第4話 優しき騎士
王都に到着した里桜は思わず感嘆の声を漏らした。石造りの家々が連なる街は活気が溢れ、色とりどりの布で仕切られた露店が立ち並び、街道は沢山の人々で賑わっていた。
その、『人々』というのも、アルカの言うように魔族は本当に個性豊かで、角や翼のあるものや、肌の色も様々なら、獣や爬虫類の融合の様な者もいた。
アルカもひょっとしたらその立派な詰襟の服を脱ぐと、鱗があったりするのだろうかと里桜は考えて、それならば少し見てみたい気もするなと思った。
「よし。着いた」
アルカがフワリと馬から降りて里桜に手を差し伸べたので「一人で降りられるよ!」と、突っぱねた。
馬に乗っている間ずっと体がひっついていたのだ。今日知り合ったばかりの男性相手に里桜の緊張はピークに達し、最早限界だった。
アルカは里桜の態度を特に気にした風も無くニッと笑うと、「レアン、居るー?」と、石造りの立派な邸宅の門の前に立つ門番にあっけらかんと言った。
門番は慣れた様に頷くと、「剣の稽古中と思われます」と笑顔で答えた後、アルカの後ろでおどおどと身を縮める里桜を見たが、特に何の指摘も無く邸宅の中へと招き入れた。
ムアンドゥルガ王都の南側にあるこの邸宅は、ムアンドゥルガ王城に仕える騎士団長レアンの邸宅だった。一見、邸宅というよりは砦のような殺風景な建物で、休暇中だと言うのに剣の稽古をしているレアンという人物を想像するには、ありのままを表していると言えるだろう。
武骨で生真面目で熊の様な大男であるに違いないと想像し、里桜は一人緊張感で押しつぶされそうになっていた。
頑丈そうな門を潜り踏み固められた土の庭へと出ると、剣の素振りに勤しむ青年の姿を見つけ、アルカは「レアン!」と、声を発した。
レアンと呼ばれた男性が振り向きアルカを見る目は明らかに不機嫌そのもので、里桜は少し怖いと思ったが、アルカは全く気にした様子も無くブンブンと手を振って、愛嬌のある笑みを浮かべていた。
「アルカ。何をしに来たんです?」
稽古用の剣を置き、額の汗を拭いながらレアンはそう言い放った。見た目の年齢ではアルカと同じ位の様にも見えるが、雰囲気はアルカよりもずっと落ち着いている様に感じる。
マリンブルーの瞳に藍がかった黒髪の彼は、近づくと驚く程背が高く、長身のアルカよりも更に高い事に困惑し、里桜はピタリと足を止めた。
こんな外国人バスケットボール選手のような大男に襲われたらひとたまりもない……と、里桜は全身が強張る感覚になり、アルカとレアンから少し距離を置いたところから動けなくなってしまった。
「大丈夫だぜ? こいつ、ガタイはでかいけど、怖くないぜ?」
平気だと言わんばかりに手を差し伸べるアルカにも、里桜は唇を噛みしめたまま近づく事をしなかった。
「不可思議な出で立ちをしていますが、その方は?」
またどうせ面倒ごとだろう、と、うんざりした様子でレアンがため息をついたので、里桜は増々萎縮した。
「あー、えーと……。確かにちょっと変な恰好だな。名前はリオ。な?」
里桜は頷きそのまま俯いた。
どうしよう、レアンとかいう人、優しそうだけれど背が高すぎて怖い。アルカよりもずっと筋肉質で、あんな太い腕で暴力でも振るわれたら……と、里桜は僅かに震える両肩を抑えた。
彼がアルカの言う騎士団の団長なのだろうか。ということは、自分はこの人の世話になるのだという事だ。
……そんなの絶対無理……。
黙りこくる里桜に、レアンは自分の体が大きいがために怖がらせてしまっているのだろうと察し、アルカに視線を向けた。
「一体どこから連れて来たんです?」
「アシェントリアとの国境」
「また洞窟に行ったんですか!? 日中は兄上に止められていたでは無いですか!」
「うん」
「うんって……」
「まあ、んなことはどうでもいいだろ?それより、リオは帰る家もねぇらしいし、可哀想じゃねぇか」
「何故帰る家が無いんです?」
くいと顎を里桜へとアルカが向けたので、レアンも里桜に視線を向けた。里桜の不可思議な恰好を見て、成程、アシェントリアの奴隷か何かで、逃げてきたのだろう、とレアンは思った。
……なんだろう、やけに自分の服装が奇異の目で見られている気がする、と、里桜は恥ずかしくなり、顔を真っ赤にすると、レアンが優しく微笑み、里桜の前にそっとしゃがみ込んだ。
「失礼な事を言ってしまい、気を悪くさせてしまったのなら謝ります」
「う……ううん! 全然っ」
首を左右に振る里桜に、レアンは「良かった」と、ホッとした様に微笑んだ。その笑顔が大きな体のわりに優しく気遣う笑顔だったので、里桜はじっとレアンを見つめた。
「アルカに無理に連れてこられて困惑していることでしょう。何か冷たい物を用意させますから、ゆっくりしていってください」
里桜に合わせて目線を低くしゃがみ込んだまま話すレアンは紳士的で、乱暴をする様な男性では無い様に感じられた。いいや、しかし油断は禁物だ。叔父だって、元々は優しく温厚な人で、とても暴力を振るうようなタイプでは無かったのだから。
「……有難うございます」
ポソリとそう言うと里桜は僅かに会釈をし、ぎこちない笑みを浮かべた。今の里桜にとってはそれが精いっぱいのレアンに対する対応だった。
アルカは調子良くヘラヘラと笑うと、二人の様子に口を挟む様に言葉を発した。
「それで。だ。リオ、オレん家はガミガミおっかないヤツが居るからサ、悪いけど暫くレアンの家に厄介になって貰うから、宜しくな?」
「は!?」
レアンが素っ頓狂な声を上げ立ち上がると、「何を勝手に決めているんですか!」と、怒鳴った。その怒鳴り声に、里桜はビクリと身を縮めた。
「冗談を言う場ではありませんよ!」
「いーじゃねーか。一人じゃ広すぎるだろ? こーんな殺風景なところだしさぁ。居候の一人や二人増えたところでどーってことねーだろ?」
「いえ、ちょっと待ってください!」
「あ、因みに女の子っぽい顔してるからって、リオを襲ったらダメだからな? お前そっちの気は無いはずだけど」
「は!?」
この男は何を言っているのだ! と、レアンはバスンと頭の上から湯気を上げて、アルカを睨みつけた。
「バカなことを言っている暇で少しは仕事をしてくださいよ!」
「まあまあ、剣の稽古でもつけてやれよ。お前はどーせ嫁も彼女もいねーさびしー身の上なんだし? 剣相手に友達ごっこしてるよりかは人間相手の方がよっぽど健全じゃねーか」
「アルカ!」
「じゃあオレ、ちょっと用事あるからさ。じゃあな!」
「ちょっと! そんな、強引な!」
口達者では無いレアンを丸め込むようにアルカは早口で強引に話を進めた。
そしてレアンが慌てふためく間にさっさと手を振り、その場を逃げる様に立ち去るアルカの背をあっけにとられて見送った後、レアンは苛立ちで頭を掻きむしった。
以前は捨て猫を拾ったと押し付けられ、ある時は道に迷っていた男を騎士団で雇えと言い、今度はアシェントリアの逃亡奴隷か! まったく、あの男は毎度毎度私をなんだと思っているのだ! と、憤然とするレアンを、怯えた様に里桜が見上げたので、一度冷静になろうと深呼吸をした。
「えーと、自己紹介が遅れました。私はレアン・コルト・ディリアーズ。この国の騎士団で団長を務めております。今日はたまたま非番でして邸宅におりましたが、普段は城に仕えている身です」
地面に座り込んで体を震わせる里桜のあまりの怯えぶりにレアンは驚いて、一体今までどのような生活を送っていたのかと怪訝に思った。
奴隷という者がこのムアンドゥルガには居ないので深く理解はしていないものの、よっぽどの酷い目に遭っていたに違いない。
アルカがどういう経緯で洞窟から連れ帰ったのかは分からないが、あの男は考え無しのバカではあるが、曲がった事を嫌い、思いやりのある優しい心を持っている事は間違いない。弱い者を守るのは騎士の役目。優しくしてやらなければかえって心の傷を深くする事になってしまう。そんな事は決してしてはならない。
「リオ、と言いましたか。人間の身で突然魔国に連れて来られてさぞ心細いでしょう」
里桜は唇を噛み、瞳に浮かぶ涙を擦ってレアンを見つめた。
「あの……私、剣の稽古をするの?」
「リオが嫌なら無理強いはしません。ですから、そんな風に怯えずとも大丈夫です。さぁ、ここは暑いですから、邸宅の中へ入りましょう」
そう言って里桜の頭を撫でた。レアンの手が大きい事に驚き里桜はぎゅっと瞳を閉じたが、その大きな手は温かく心地よかった。
レアンの手の心地よさがいやに心に染みる。ぐすぐすと涙を零しながら、里桜は自分の気持ちを静めようと深呼吸をした。
「ごめんなさい、役立たずで」
「役立たずも何も、貴方は客人です」
「でも、居候になるのに練習相手にもなれなくて」
「剣が苦手なのですか?」
「うん。刃物がダメ。怖いの」
「その事を、アルカは?」
「言ってない。ごめんなさい。私、ただのお荷物でしかないのに言い出せなくて」
そんな事を言ったのなら、この世界では生きていけないのではと思った。折角自分に優しくしてくれたアルカにまで呆れられ、見捨てられてしまったらどうしたら良いのか、と、里桜はずっと不安を押し殺していた。
「どうかここに置いてください。お手伝いできることなら何でもします。アシェントリアに帰れとは言わないで。お願いします!」
泣きじゃくりながらそう訴える里桜を、レアンはため息をついて見つめた。
「泣かずとも大丈夫ですよ。そんなに泣いては、喉が渇くでしょう。何か飲み物を用意させますから、さあ、屋内へどうぞ」
差し伸べるレアンの手を取り、立ち上がろうとした時に、里桜はふらりとよろめいた。
思い返せば道路工事警備の夜勤明けで、仮眠をとってもいないままあれよあれよと今に至るのだ。里桜の体力も精神力もとっくに限界を迎えていた。
倒れ込む里桜をレアンは受け止めると、よっぽど疲れたのだろう、と不憫に思い、里桜を抱きかかえた。そしてそのまま邸宅内へとそっと運ぶ事にした。
驚く程に軽い里桜に増々不憫に思い、レアンは唇を噛んだ。が、まるで赤子の様な肌の柔らかさを感じる事に戸惑った。奴隷であれば日に焼けて肌も乾燥しているだろうと思ったからだ。何か深い理由があるに違いないが、少なくとも酷い環境に身を置いていたからこそあれほどにも必死に国に帰りたくはないと言ったのだろう。
「貴方をアシェントリアに帰す様な真似は決してしませんから、安心して眠ってください」
レアンの両腕に優しく抱き抱えられながら、心地の良い安心感に包まれて里桜はそのまま深い眠りについた。
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