第39話 捨てた世界

 ファメールが詠唱すると、シャボン玉の様な透明な球体が二つポッと現れて、フワリと宙で止まった。

 アルカの肩に触れながら一つに杖の先端を向けると、何やらもやもやと映像が映し出された。


 それはベッドで眠るアルカの姿であり、しかし、彼の髪は灰色では無く漆黒で、人工呼吸器や心電図等の器具が身体に取り付けられていた。


「これが現実世界のアルカ。というものらしいね」


 そう説明しながら、ファメールは今度は里桜の肩に触れ、もう一つのシャボン玉に杖の先端を向けた。映し出されたのは里桜の姿だった。アルカ同様に人工呼吸器や心電図の器具が取り付けられている。


「私? 何これ、どういうことなの?」

「アルカと同じように、キミも昏睡状態だってことさ。ただし、キミの場合はエルティナに召喚されて無理やりにこの世界に呼び出されている。キミがエルティナを生み出したのは二年以上前だ。その頃にエルティナが戴冠したからね。何か身に覚えは無いかい? 現実世界から逃げたいと強く願うような何か」


 二年前……? と、里桜は考えて、「お母さんが死んじゃった時かな」と呟く様に答えた。

里桜の答えに、ファメールは頷いた。レアンは里桜を心配し、気遣うように彼女の背を優しく撫ぜた。


「やっぱり同時期か」


 ファメールの言葉に「同時期って何が?」と、聞いたアルカに、ファメールは「後で話す」と、自分の考えを確かめるように頷いた。


「……まず、アルカは自分でこの世界を作り出した。世界と一緒に僕やレアン、ムアンドゥルガに住まう魔族全てもね。そしてその時、『アダム』という最悪な人格までご丁寧に形成した。けれど、アルカはバカだからこの世界に居る僕とレアンを見て、『アダム』を自分の中に封じ込めちゃった……んだよね?」


 ファメールがアルカに視線を向け促したので、アルカは頷いてファメールの説明の続きを話し出した。


「オレは……現実世界でファメールとレアンそっくりな二人の兄弟を死に追いやっちまった。そのせいで世界なんか滅びちまえばいいって絶望した。そうしたら、どういうわけかこの世界を作り上げちまったらしい。

 なんていうかさ、まぁ、逃げ込んだんだよ。タブン。殻に閉じこもってさ。自分が殺しちまったファメールやレアンとこの世界で楽しく暮らそうなんて、そんな風に考えたのかもしれねぇ。

 でも、もしもこの世界が魂だとかいうモンを留め込んじまうのだとしたら、死んだ二人は浮かばれずに、オレのせいでここに永遠に留まる事になっちまう。そんな目に遭わせるわけにはいかねえって、そう思って……だから早くこの世界を終わらせなきゃいけねぇって焦ったんだ」


 アルカの言った、『オレの世界に二人を巻き込んじまった』というのはこのことかと里桜は思った。


「それだけじゃないだろう?」


うんざりした様にファメールはため息交じりで言った。


「アルカ、僕をバカにするのもいい加減にしてくれないか。エルティナとリオの事。もう時間が無いからキミは焦ったんだろう? 違うかい?」


ファメールの言葉にアルカはきゅっと拳を握りしめた。


「……形成した人格と、元々の人格は引かれ合う。リオもオレとアダムの様に一つの体に融合されちまうらしいんだ。それがいつなのかはわからねーけど、そんなに遠い未来じゃないと思う」


 ——私が、エルティナさんと融合!? 

 と、里桜は予想だにしなかった話の展開に、唖然とした。


「そうなるとどうなるの?」

「エルティナは処女じゃないからね。アルカを殺す手立てが無くなるといえば無くなる。そうなれば、キミも必然的に現実世界には帰れなくなるね」


 ファメールの言葉に、えっ!? と、里桜は驚いて声を発した。


 エルティナさんが処女じゃないだなんて。確か結婚していないはずだし一体誰と……と、自然とアルカに視線を向けアルカは気まずそうに頬を掻いた。


「あー……オレじゃなくてアダムがさあ……。まあ、その後はオレも、えーと……」

「……最低」


里桜の言葉がグサリとアルカの胸に突き刺さった。ファメールは頷くと、小さく笑って肩を竦めた。


「ホント、最低だよね。アルカは」

「全くです。王の身でありながら、婦女子の寝室に忍び込む等と」

「……ハイ。ごめんなさい」

「ちゃんと責任とりなよね」

「男の風上にも置けません」

「アルカ酷い」


 皆からブーイングをされ、アルカはシュンと項垂れた。


 里桜はそう言いながらも複雑な気持ちでアルカを見つめた。エルティナが里桜と融合した場合、自分とアルカは一体どんな関係になるのだろうか。しかし、アルカの思い人がエルティナである以上、自分は邪魔なのではないか……?


「融合したら、心というかどうなっちゃうのかな」


不安になって言った里桜の言葉にファメールはため息をついて答えた。


「それに関してはどうなるのかまでは僕もわからない。前例が無い以上調べようがないからね。主人格がアルカの様に、現実世界に住んでいた方のリオがなるのか、見た目はどうなるのかも検討がつかない。悪いね」


 スッと手を翳してシャボン玉を消そうとしたとき、ベッドで眠る里桜の傍らに人影が見えてファメールは手を止めた。


「……ヴィベル?」


 そう呟いたファメールの言葉に、アルカ、レアン、そして里桜もそのシャボン玉を見つめた。里桜は驚いて立ち上がり、そのシャボン玉に映し出された映像を食い入るように見つめた。


「叔父さん……」


 叔父はすっかり痩せて里桜が憧れていた頃の姿を取り戻していた。彼はベッドで眠り続ける里桜に何やら話しかけている様だったので、ファメールは詠唱をして音を大きくした。


『……会社を再建させようと頑張ってます。どうにかうまくいきそうですよ』


スーツを着込み、身なりも綺麗に整えた叔父を見るのはどれほどぶりだろうか。と、里桜はそのシャボン玉の映像が本当に現実世界の映像なのかと僅かに疑いの気持ちを持った。


『総一朗は……貴方の父は絶対に無実です。どうにかそれを証明したくて、一人で突っ走り過ぎました。貴方に心配かけまいとしていた事が、逆に追い詰めてしまっていたのですね』


 その言葉を聞いて、里桜はハッとした。

 叔父は元々拒食症の気があった。食が細く、特に肉に対しては拒絶反応が強い。いつも里桜が心配し、「にいに、ちゃんとご飯食べないとダメだよ」と言っていた。

 ——まさか、それを気にして、少しでも里桜に心配かけまいと無理やりに食事を流し込み、太っていたのだろうか……?


『里桜。どうか目を覚ましてください。このままじゃ姉さんに……里桜の母さんに申し訳が立ちません。総一朗の無実を晴らす為、調査に必要な不足した費用を無断で借りてしまった事も、本当にすみませんでした。ちゃんと相談すべきだったのに……罵って、私を憎んで貰っても構いません! どうか、目を覚まして、里桜……。私に、謝らせてください……』


唇を噛み、里桜はただただ困惑するしかなかった。『勝手な事言わないでよ。酷い事しようとしたくせに。今更!』そんな事を思いながらも、叔父に同情する感情も否定できなかった。

 小さい頃は忙しい両親の代わりに叔父がよく里桜の相手をし、遊んでくれた。勉強を教えてくれたり、保育園へのお迎えに来てくれたこともあった。里桜が中学に上がる頃には初恋と言うまででは無いものの、憧れすら抱いていた。

 そして、母親が死んだ時に警察署に里桜を迎えに来てくれたのは叔父だった。彼は放心状態の里桜を抱きしめて、『心配は要らない。必ず全て自分が解決し、里桜を護る』と誓ってくれた。


 そんな叔父が今、小さく寂しそうに肩を震わせて、眠る自分の傍らで祈っている姿が余りにも悲しく映った。


「……私、叔父さんを苦しめるつもりなんか無いのに……ごめんなさい」


 ポツリと言った里桜のその言葉が切ない程に優しく、傷つけられたのは里桜のはずだというのにどうして相手をそうも思いやれるのか、そこが里桜の最大の魅力なのだろう、だからこそこうも彼女に惹かれるのだろう、と、アルカ、ファメール、レアンの三人は納得した。


「聞かなきゃ良かったね」


 僅かにため息を漏らし、ファメールはそのシャボン玉をかき消した。席へと座って自分で淹れたお茶を一口飲んで「冷めちゃった」と、肩を竦めた。


 レアンは里桜に向き直り手に僅かに触れた。


「リオの思う様にすべきです。戻りたいと思うのなら戻るべきでしょう。その時は私も手伝います。貴方一人にアルカを殺させるような真似はさせませんから。そしてここに残りたいのなら、それでもよいと思うのです。ただ、ここに残る事を逃げる事だとは思わないで頂きたい。どちらに決めたにせよ、私はリオの考えに従うまでです。誰にも邪魔はさせません」


 ファメールとアルカは敢えて自分の考えは口に出さなかった。ファメールは里桜に残って欲しかったし、アルカは里桜に現実世界に戻って欲しいと考えた。その考えを口に出せば、思いを押し付ける結果となってしまう。ただ、このまま里桜に選ばせるというのも酷な内容であることは確かだ。


「さて、さっき言いかけた事を話そうか」


ファメールは冷めきったお茶の入ったカップを机の横に寄せ、肘をついた。


「アシェントリアが形成される少し前に、スラーが形成されている。女王の名はリタ・リエンヌ・スラー。彼女は恐らくリオの母親だろう。リオの話から推測すると、リタは死後にこの世界に来たことになる。アルカとも、エルティナともリオとも違った来方なのに国を形成している。妙じゃないか」


「……お母さん……?」


 ファメールは頷くと、「恐らく間違い無いと思う。目元がそっくりだったからね。キミに」と、ため息をついた。


「外交でね、何度か会った事があるのさ。勿論、魔族を毛嫌いしていたから会話にならなかったし、外交も打ち切られた。ところがリオが現れた途端、態度を急変させた。あんな重そうな兜を付けてまでキミを見に来たんだから、よっぽどさ」


 アルカは小さく「あっ」と声を上げた。いつものファメールなら、兜を付けたまま外交に訪れようものなら即刻叩き出している事だろうと、不思議に思っていたのだ。敢えて許したのは、あの外交顧問がリタ女王であると知っていたからなのだ。


「リオ、僕はキミの話の中でどうにも腑に落ちないところがあってね。リタは会った時の印象で言うと、いくら男性相手とはいえ殺されるようなやわなタイプじゃない。もっと知的で相手の考えを察するタイプさ。間違っても酒に酔った夫に殺される様なミスを犯す様な女性じゃないんじゃないかな」


 女医である里桜の母親は、ファメールの言う通り気が強く計算高い女性だった。里桜の父親の会社が倒産し、多額の借金を負う事になった後も何食わぬ顔で働いていた。性格もサバサバしたもので恨み言一つ言うタイプでもなく、里桜はそんな母親が正直あまり得意では無かった。だからこそ尚更に父親の自尊心を傷つけたのかもしれないが。


「ファメールさんの言う通りだよ」


里桜はそう言いながら、ぎゅっと拳を握りしめた。


「お母さんはすごく強かな人だった。だから、どうしてあんなことになっちゃったのか、全然分からないの」


ファメールは頷くと長い睫毛を伏せた。


「現実世界のヴィベルも『総一朗は無実だ』と言っていたね。キミの父親の名だろう?」


里桜は頷くときゅっと拳を握り締めた。

 叔父は恐らく、警察に通報してしまった里桜の罪悪感を掻き立てない様に、敢えてその話題を里桜には話さず、裏で調査をしていたのかもしれない。


「これからキミがどうするのかを決める上でも、キミの母親とは一度話した方がいいと思う。恐らく彼女も僕とレアン同様にこの世界から出られない状況になっているだろうからね。明日、スラーの外交顧問と護衛達を引き連れて炭鉱の視察に出かけるんだ。僕も同行するから、キミも一緒に来るといい。レアン、悪いけど騎士団の精鋭を集めて護衛を頼むよ。何が起こるか分からないからね」

「分かりました」

「僕が出る事は正直相手の罠にはまりに行く様な気もするからね。本当は全部ヴィベルに任せる気でいたから、正直気乗りしないんだけれど」


大きくため息をつくファメールに、里桜は申し訳なく思った。


「ファメールさん、忙しいのにごめんなさい」

「いいさ。キミの為だからね」


ニコリと微笑んだファメールに、アルカは言いづらそうに言葉を発した。


「オレ、エルティナちゃんとデートの約束しちった……」

「別にアルカはいいよ。国王自ら鉱山の案内なんていくらなんでもおかしいじゃないか。外交に関してはリオは普段から僕の仕事を手伝って貰ってるんだから、同行したところでさほど不自然では無いはずさ」


ファメールはぐっと伸びをすると「あー疲れた」と、欠伸をした。


「明日も早いしそろそろ休まないとね。レアン、もう遅いし、泊まって行ったら?」

「いえ、皆心配していると思いますので私は邸宅に戻ります」

「キミは相変わらず律儀過ぎるね」

「兄上こそ、まだ仕事をされるのでは?」

「少しだけね」


 ファメールとレアンがそんな会話をしていると、里桜が「じゃあ、先に休むね。おやすみなさい」と頭を下げて席を立った。

 眠れる自信はとても無いが、少し頭の整理が必要だ。

 アルカが里桜を呼び止めて「部屋まで送る」と申し出たので、「宜しく頼むよ」とファメールはアルカに任せた。

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