦かよ……」と、肩を竦めた。

 ――アルカ、来てくれた。また逢えた! と、里桜は嬉しくなってアルカを見上げた。


「アルカ、良かった。逢いたかったの」


 里桜が席を立つと、アルカの前でペコリとお辞儀をした。その様子を戸惑うようにアルカは見つめ、頬を掻いた。


「あ……逢いたかった?」

「うん。ちゃんとお礼を言えていなかったから。助けてくれてありがとう、アルカ」


顔を上げ、見上げた里桜のブルージルコンの瞳が綺麗で、アルカは顔を赤らめた。

 ――なんだ、こいつホント、男にしておくのが惜しいくらいだな。めちゃんこかわいい……と、考えた自分に呆れ、「どーってことねーさ」と、ごまかすようにニッと笑って見せた。


「レアンの奴にも気に入られたようだし良かったな」

「うん。すごく良くしてくれるの。デュランさんもイリーも親切だし、皆優しくて」


 ――こいつ、声質もそうだけど、口調も女の子みたいだよなぁ。女の子の服装させたらめちゃめちゃかわいいんじゃ……と、アルカは思い、まずい、と、里桜から視線を外した。

 オレ、何考えてんだ? そういう趣味は無いと思ってたってのに。うわ、最悪!!


 突然視線を外したアルカを不思議に思い、里桜は小首を傾げた。フワリと甘い香木の様な香りが里桜の鼻をくすぐる。


「リオ、食事はもういいかしら? 片づけちゃうけれど」


イリーの言葉に里桜は頷き、「残しちゃってごめんなさい。でもすごく美味しかった」と微笑んだ。


「アルカ様、こちらへ。応接室にお通しします故」


 デュランがアルカを案内しようとすると、「ああ、もう帰るからいいよ」と、パッと手を振った。


「帰っちゃうの?」

「うん? ああ、うん……。リオの様子を見に来ただけだし。元気そうだから安心した」


 しょんぼりと里桜は俯いた。折角また逢えたのに、次はいつ逢えるのだろうかと、名残惜しくて、心細くて唇を噛んだ。


「……次はいつ逢えるの?」


里桜の発言にブッと吹くと、アルカは顔を赤らめて僅かに里桜から離れた。


「お……お前サ! その乙女チックなの止めろよ。周りが勘違いしちまうだろ?」


 勘違いって、何をだろう? と、考えて、よくわからなかったがアルカに嫌われたくない里桜は「ごめんなさい……」と謝って、何か失礼な事を言ってしまったのかと悲しくなった。


「アルカ様! リオを虐めないでくださいな! 大体、たぶらかしたのはご自分でしょう!?」

「た、誑かしたぁ!?」


 しょんぼりとした里桜を見て激怒したイリーが割って入ってくると、憤然としてアルカを睨みつけたが、アルカはへらへらとだらしない笑みを漏らした。


「イリアナちゃん、今日も綺麗だなぁ! デートしようぜ?」

「しません!」

「えー!? 今付き合ってる男いんの?」

「いません……」

「だったらオレとつきあってよ」

「遠慮します!」

「ちょっとだけ、な? 絶対気に入るって!」

「……何がよ!?」


 胡散臭そうに見つめたイリーに、デレデレと笑ってアルカは「そりゃあ、色々」と、鼻の下を伸ばして言ったので、イリーはうんざりしたように大きなため息をついた。


「ファメール様に言いつけますよ?」

「ひえっ!? それは勘弁っ!」

「全く、女性と見れば誰かれ構わずナンパして! 少しはわきまえてくださいな!」

「なあ、ファメールには内緒にしてさあ、一回行ったら気に入るって~。な?」

「嫌です!」


 他の使用人達はまたアルカの悪い癖が始まった、と、気にしないように黙々と食事の後片付けにいそしんだ。

 サッとイリーの長い髪を軽く掴んでサラサラと零しながらアルカはその髪にキスをした。


「ちょっと!! どいてくださいな!!」


灰色の瞳でイリーを見つめ、彼女の顎に手を掛けた。その色気にイリーは思わず目を逸らす。


「こんなに懇願してるのに、イリアナ嬢は素直じゃないなぁ」

「あ……アルカ様! 止めてください!」

「どうして?」


アルカは長い指でイリーの唇に触れた。


「ほら、君の唇がオレを欲しているぜ?」

「……っ!」


 アルカは半ばヤケになっていた。里桜を可愛く思ってしまう自分がまるで少年愛にでも目覚めてしまった様で、それをとにかく払拭したいと必死だった。

 慌ててイリーはアルカをぐっと押しのけて、「デュラン!」と叫んだ。デュランは驚いて「え?」と、間抜け声を上げイリーを見た。

 イリーは思わずデュランの名を口にしたことに赤面し、デュランはまさか突然自分がイリーに助けを求められるとは、と、唖然とした。

――いやいや、イリアナ。貴方は私よりも腕っぷしが強いでしょう……。と、思いながらもデュランはコホンと咳払いをした。


「えーと……アルカ様、すみませんがその辺で勘弁してやってください。あるじの留守中に屋敷で事を荒立てるのはいかがなものかと」


デュランが気まずそうにイリーを庇おうとし、イリーがさっとデュランの後ろへと身を隠した。


「え? 何? 二人ってそういう?? うっそ、そいつは悪い事しちまったなぁ」

「いや、そうじゃありませんけど……」

「アルカ様もデュランも大嫌いよ!」


イリーが顔を真っ赤にして叫び、アルカとデュランは「えー!?」と、困った様にイリーを見つめた。


「ごめん、イリアナちゃん、悪気は無かったんだ」


 なるほど、イリアナは本気でデュランを想っているのか。それは悪い事をした、と、慌てて取り繕おうとするアルカとイリーの間に挟まれて、デュランは状況が全く飲み込めず困った様に眉を顰めた。


「……アルカ」


ツンとアルカの服の袖を引っ張ると、里桜が悲しそうに見上げた。


「リオ。ちょっと待ってくれよ、今大人の会話をだなぁ……」

「私とはデートしてくれないの?」

「!?」


 アルカとイリーとデュラン、そしてその場に居て食事の片付けをしていた他の使用人達も皆、驚いて里桜をみつめた。

 里桜はアルカに仲間外れにでもされているような気分で悲しかった。魔族だとか、そういうことも含めて分からない事だらけだというのに、初めて優しくしてくれたアルカが里桜に対してそっけなく感じ、寂しかったのだ。

 アルカとしては里桜にそっけなくしたつもりは微塵も無かったが、イリーを口説こうと一生懸命だった為、つい放置してしまったのは否めない。


「アルカに逢えるのを待ってたのに……」


 里桜はただただ『のけ者にされた寂しさ』という感情のみが膨れ上がっていた。

 編入先の学校では嫌われ、虐められ、ずっと一人きりで寂しい思いをしてきたのを、強がって気にしていないフリをしていた。

 そんな中、呆れながらも唯一の拠り所であった叔父から襲われそうになった里桜は、正に地獄の様な状況だった。

 そこへ初めて救いの手を差し伸べてくれたのはアルカだ。アルカの事をもっと知りたい、話をしたいと思うのは当然と言えるだろう。


「リオ? えーと……」

「アルカは、私が嫌い?」

「へ? い、いや!」

「それなら、お願いだから私と……」


 悲しそうに潤む里桜のブルージルコンの瞳を見て、アルカはドキリと心臓を鼓動させた。そもそも里桜は美少女だ。だからこそ、父親や母親の会食にも自慢の娘として連れまわされたのだ。

 パッチリとした大きな瞳に長い睫毛。フランス人の母親譲りの真っ白な肌。桜色の唇は汚れの知らない乙女そのもので、アルカは思わずゴクリと息を呑み込んだ。


「よ、よし……!」


アルカは何か決意めいた様に頷くと、クルリと里桜に向き直った。


「オレの部屋へ行こ……」


バコン!!!!!!!


 その場に居た使用人達全員が、モップやらほうきやらお盆やら皿やらでアルカを一斉に殴りつけ、アルカは悶絶してしゃがみ込んだ。

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