第40話 二人だけの夜会
螺旋階段を降りながらアルカは里桜の手を取り、ドレスの裾を踏まない様に気遣った。
「お姫様抱っこで運ぼうか?」
「遠慮します」
「え、でもさ歩き難くねぇか?」
「全然平気だもん」
そっかと言いながら頭を掻いた後、振り返って里桜を見つめると、目が合った途端に里桜はプイと目を逸らした。
「えーと、何か怒ってる?」
アルカがびくびくしながら聞くと、里桜は「別に」と言いながら小さくため息をついた。
「……明日、エルティナさんとデートなんだね」
ギクリとしてアルカは唇を噛んだまま頷いた。
「やっぱり好き合ってるんじゃない。アルカ、ちゃんとしないとダメだよ。エルティナさんがかわいそう」
「いや、違うんだって! うーん……」
煮え切らない様にアルカが首を傾げた後、意を決した様に頷いた。
「軽蔑されるの分かってるから言いづらかったんだけどサ」
そう前置きをした後に、灰色の瞳を里桜に向けた。
「オレ……というか、オレの中のアダムがエルティナちゃんの処女を奪っちまった。その責任はオレにある。それなのに、オレはアダムを封印しちまってるから、エルティナちゃんは想い人に逢えずじまいだ。そんな時に、エルティナちゃんからオレの時間をくれって迫られちまってさぁ。アダムの代わりをするのもオレの責任だって思ってたんだけど」
困った様に頭を掻くと、アルカは大きなため息をついた。
「まさかエルティナちゃんがアダムじゃなくオレを想ってるとは全然考えて無かったんだ。いや、正直彼女は全く悪くねぇぜ? 美人だし、優しいし。けど、オレはこの世界の奴じゃないわけだし、誰かとつきあったりだとかしたらダメなんじゃねぇかな。だから、彼女の事をそんな風に想って無かったし、好きかどうかって言われちまうと、正直どう答えたらいいもんか、困っちまう」
押し黙ったまま螺旋階段を下りる里桜に、アルカはやはり軽蔑されたかと不安になりながら言葉を続けようとした。
「彼女に対して好きだとかそういう感情は、オレは……」
「アルカ」
里桜はアルカの言葉を遮ると、首を左右に振った。
「ごめんなさい。もういいよ。エルティナさんにも申し訳ないもの。私が聞く事じゃないよ」
階段を下りて廊下を歩きながら、アルカは両手を頭の上に組んでため息をついた。
——明日のデートで個人的にエルティナちゃんと会うのは最後にしよう。それはそれで酷いのかな? でも、エルティナちゃんと里桜が融合したらどうしたもんか。そうなったら里桜はアシェントリアの女王になるってことなのか?
廊下でピタリと足を止めて、里桜は広間の様子を覗き込んだ。灯りが落とされてガランとして静かで暗い室内に小さくため息をつく。
「あんなに賑やかだったのが嘘みたいだね」
「ああ。普段は使ってねぇ部屋だしな」
「とっても楽しかったよ。素敵なパーティーだった。ありがとう、アルカ」
「あー、いや……」
アルカはニッと笑うと、里桜の前に跪いた。
「オレと踊ってください」
瞳を閉じて畏まって頭を垂れるアルカに里桜は笑った。
「もうパーティーは終わったのに」
「これから二人だけでさぁ。な? 頼むよ。ちょっとだけつきあってくれ」
「一回だけだよ?」
「やった!」
差し出された里桜の手の甲にキスをすると、アルカはその手を取り、広間の中へとエスコートした。
灯りが落ち、薄暗い広間の中でアルカはパチンと指を鳴らした。広間の燭台に一斉に明かりが灯り、微笑む美しい里桜の表情が照らし出された。
「便利な魔法」
感心した様に言う里桜に、アルカは何も言わずに微笑んで頷いた。
二人はお辞儀をすると、ピッタリと寄り添った。外交パーティーで奏でられていた曲を脳内で再生しながら踊る。
「おお。リオ巧いなぁ」
「アルカこそ。レアンには劣るけど」
「えー!?」
「すっごく上達したんだよ。見てなかったの?」
クスクスと笑う里桜が可愛くて、アルカは灰色の瞳を細めてじっと里桜を見つめた。
「見て無かった。リオしか」
「え?」
「レアンなんか目に入らなかった。余りにもリオが綺麗で」
「歯の浮く台詞禁止!」
アルカはふっと笑うと、「ホントだって」と、困った顔をした。
「ゴメンな……リオをすぐに帰してやれなくて。けど、ファメールも納得してからじゃないとやっぱり意味が無い。納得する日なんか来るのかよって話だけど、でも、帰りたいなら説得するしさ、待ってくれねぇか?」
「うん。いいよもう。私、この世界に居るよ。現実世界には戻らないから」
叔父の事は気になるけれどと里桜は俯いた。
里桜の母親である姉が死に、彼も心細かったのかもしれない。母方の祖父母は既に他界しているので、叔父にとっての唯一残された家族である姉が尊敬していた義兄に殺されてしまったのだから。
「アルカは現実世界に未練は無いの?」
「無いな」
即答し、寂しげにアルカは微笑んだ。
「オレはこの世界がすごく気に入ってる。ファメールやレアンとバカやりながらずっと過ごしていけたらどんなにか幸せだろうって思ってるんだ。けど、そんなのはオレの我儘だ。だから、二人を開放しなきゃって、そう思ってた。……いや、実際そうなんだと頭では分かってるはずなんだ。偽物の世界で生き続けてたって、何の解決にもならないんだからな」
「逃げる事は悪い事ではないみたいだよ」
里桜は微笑み「レアンがそう言ってた」と、ブルージルコンの瞳を細めた。
「今思えば、レアンはアルカの事、この世界の事情も踏まえた上で言ってくれてたんだね。だからきっと、レアンはアルカの作ったこの世界が好きなんじゃないかな」
レアンはあまり多くを語るタイプではないが、そんな風に思ってくれていたのかと、アルカは意外に思った。生真面目なレアンの事だから、こんな世界に巻き込んでしまって実は内心怒っているのではないかと心配していた。
「そっか……。今度、レアンとちゃんと話さないとな。オレがあいつらから逃げてるんだ。向き合わないとな」
「レアンは優しいじゃない。とっても」
「うん。あいつ、昔っから黙って気遣ってくれる良い奴でさ、何て言うか、あいつと居ると安心するんだ。それなのに、引け目だけを感じて、ついマトモに会話せずに居ちまった」
アルカは灰色の瞳を細めると里桜を見つめた。
「リオ、今度さ、四人でどこかに出かけないか? リオが居てくれると話しやすいんだ。ちゃんと話せる気がする。逃げずに、さ」
「私で良ければ」
里桜のブラウンの髪に触れ、アルカは愛しそうに見つめた。
「……リオ、教えてくれ。どうしてオレを気遣ってくれるんだ? 心配してくれるのはどうしてなんだ? オレは、親の愛情とかそういうものを全然知らずに育ったから、どう接していいのかとかよくわからなくて」
「アルカの事が大事だからじゃないかな」
「オレが大事?」
「うん。当たり前でしょ」
アルカの目が理解できないと言った風に泳ぎ、俯いた。里桜はそれを不思議に思ったものの、アルカを安心させたくて微笑んで手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめた。
「アルカは私を助けてくれたじゃない。アルカだって、私を大事にしてくれてるでしょう? 私もアルカが大事だよ」
「大事……? オレを?」
「うん」
「オレなんかを……?」
「うん。
アルカは唇を噛みしめた。
——親にも、誰にも愛されずに育ったオレは欠陥品だ。人を愛する事もできないに決まってる。いつも軽い素振りで愛想だけよくして、上辺だけ取り繕っていれば楽だった。
……裏切られた時傷つかずに済むから。
「怖いんだ、リオ。オレは欠陥品だから」
「欠陥品? どうして?」
「オレは、誰からも愛されやしない」
「そんなことないよ! アルカが教えてくれたんじゃない。『周りを変えたかったら自分が変われ』って。私、そうしたんだよ。周りを拒絶していた気持ちを止めて、ちゃんと向き合おうって、頑張ってるの」
「自分に向き合う……か」
——現実世界では変えたくて、変わりたくて努力したけれど、結局誰もオレのことなんか見ちゃくれなかった。それに絶望した。絶望の中で更に、二人の兄弟を欠陥品の自分のせいで失って、尚更に自分に絶望した。
リオの真っ直ぐなブルージルコンの瞳で見つめられる度に、愛しさと恐怖を味わった。自分の欠陥部分を見透かされてしまいそうで、怖かった。
「はは、オレ。みっともねぇ。リオに惨敗」
「全然。アルカはいつだってかっこいいじゃない。くやしくなっちゃうくらいに」
里桜はクスクスと笑うと、アルカの背を両手でポンポンと叩いた。
甘い香木の様な香りが里桜の鼻を擽る。安心する良い香りだなと里桜はすぅっと息を吸い込んだ。
「ねえ、アルカ。
「……ああ」
アルカは微笑むと「オレがオレでいる為の魔術さ」と、ため息をついた。
「え?」
「夢現逃花は三カ月に一度だけ花を閉じるんだ。だからその時だけオレはアダムになっちまう」
里桜の脳裏に、アルカと行った夢現逃花の花畑が浮かび上がった。淡い光を放つ白く小さな花々が咲き乱れる幻想的な風景が、一斉のその花を閉じたのならば、暗い闇だけが広がる光景へと一変することだろう。
「そっか。ファメールさんが言ってた
里桜は匂いを嗅ぎ「じゃあこの香りはアルカ専用だね」と微笑んだ。
「こう、ぎゅってしてるとリオにも匂いが移るだろうけれどな。なんかいいな、オレの匂いに染めるっていうか、独占欲が刺激されるぜ」
「またおかしなこと言って」
里桜がアルカから離れようとすると、アルカはぎゅっと抱きしめた。
「ごめん。もうちょっとだけ、このままで」
アルカは自分の腕の中で感じる里桜の温もりや、彼女が呼吸する時の動きを味わうようにじっと瞳を閉じた。里桜が自分の事を想ってくれなくても、自分は里桜を想い続けたい。自分の身を犠牲にしてでも彼女を守ろう、必ず。心の中でアルカはそう誓った。
「あの、アルカ」
「ん?」
「緊張するんだけど……」
顔を真っ赤にして照れる里桜に笑うと、アルカは彼女の頭を撫でて「ごめん」と離れた。
「あ、明日早いし、寝ないとね! 寄り道させちゃってごめんね」
「いや、オレが誘ったんだ。つきあってくれてありがとう、リオ」
アルカはニッといつもの調子で笑うと、「リオに慰めて貰えて得したぜ!」と言った。
廊下へと出て、二人は再び歩き出した。群青色の絨毯を踏みしめながら歩き、「今日は色々あり過ぎて疲れた」と、話しながら歩くうちに里桜の部屋の前へとたどり着いた。
「ねえ、アルカ」
「ん?」
「……私、ね。なんだかすごく嫌な子なの」
「え? どの辺が!?」
良い子以外何も無いだろう、と、アルカはポカンとして里桜を見た。
「アルカがエルティナさんと仲良くすると、なんだか、もやもやするの。どうしてかな」
「……え?」
「エルティナさんとデートするって聞いた時、嫌だなって思っちゃったの。アルカが居ない時も、エルティナさんのところに行ってるんだろうなって思って、ずっともやもやしてた。二人の関係を聞いて、悲しいことなのかもしれないのに、それでもエルティナさんが羨ましいなんて思っちゃったの。私、すっごく酷いよね。軽蔑されるのは私の方だよ」
アルカは頭を左右にぶんぶんと振った。
「リオ、全っ然酷くなんかねーし、嫌な子でも何でもねーぜ? それに、その……それさ、ひょっとして……」
ズキズキと痛む心に耐えようと瞳を潤ませながら、里桜はアルカを見上げた。その瞳が余りにも美しく、アルカは吸い込まれる様に里桜を見つめた。
見つめ合いながらそっと彼女の唇に親指で触れた。驚く程に柔らかい感触にぎゅっと胸が締め付けられる様な感覚がアルカを襲う。
優しく頬を撫で、顔を近づけると、里桜が瞳を閉じた。アルカもそのまま瞳を閉じ、彼女の唇にそっと触れるようなキスをした。
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