第37話 真実
「あー疲れたぁー……!」
ボンッ! とベッドの上に身を投げて、里桜は大の字になって伸びをした。慣れないヒールのせいで足は痛いし、ぎゅっと締め上げたコルセットのせいでお腹も苦しい。どこもかしこも疲れて痛くてくたくただ。
今日のパーティに参加していた女性達は、皆同じ思いをしているのだろうか。女って大変だ、などと考えながら深呼吸をした。
——でも、今日は楽しかったな。エルティナさんすっごく綺麗だったし、アルカとファメールさんレアンの三人の余興も素敵だった。踊るのも楽しかったし、上手にできたかなと思う。レアンのエスコートも完璧だったし、かっこよかったなぁ。
と、今日の振り返りをしながら、ファメールとのキスを思い出して里桜は顔が熱くなった。
思わずむくりと起き上がり、胸につけられたキスマークを見下ろした後、ベッドの上で体育座りをして身を縮ませる。
——どうしてファメールさんはあんなキスをしたんだろ? やっぱり、私の処女を? 目的の為だけならキスなんかいらないはず。じゃあひょっとして私を……?
……まさか、ね。あのファメールさんが私なんかを好きになるはずなんて無いもの。きっと
熱くなった頬を冷やそうと、里桜はベッドから降りてテラスへと出た。
星々が瞬く下で、ひゅっと吹く風が頬を撫で心地が良い。ため息をつき、(大体、ファメールさんてキス魔だよね……)と、頬を膨らませた。
塔の研究室に初めて行った時といい、厨房でのことといい。人を揶揄うのが趣味の様な人だから、大して意味合いは無いのだろう。
——アルカにしてもそうだ。
初めて洞窟で会った時は治療の為。その次は王室のテラスで……あれは何だったのか。彼はエルティナが好きなはずなのに、そう聞いたら意外そうに驚いた顔をした。
そういえば……と、里桜は考えて両頬を手で包んだ。
——私、レアンにキスしたじゃない。私もキス魔!? ああ、レアンに謝っていないじゃない! 私も相当酷い……
これはもう、頭を冷やしまくらなければと、テラスの縁に両肘をついて組んだ手の上に顎を乗せ、里桜は大きなため息をついた。冷たい風が頬を撫でる。砂漠の夜は冷えるとは言うけれど、現実世界の砂漠は魔法が無い為、もっと寒暖差が激しいことだろう。
視線の先に王城の中庭が広がっており、煌めく水を揺らめかせる噴水が目に留まった。正確には、噴水の縁に腰かける人物に、だ。
黄金色に輝く長い髪の女性を優しく抱きしめるアルカの姿。
「嘘……やっぱり、好き合っているんじゃない」
ポツリと言ったその言葉と共に、里桜の頬を涙が伝った。その雫が零れ落ちるのと同時にアルカが見上げ、里桜と目が合った。
——最悪。たまたまとはいえ、盗み見していたんだと思われたらどうしよう!
と、里桜は慌ててその場にしゃがみ隠れた。
「エルティナちゃん」
自分の腕の中で肩を震わせるエルティナに、アルカは声を掛けた。
「ゴメン。その、色々とさ」
無言で頷く彼女を腕の中で感じながら、アルカは彼女の頭にキスをした。
「オレと君は生きる世界が違う。オレは、この世界には居ないはずの存在だ。そして、
「わかっています。アルカ、これ以上私を苦しめないでください。どうか……」
もしも出会い方が違っていれば、アルカもエルティナに惹かれただろう。それほどに魅力的な女性であることには間違いなく、だからこそエルティナを尊重し、大事にもしたかった。
「苦しめちまってごめん。けど、ありがとう。オレはエルティナちゃんに愛される様な男なんかじゃないってのに、そんな風に思ってくれて。感謝してる。……いや、感謝してもしきれない程の恩がある。エルティナちゃんがその身をアダムに捧げなかったら、この世界は今頃、とっくに崩壊していただろうから」
「ずっと気に病んでいました。私の行動は身勝手だったのではないかと。あの時、私がアダムに身を捧げなければ……!」
「オレは、そんな別れを望んじゃいない」
アルカは優しくエルティナの頭を撫でた。
「有難う。こんなオレなんかを、愛してくれて」
エルティナから離れると、城内に控える護衛に声をかけてエルティナを部屋まで送るようにと指示を出し、背に灰色の翼を生やした。
「リオとちゃんと話してくるよ」
頷き、エルティナは「お願いします」と頭を下げた。
「部屋までは護衛に送って貰って。後は……大丈夫?」
アルカの言葉にエルティナは頷くと、小さく深呼吸をした。
「大丈夫です。すぐに貴方を忘れますから。世界はそうなるように作られていますもの。貴方が居なくなれば、この世界は泡の様に消えてなくなるのですから。私はきっと、夢を見させてくれてありがとうと、アルカに言うべきなのでしょう」
涙を零しながらエルティナは微笑んだ。その微笑みが彼女の最大限の強がりだろうと察し、アルカはズキリと胸が痛んだ。
トン、と、大地を蹴り、翼を仰ぎ、アルカは星の瞬く夜空へと舞い上がった。そしてそのまま里桜の居るテラスへと降り立ち、しゃがんで隠れていた里桜はビクリと肩を尖らせて、恐る恐るアルカを見上げた。
「ち、違うの! 別に盗み見してたんじゃなくて、たまたま下を見たら二人が抱き合ってただけだよ! 怒らないで、アルカ!」
慌てて弁解する里桜にアルカはニッと笑い、いつもの愛嬌のある笑みを向けた。
「別にそんな風に思ってなんかいねーって。ホラ、立って。ドレス姿のリオをじっくり見せてくれよ」
里桜に手を差し伸べて立たせると、アルカは満足げに里桜を上から下まで眺めた。
「うん。すっげー似合ってる。綺麗だぜ。リオ。どうしてもちゃんと言いたかったのになかなか時間が無くて。ごめんな」
「アルカ、エルティナさんといちゃついた後にそんな台詞吐かれても、なんだかバカバカしく思っちゃう」
「えー!?」
アルカは頭を掻くと、いちゃついてたかな? まあ、いちゃついてたかーと、苦笑いを浮かべた。
「もう邪魔しないから早く戻って。女王様を待たせちゃ失礼だよ」
アルカは里桜の頬に触れ、涙の跡を指で優しくなぞった。
「泣いてた?」
ハッとして里桜は大きな瞳を見開き、アルカから離れた。
「大丈夫? なんか嫌な事でもあったのか?」
「な……何でも無いよ! 違うの! ホント、なんでもない!!」
慌てて首を左右に振って誤魔化そうとする里桜をアルカはフワリと抱きしめた。
「オレに言えない事?」
香木の様な甘い香りが里桜を包み、ついうっとりとして口を噤む。アルカの匂い。けれど、この香りをエルティナさんもきっと好きなんだろうな。と里桜は考えて、チクリと痛む胸に耐えきれず、アルカを両手で押し離した。
「何するの! 変態っ!!!」
「えー!?」
「アルカは女性なら誰でもいいの? ほんっと、女ったらしなんだから!」
ぷいっ! と、踵を返そうとした時、慣れないヒールの里桜は気が緩んでいたのか、足首をガクリともつらせて転びそうになった。
あっと叫びそうになった里桜の体をアルカが咄嗟に支えてくれたので、里桜は転ばずに済み、ホッと安堵のため息をついた。
「あ、ありがと」
「いや、いいんだ。えーと、さ。ちょっとだけ話せないか? 折角着飾ったリオと今日はほとんど会話ができなかったしさ」
「でも、エルティナさんは?」
「大丈夫だって。護衛に送らせたからさ。ホラ」
テラスの下を見ると、噴水にはすでにエルティナの姿が無かった。
「リオ、誤解を解きたいんだ。オレはエルティナちゃんの恋人でもなんでも無い」
アルカの発言に、里桜はムッとして眉を寄せた。
「抱き合っておいてそういうこと言う? アルカ酷い!」
「いや、ちょっと……だってさぁ、抱き合う位するだろ? 泣いてる女の子慰めるのにハグ一つしねーの? 家族同士だってハグするだろ?」
「しない!」
「オレはするの!」
「やっぱりアルカが変なんじゃない」
——なんか、里桜怒ってる?
アルカは困ったなとため息をついた。
「リオに誤解されたくない。オレはリオが好きだから」
「そうやって誰にでもいい顔するの良くないよ! 女誑しなんだからっ」
と、頬を膨らませる里桜の前でアルカは跪いた。
胸に手を当て瞳を閉じて頭を垂れた。ふわりと風が吹いて里桜の頬を撫で、耳に着けられたピアスが揺れた。
「……どうか、冷静に聞いて欲しいんだ。リオ」
急に畏まったアルカに、里桜は戸惑う視線を向けながら「な……何!?」と声を発した。
「
「……え?」
「もう逃げない。
「アルカ、言ってる意味が分かんないよ」
「嘘なんだ。この世界全部が。辛い現実から目を逸らす為に作った理想の世界なんだよ。オレと、リオの」
——辛い現実世界?
「俺は、現実から目を背ける為にアダムを作った。リオはエヴァ。エルティナちゃんさ。この世界に来る時に思ったはずだ。『次に生まれ変わるならこういう人に生まれたい』って」
——思った。どうせなら、理想の女性にって。
「オレは、世界の破滅を願った。全部ぶっ壊してやるような、凶悪な魔王になっちまえばいいって。それが『アダム』だ」
『……よぉ、リオ。初めまして。オレはアダム』
脳裏に突如浮かんだ血まみれのアルカは、真紅の瞳を里桜に向けてそう言って笑った。
——アダム……? そう、確かファメールさんの部屋で……。
「アダムって目が真紅の……」
——血に塗れたアルカ。傷ついたファメールさん。あれは夢では無かったの……? 夢。現実。何? 何なの……?
「思い出したのか。……逃げるのを止めよう。ちゃんと現実に目を向けるんだ。だから、帰ろう。元の世界に」
「アルカ、言ってる意味わかんない」
「リオ。逃げ続ける事なんかできないんだ。ちゃんと向き合おう。な?」
「解んないったらっ!」
「リオ」
「そんなの、嫌だよ……」
ポロポロと涙を零しながら里桜はアルカを見下ろした。
「戻りたくなんかない!! あんな世界、嫌ぁっ!!」
悲鳴を上げ、里桜は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
——ファメールさんの言っていた、異世界から来た私以外の人ってアルカの事だったんだ。
「折角、戻らなくていいと思ってたのに。そんなこと言わないでっ!」
アルカは里桜を優しく抱きしめた。
「辛い思いさせてるって分かってる。オレだって帰りたくねぇよ。オレなんか居ない方がいいんだ。里桜もきっとよっぽどな事があって、それで逃げて来たんだろ? でも、ダメなんだよ。こんな世界、あっちゃいけねぇんだ」
「あっちゃいけないなんて言わないで。私、こっちがいい……!」
「リオ!」
「戻りたくなんかない! 止めて! もう言わないで! そんな恐ろしい事言わないでっ!!」
「リオ、落ち着いて。教えてくれ。一体何がリオに
世界を捨てる? と、里桜は考えた。私が悲しかったこと、傷ついたこと。それは何だっただろうと考えて、思い出す様に言葉を発した。
「……キッチンに、ね、朝、水を飲もうとして行ったの……」
アルカの胸の中で里桜は震えながら言った。
「お母さんが、血まみれで倒れてて、動かなくて。お父さんが血のついた包丁を持ったまま大いびきを掻いて眠ってた。私……お水を飲もうとしたグラスを落としちゃって、慌てて破片を拾おうとしたの。でも、手に力が入らなくて、拾おうとしても、手が震えちゃって。何もできなくなって。
気が付くと警察の人が沢山来ていて、家の周りには沢山の人だかりができてた。私が通報したみたいなんだけど、全然覚えていないの。それなのにお父さんが警察の人に連れて行かれちゃった。
私の
人だかりの中に顔を知ってる人も沢山居たけれど、私はひとりぼっちだった。サイレンの音だけが煩くて、でも、誰も私の名前を呼んでくれる人なんて居なかった」
「……リオ」
「私、叔父さんに引き取られたの。小さいころから兄妹みたいに育って、慕ってた人だった。警察にも私を迎えに来てくれて、私にとってヒーローの様な人だった」
——ああ。本当に、大好きな人だった。
「私、転校先で存在も無視されていて……ずっとひとりぼっちで、皆が怖かった。どう思っているんだろうって、顔色ばかり窺ってそれに疲れちゃったの。きっと、ね、無表情だったと思う。だから皆も私が怖かったのかもしれない。でも……どうしたら良かったの?」
恐怖を誤魔化すように、里桜は震えながら笑った。
「叔父さんが私の手を掴んだの。離してって、止めてって叫んだけれど殴られた。殴られると、心が壊れちゃうんだって分かった。信じていた心が壊れて、自分が誰だか分からなくなっちゃうくらいに。
叔父さん、お酒飲んでどうしようも無い人になっちゃってたけれど、それでも頼りにしていたのに。もう、人なんか信用できない。怖い。でも、私……それでも……」
ふっと里桜は息を僅かに吸い込んだ。
「……ずっと、誰かに助けて欲しかった! 自分だけでどうにもできなくて。情けなくて! 怖くて! でも手を伸ばして助けを求めようにも誰もいない所に手を伸ばせば良かったの? 私、どうすれば良かったの!?」
アルカは里桜を抱きしめる力を少しだけ強く、ぎゅっと抱き寄せた。
「ごめん。そんなところに帰れだんて、酷い事言っちまって……」
現実世界に戻ったのだとしても、里桜とアルカが出会えるとは限らない。アルカは里桜を守ることを約束できない歯痒さにぎゅっと唇を噛んだ。
「アルカが手を差し伸べてくれた時、私、初めて助けて貰えたんだって思ったの。だからいなくなって欲しくなくて、側に居て欲しくて……アルカが居ない間、寂しくて押しつぶされそうで、怖くて!」
「守りたい。オレもリオを守りたいって思う。でも、オレにはそんな資格なんかない。逆にリオを傷つけちまうと思う。それが怖くて逃げ回ってた。ゴメン」
「アルカ、帰りたくない。ここに居たいよ。どうして戻らなきゃいけないの?」
「だめなんだ、リオ。オレは、あの二人を開放しなきゃならねぇ」
里桜を抱きしめて背に回した手を、アルカはぎゅっと握り、拳を作った。
「二人? 解放って?」
「ファメールとレアンの二人だ。オレの世界に、二人を巻き込んじまった」
「どういうこと?」
アルカの言葉に、里桜は眉を寄せ、ブルージルコンの大きな瞳でアルカを見つめた。
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