第50話 幕引き

 ユキトとクーレルが部屋の入口に視線を向けると、そこにはアリス、ララ、ジェイクの姿があった。


「……あいつらを倒したか」


 感心したようにクーレルがつぶやく。


「ユキト、ケガしてる……!」


 ユキトの負傷を目ざとく見つけたララが、彼に駆け寄ろうと一歩踏みだしたその時。


「くるな!」


 ユキトが、鋭い声音で彼女を制した。


 その声に、ララはピタリと動きを止める。だが、ユキトを見つめる彼女は、心配そうな表情を浮かべていた。


「大丈夫。ユキトだって強くなってるんだから。ここは、あいつを信じましょ」


 と、アリスが優しくララを諭す。


 彼女がうなずいたのを確認すると、アリスは、


「ユキトー! あんたがやられたら、私が代わりに倒すからね!」


 と、本気とも冗談ともとれない発破をかけた。


「ざけんな! あいつを倒すのは、俺だっつの!」


 ユキトは、アリスにそう返すと回復魔法を自身の太ももにかける。時間はかけられないため、詠唱破棄のとりあえずのものだ。止血さえしてしまえば、痛みは意地で耐えればいい。


(サンキュー、アリス!)


 言葉ではああ言ったものの、ユキトは心の底ではアリスに感謝していた。自身の心の動きをクーレルに知られていたことに動揺して、心が折れかけていたのだ。


「――ぅっし! 待たせたな、クーレル。再開といこうぜ!」


 と、クーレルに声をかけるユキト。手にしている剣は、いつの間にか炎をまとっている。


「ていうか、律儀に待っててくれるなんて優しいじゃん」


 ユキトがそう軽口を叩くと、


「ただの気まぐれだ」


 と、クーレルは鼻で笑う。


 直後、ノーモーションで漆黒の杭を複数作りだすと、ユキトへと放った。


 対するユキトは、剣を床に突き刺すと両手を前に突きだして、


「月の青。浄化の光。すべてを飲み込み無に帰せ。『清麗なる月の鏡リグレット・ミラージュ』!」


 と、呪文を唱える。


 すると、ユキトの前方に青白く光る円形の鏡が出現した。ユキトの両手を中心に展開されたそれは、およそ一メートルほどだ。頭や胸など急所になり得る部分を守ることができる大きさである。これ以上の大きさになると、消費する魔法力が段違いに跳ねあがるのだ。


 ユキトを串刺しにせんと飛来する杭は、音もなく鏡に吸収された。


 清麗なる月の鏡リグレット・ミラージュは、相手が放った魔法を吸収する防御魔法である。防御魔法は他にもあるが、これは対魔法防御に特化している。習得さえすればすぐにでも使える、扱いやすい魔法の一つだ。


 清麗なる月の鏡リグレット・ミラージュが、漆黒の杭をことごとく吸収すると、ユキトはそれを解除して床に突き立てた剣を取る。刃に炎をまとわせて、床を蹴った。


 クーレルも同じ考えなのか、愛用の刀に黒紫こくし色の炎をまとわせ、ユキトへと駆ける。


 部屋の中央で、ユキトとクーレルが衝突する。互いの刃がぶつかり合い、文字通り火花を散らす。


 二人の打ち合いは激しさを増し、剣戟の音だけが響く。


「……いい加減、負けを認めろっての!」


 何度目かのつばぜり合いの時、ユキトがそう口にした。


「負けを認める? この俺が? ……ふん、笑わせる!」


 そう言って、クーレルはユキトを弾き飛ばした。


 受け身を取ったユキトは、体勢を立て直すと、


「カミーラもアルフレッドもやられたんだ。お前一人しかいないんだぜ? それでも、まだ世界を壊そうって?」


 もう諦めろと、エルザにかけられている魔法を解けと、ユキトはクーレルの説得を試みる。


「……生憎だが、説得に応じる気はない。たとえ、俺一人でも世界を壊すことはできる。耳をすましてみろ。聞こえるだろ? 絶望する奴らの声が」


 と、愉悦の笑みを浮かべるクーレル。


 そんな彼をにらみながら、ユキトは辺りの音に意識を向ける。すると、今まで聞こえていなかった喧噪けんそうが急に聞こえてきた。恐怖に怯える声や悲鳴、戦闘が行われているだろう音、断末魔……。


 それを認識してしまったとたん、ユキトの中にどす黒い感情が噴だした。


「クーレル、お前……!」


 低くつぶやくと、太ももの痛みも忘れてクーレルに斬りかかる。


 ユキトの怒りに呼応して、刃を包む炎が先ほどよりも威力を増している。だが、その攻撃は、クーレルによってたやすくいなされてしまった。


 諦めることなく斬りかかるユキト。それを、クーレルは余裕の表情であしらっていく。


「そんなに、俺が憎いか?」


 心底楽しそうに問うクーレルに、ユキトは眉間のしわを増やして、当たり前だと鋭く告げた。


「殺せよ。どうあっても、俺は世界を壊すぜ。それを止めたいなら、あの女王を助けたいのなら、俺を殺すしか手段はない」


 だから自分を殺してみせろと、クーレルが煽る。


 あの女王とは、ラクトア王国の女王エルザのことである。彼女は、特殊な広域魔法でこの世界の秩序の均衡を守ってきた。だが、クーレルの魔法、悠久氷結ナイトメア・クリスタルによって氷漬けにされてしまい、秩序の均衡が崩れたのだ。


 悠久氷結ナイトメア・クリスタルは、相手を氷漬けにする魔法である。氷漬けにされた人物は、死ぬことはないが、時間が止まったまま悠久の時を悪夢の中ですごすことになるという代物だ。解除する方法は、術者が解除するか死ぬかのどちらかしかない。


 ユキトは、奥歯を噛みしめると剣を思い切り振りおろした。


 クーレルはにぃ……と口角をあげ、一瞬でユキトとの間合いを詰める。


「――っ!?」


 驚くユキトを尻目に、クーレルは湾曲した刀を横に薙ぎ、ユキトの脇腹を捉えた。


「大振りの攻撃は、避けてくれって言ってるようなもんだって教えなかったか?」


 ユキトの耳もとで、クーレルはそうねっとりと告げる。疑問形ではあるが、問いかけているわけではなくて。ユキトの心の片隅にある恐怖を呼び起こすためだ。


 ユキトが反応する前に、クーレルは刀を振り抜いた。


 うめき声をあげるユキトは、剣を振りおろした勢いのままその場に膝をついた。


「ユキト!」


 思わず、アリスが声をあげる。


 その声に、クーレルがちらりと視線を向ける。ただそれだけなのに、アリスは動くことができなかった。


 冷めた視線を向けたクーレルだが、それはほんの一瞬のことで。興味を失くしたかのように視線をはずすと、クーレルはゆっくりとユキトに近づいた。


「さっきまでの威勢のよさは、どこにいったんだ? なあ、白うさぎ。俺を倒すんだろ?」


 もっと楽しませろと言わんばかりに、クーレルが挑発する。


 ユキトは、歯を食いしばり脇腹を抑えながら、クーレルをめつける。


「いい目だ。お前みたいに闘争心がある奴は、実にいたぶりがいがある」


 そう言うと、クーレルはおもむろにユキトの左腕を取った。


「放せ、よ!」


 そう言って、クーレルの手を振り払おうとするユキト。しかし、彼の力が相当に強いのか、振り払うどころか腕を動かすこともできなかった。


(くそっ! どうする?)


 何か打開策をと思考を巡らせていると、クーレルが醜悪な笑みを浮かべながら、ユキトの左腕を後ろ手にひねりあげる。


 嫌な予感がした。直感が、早く逃げろと警告する。だが、振りほどけない以上、反撃することもままならない。


「やめろ! 放せ!」


 強がりながら叫んでも、クーレルは聞く耳を持たない。


 ひねりあげられる左腕は、次第に悲鳴をあげるように痛みだす。


「や、やめろ! ……嫌だ、放せ! やめろ!」


 痛みと恐怖に、ユキトの声がうわずっていく。だが、クーレルは愉悦の表情を浮かべて、ゆっくりとひねりあげていく。


 震える声でやめろと言おうとした矢先――。


 ボキィッ!


 ものすごい音とともに、猛烈な痛みがユキトを襲った。左の二の腕の骨が折れたのである。


「あああああああああああっ!」


 ユキトの絶叫が響き渡る。


「いい声で鳴くじゃないか」


 と、クーレルがうっとりしながらつぶやいた。どうやら、ユキトの悲鳴がお気に召したようだ。


 もっと聞きたいと、クーレルがユキトの腕に攻撃を加えようとした瞬間、銃声が鳴り響いた。銃弾が、クーレルのほほをかすめる。


 視線をあげると、アリスとララがクーレルを睨みつけ、ジェイクが銃口を向けていた。


 直後、二発、三発と銃弾が飛んでくる。それを避けるため、クーレルはユキトとの間合いを取った。


「慌てなくても、ちゃんと殺してやるよ」


 だから大人しくしていろと、クーレルが告げる。


 女性陣はそれに答えず、いつでも攻撃できるように武器を構えている。


「……させる、かよ」


 息も絶え絶えに、ユキトが立ちあがる。その赤い瞳には、いまだ闘志が宿っている。


「その状態でも立ちあがる、か」


 クーレルは感心したように言うと、


「いいだろう。お前の闘争心に免じて、一撃で殺してやる」


 いつの間にか消えていた黒紫色の炎を、刀の刃にまとわせた。


黒紫こくしの炎。闇の深淵――」


 クーレルが呪文を唱えると、炎の威力が増していく。


「真紅の炎。希望のかけら――!」


 ユキトも片腕で剣を構え直すと、呪文を唱えて真紅の炎を再度刃にまとわせた。その威力は先ほどよりも増し、炎の中に多数のきらめきが混じる。


「――絶望とともに果てるがいい。くらえ! 『破滅の牙ガルファング・ウィザード』!」


「――星のようにきらめいて暗闇を払え! 『聖なる輝きを帯びし炎の剣クレセント・フレイム・バスター』!」」


 二人が、ほぼ同時に振りあげた武器を振りおろすと、ひょうの形をした紫黒しこく色の炎と大きな深紅の炎の斬撃が互いに向けて放たれた。


 深紅の斬撃を喰らおうとする紫黒色の豹。だが、深紅の斬撃はそれよりも大きく、真正面から向かってくる豹を真っ二つに切り裂いた。


「――何だと!?」


 自分の技が破られるとはつゆとも思っていなかったクーレルは、驚愕のあまり目を見開いた。今まで、破滅の牙ガルファング・ウィザードが破られることなんてなかったのだ。


 呆然と立ち尽くすクーレルに、斬撃が襲いかかる。とっさに身をひるがえすが、かわすことはできなかった。右腕を切断され、苦痛に顔を歪ませる。


「これで……終わりだー!」


 いつの間にかクーレルとの間合いを詰めていたユキトが、渾身の一撃をくりだす。


 それを防ごうにも、クーレルには手段がなかった。武器を持っていた右腕は、先ほど失ったのだから。


「――っ!」


 戦いは、あっけなく幕を閉じた。ユキトの剣が、深々とクーレルを突き刺したのだ。

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