第35話 戸惑い

 エルティナの踊る姿が美しく、里桜は見惚れてため息をついた。恋をすれば女性は綺麗になると聞くけれど、彼女の様になれるのならばどんなにかいいだろうと憧れすら覚える。控えめに彼女は視線を他で踊るアルカへと時折向けた。その姿が健気で、愛くるしく感じるのだから、憧れを抱くのも当然だろう。


「エルティナさん綺麗。アルカの事が好きなんだね」


 エルティナに見惚れながら里桜はレアンへと言った。レアンの目から見ても、エルティナがアルカに気があるのは見て取れた。しかし、当のアルカはというと、里桜の方へとチラチラと視線を送るのだから、レアンとしては複雑な気分になるのも無理はない。


「リオは……その、居ないのですか? 想う相手が」


 緊張しながらも発したレアンの問いかけに里桜は困った様に肩を竦めてみせた。


「私、恋愛経験無いからよくわかんないの。ムアンドゥルガに来て、皆優しくて大好きだなぁって思うけれど。レアンもアルカも大好きだもん。恋人の好きとどう違うのかわかんない」


 私はエルティナさんの様に素敵にはまだまだ当分なれないねと、残念そうに言う里桜が純粋で可愛く思い、頭を撫でたい手をレアンは抑えた。

 ふと、里桜の『大好き』の中にファメールの名が無い事に気づき、レアンは心配になって聞いた。


「リオは、兄上が嫌いですか?」


 レアンにとっては兄として尊敬するファメールだ。確かに彼の話し方や行動には少々癖があるものの、いつも自分やアルカの為に翻弄され、国の為に忙殺されている。自分の為ではなく他人の為にばかり考えて行動し、己をないがしろにしているファメールを、レアンは尊敬しながらもいつも心配していた。


 里桜はレアンの言葉に顔を上げると、慌てた様に首を左右に振り僅かに頬を染めた。


「ち、違うよ! あ、えーと、ごめん。その、違うの。嫌いとかそう言うんじゃなくて……」


恥ずかしそうに唇をすぼめると、里桜はレアンの服の袖を少しだけ摘まむように掴んだ。


「あんなことの後だったから、ちょっと恥ずかしかったし怖かっただけだよ。嫌ってるわけじゃないの! でも、なんとなく避けちゃってるからちゃんと話さないとね。気まずいままでいるのは嫌だもの」


 里桜のその姿が余りにもいじらしく可愛らしかったので、レアンは思わず顔を背けた。

 自分は何故こうも里桜に惹かれるのだろうか。彼女が人間の処女だから、魔族の血が求めるのかとも思ったが、里桜の一挙一動は永遠に見ていても飽きないのではと思える程に愛しくさえ思う。


「兄上はお優しいのです。しかし何故か自分が傷つく道ばかり歩もうとなさる。それも他人の為に。もう少し兄上には我儘になって頂きたいと思うのですが」

「……そうだね。なんていうか、私が言うのも烏滸おこがましいのかもしれないけど、ファメールさんはもっと狡猾こうかつにできたと思うの。眠りの魔術を私にかけて、何食わぬ顔で最後まで……ね。どうしてしなかったんだろう? って思ったら、なんていうかね、その、ひょっとしたら……」


 ファメールは里桜を想っているのだろうとレアンも感づいていた。里桜も気づいたのかと思いながら、次の言葉をレアンは待った。


「ファメールさんて女性に興味が無かったりしない? ホモなのかなぁなんて……」


 里桜のその言葉にレアンは思わずむせた。ゲホゲホというレアンの背を摩りながら「大丈夫!?」と心配そうに言う里桜に、レアンは咳を必死に鎮めて「えーと……」と、声を発した。


「それは絶対にあり得ません。まあ、アルカの様な女好きではありませんし、相当選り好みはあるとは思いますが!」

「そうなの? でも、女装させたらきっとすっごく綺麗よね。睫毛長いし、色白で女性の私よりもずっと色っぽくて」

「兄上にそんなことを言ったら火山を噴火させますので、絶対に言わないでくださいね……?」


 ファメールが怒ったら本当にやりそうだと里桜は思って、素直に頷きながら「うん。わかった」と言ったので、レアンはホッと胸を撫でおろした。


「以前もスラーから外交で使者が訪れたのですが……」


 レアンはその時の話を里桜に話して聞かせた。


 ——スラーからの使者はムアンドゥルガを褒めちぎり、資源の豊富さや王都の美しさを称賛し、更にはアルカやファメール、レアンまでを話題に出し、やれ見目麗しいだの、秀麗だの賢才だのと言いだしたのだとか。

 無駄話を極力避け、簡潔に話を済ませたかったファメールは苛立ちを抑えながらも受け流していたのだが、その使者の発言にピタリと動きを止めたのだそうだ。


『ファメール殿の美しさはアシェントリアのエルティナ女王にも引けを取りませぬなぁ! 我国のシルク等を召されては、男共は皆魅了されましょう!』

『……なんだって?』

『名案が浮かびましたぞ! 外交の記念品として、ファメール殿にシルクのドレスをお贈り致しましょう! 必ずやお気に召すかと!』

『……そう。なるほど。分かった。あー、キミさ、ちょっと地下の研究室まで来てくれるかい? 面白いものがあるんだ』

『ほう! 面白いものですか? それは是非とも拝見したいですな!』


 ——それ以降、その使者の姿を見た者は誰も居ないのだとレアンは話した。


 ファメールに聞いても「さあね」の一点張りで、金色の瞳を鋭く細めて睨みつけ、『それ以上聞くと殺すよ』と言わんばかりに殺気を出すもので、誰も何も聞けなかったのだそうだ。


 そんな事があって、スラーとの外交は途絶えていたのだが、今回はアルカが勝手に進めてしまった事により今に至るということだ。

 ファメールがスラーとの外交を嫌がっていたのはそういう理由があったのだ。


 里桜は苦笑いを浮かべると、絶対にファメールに女装したら似合うだろうなんて言うまいと心に誓った。


「ファメールさんて、お洒落だしセンスも良いなって思う。このドレス、ファメールさんが生地を選んで、デザインもあれこれ指示してくれたんだって」


里桜は深い藍色のドレスのスカートをフワリと摘まんで見せた。


「ええ。とてもよく似合ってます。リオは何を着ても似合うとは思いますが、美しいものをより一層引き立てるのでしょうね」


 ドレスが素敵でしょうと聞いたつもりが、レアンが里桜自身を褒めたので里桜はキョトンとしたあと、ニッコリと微笑んだ。


「有難う。レアンの髪の色に合わせたんだって」


レアンの腕に自分の腕を絡め、里桜は甘える様にひっついた。


「だから夫婦に間違われたのかな? お似合いカップルって素敵だね」

「それは光栄ですね」


 マリンブルーの瞳を細め優しく微笑みながら、狂おしい程に愛くるしい里桜を見つめた。


 レアンだけではなく、会場に居る男性も女性も里桜の美しさに注目していた。それは見た目の美しさも勿論だが、ちょっとしたしぐさのひとつひとつが、気取りのない上品さと愛らしさを兼ね備えているので、つい目で追っては可愛らしいと微笑んでしまうのだ。まるで小動物を皆で愛でるかのようだった。


 パーティーも後半に差し掛かり、里桜も数曲レアン以外の誘いを受けて踊った。


 緊張と運動で火照った体を冷やそうとテラスへと出て、日が落ちかけ紫に色づいた空を見上げた。星見の塔の研究室に明かりが灯っているのが見えて、ファメールはこんな時も仕事をしているのかと、里桜はため息をついた。

 城中の使用人達がこの外交パーティーに集中しているのだから、お茶や食事の用意がされていないかもしれない。

 里桜はレアンに断って、簡単な食事をいくつか皿に取り、ティーセットと一緒にファメールに差し入れに行くことにした。


「私は騎士団や護衛の方々の様子も見なければならないので、広間から席を外すわけにはいきません。他の者に運ばせましょう」

「大丈夫!」


里桜は慌てて首を左右に振った。


「しかし、今日は貴方の護衛をしなければ……」

「仲直りしたいの。ちゃんと話さないと。それにすぐそこだもの。レアン、心配し過ぎだよ子供じゃないんだし」


 くすくすと笑いながら強引にレアンを押し退けると、履きなれないヒールで廊下へと出て、群青色の絨毯の上を転ばない様にと慎重に歩いた。

 廊下の突き当りにある扉の前に着き、一度側にある小机の上に食事を置いてから開けると、閉める時は両手が塞がったままお尻で器用に閉めた。

 石造りの螺旋階段を上っていくと、ファメールが居るであろう研究室の前へとたどり着き、側にある小机の上に食事を置いてノックをしようと拳を振り上げた。


「お願いします!」


突如、室内から聞こえた声に里桜は手を止めた。


「……誰だっけ?」


答えたのは間違いなくファメールの声だ。


「えー! 覚えてないんですかー?」

「生憎ね。まあいいや。手紙ならそこに置いておいて」

「そんなことしたら、『覚えていない』が継続しちゃうじゃないですかー」


 この語尾を伸ばす言い方。ロッテかな? と、里桜は部屋に入ったものかどうしようか迷い、ノックをしようとした拳を握りしめたまま立ち往生した。


「おや。よくわかったね」

「あたしだって、そこまでバカじゃないですー!」

「……ふーん? 興味無いね。僕は忙しいんだ」


 シン……と、室内が静まり返った。えーと、もういいのかな? と、里桜は扉をノックすると、「里桜です。少しだけど食事を持ってきたの」と言って小机の上から食事を持ち扉を開けた。


 扉を開けた里桜の目に飛び込んできたのは、椅子に掛けたファメールの上にのしかかるような体制をとり、濃厚なキスをするロッテの姿だった。

 思わず食事を落としそうになり慌てて持ちこたえると、そっと音を立てない様に側にある机の上へと置いた。


 その間、ちゅ……ちゅっ! と、濃厚なキスをする音が里桜の耳に聞こえて来るので必死に耐えた。ファメールとの話しはまた今度にしようと、そのままそっと音を立てない様に扉を閉めようとして『頑張った、私!』と心の中で安堵した時、ファメールが言葉を放った。


「黙って行かないでくれないかな? リオ」


ドキ——ッ!! と、心臓が肋骨を貫通して突き出たかの様に鼓動し、里桜は硬直した。


「リオ? ファメール様ぁ、あたしは『ロッテ』ですー」

「キミなんかどうでもいいよ」


 ロッテを自分の体から振り払うように降ろすと、ファメールはやれやれと衣服を叩いて皺を伸ばし、立ち上がった。

 そして里桜が持ってきたティーセットのお湯をカップに注ぐと、それを口に含んでペッと窓の外に吐き出した。


「あーっ酷いー!」


 食事セットの上に置かれたナフキンに少しお湯をつけ、唇をゴシゴシと拭いながら「誰が?」と、悪びれもせずにファメールは言うと、金色の瞳を細めてロッテを睨みつけた。


「僕は忙しいと言ったはずだけど、わからないのかな? 邪魔だから出ていけと言っているんだ。それとも消し炭にされたいのかな? キミ程度一瞬で消し去るくらい造作も無い。試してみるかい?」


 ゆらりと動かして印を切ろうとしたファメールの手に、ロッテは恐れおののいた。


「ひぃっ!」

「腹立たしいったらありゃしないね。僕に二度とその顔を見せるなよっ!」

「はいぃいいっ!」


慌ててパタパタと部屋から出ようとし、ロッテは里桜をドンと突き飛ばした。


「ひゃっ!」


 慣れないヒールの里桜はそのままべしゃりと座り込み、螺旋階段を一目散に降りていくロッテの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

 ——ああ、ロッテ。かわいそうに……と、里桜は心から同情して項垂れた。


「ファメールさん、酷い」

「なにがさ?」

「あんな態度とらなくったって! ロッテが可哀想過ぎっ!」

「は!? 何言ってるのさ!?」


ファメールは憤慨して頬を膨らませると、口を拭ったナフキンをポイッと放り投げた。


「どうして僕がその気も無い相手に唇を奪われた上、親切に対応してあげなきゃならないのさ!? 酷いのはさっきの頭のおかしなメイドの方じゃないか!」

「だからってあんな言い方しなくったっていいじゃない! ロッテはずっとファメールさんを想ってたんだから」

「誰に想われようと知ったことじゃないよ! 僕はあんなの全然好みでもなければ興味もない! この話は止め! 一刻も早く忘れたいんだからっ!」


 ぷんすかと怒ると、ファメールは「あーもう! ちょっと隙をつくったばっかりに!!」と、地団駄を踏みながら丸い錠剤の様なものを口に放り込んだので、里桜はあっけにとられてその様子を見つめた。


「隙って?」

「広間からキミの姿が消えたから、気になって様子を見ていたんだよ。そしたらあのメイドがっ!! ああ、気持ち悪いっ! 僕は潔癖症なんだ。勘弁してよね、全くもう! 吐きそうだよっ!」


 ——え!? 私を心配してくれてたの!? と、里桜は驚いて、ファメールを見つめた。


「あ、あのね、広間のテラスからここの灯りが付いているのが見えたから。ファメールさんに食事を持って行こうと思って……」

「あーもうっ!!!!」


ファメールは里桜の側へと近寄ると、座り込む里桜の前で片膝をつきぎゅっと抱きしめた。


「心配させないでよね。僕の食事なんかどうだっていい」

「え……。ご、ごめんなさい」


そんなに心配してくれるなんて、と、里桜はドキドキと心臓が鼓動した。


「今日は国外の連中が多いんだ。アシェントリアはキミの様子伺いだって言ったろう? そんな中を一人で行動するだなんて軽率過ぎるよ。キミは綺麗なんだから。僕もアルカも公務の関係上拘束時間が長い。だからレアンに任せたってのに」


 ファメールの香水が仄かに香る。先ほど彼が口にした錠剤は何か柑橘系の香りを放つものらしく、言葉を発するとフワリと爽やかな香りが広がった。

 ファメールの口から『綺麗だ』と言う言葉がかけられるとは思いもせず、里桜は驚いてどう反応してよいのかと困惑した。


「えーと、えーと……ごめんなさい」

「何がさ?」

「心配させちゃって……」

「全くだよ。責任とって消毒させてよね」

「え? 消毒って?」


 ちゅっと唇にキスをされ、里桜は再び硬直した。

 ——え? 何?? 何が起こっているの?? 消毒って!? と、思う間も無く、ファメールの舌が口内へと侵入し、里桜の舌をなぞった。


「ふぁ……」


 漏れる声を塞ぐ様に、ファメールは里桜の唇を甘噛みし、再び舌を差し込み彼女の舌へとまとわりつくように吸い上げて、するりと腰に手を回した。


「ん……」


 くたりと力が抜ける里桜の体を支えて唇を離すと、頬を紅潮させて呼吸を荒げる里桜を見つめて微笑んだ。


「へぇ? 今日は抵抗しないのかい?」


 里桜にはファメールの言葉が届いていなかった。頭が真っ白になり、何が起こったのかが分からずに、体に力が入らない奇妙な感覚に陥っていた。


「かわいいじゃないか」


 ファメールがふっと笑うと、里桜の耳を甘噛みし、首筋に舌を這わせて白く大きく膨らむ無抵抗な里桜の胸元に口づけした。チクリと刺すような痛みと共に、里桜の胸元に赤い跡が浮き上がる。

 灰色の長い睫毛に縁どられた金色の瞳で虚ろなブルージルコンの瞳を見つめ、ファメールは再び唇にキスをした。柔らかい唇の感触をたっぷりと味わう。


 里桜の細い肩を掴んで優しく抱きしめて、肌の温もりと柔らかさを感じ取り、里桜という女性の存在に陶酔した。

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