第1話 中止になった入団試験

 窓から見える空は、透き通るような青で彩られていた。雲一つない光景に、ユキト・モーリスは目を奪われる。


「ユキト? 食べないの?」


 ふいに、正面から声がかけられた。視線を戻すと、鮮やかな金髪をポニーテールにまとめた少女が怪訝けげんな表情をしている。ユキトの幼なじみのアリス・イルフィートである。


「いや、食うけどさ……。空がやけにきれいだと思って」


 ユキトはぶっきらぼうにそう言って、ビーフシチューを一口食べる。濃厚なコクに思わずほほが緩んだ。


「ユキトがそんなこと言うなんて、珍しい! 雪でも降るんじゃないの!?」


 大袈裟に驚くアリス。でも、その表情には、からかいの笑みが浮かんでいる。


「うっせ! 別にいいだろ、きれいなのは本当のことだし」


 ユキトは、口を尖らせながらそっぽを向く。


 視界に映るのは、窓から見える庭園と青空。その華やかな景色に、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。


「相変わらず仲がいいな、二人とも」


 と、聞きなじみのある声が横からかけられる。


「兄貴!」


「クロトさん!」


 声のした方を向いたユキトとアリスが同時に声をあげる。そこにいたのは、クロトと呼ばれた灰色の髪と同色のうさぎ耳を持つ男だった。


 クロトは久しぶりと言いながら、手にしていた料理ののった盆をテーブルに置いた。どうやら、彼も今から食事を取るらしい。


「隣、いいかな?」


「もちろん!」


 たずねるクロトに、アリスは満面の笑みで答える。彼女は、幼い頃からユキトの兄であるクロトが好きなのだ。それが恋愛的なものなのか、単なる憧れなのかはユキトは知らない。もしかしたら、アリス自身もわかっていないのかもしれない。


「なあ、兄貴。この後って実戦形式なんだろ? 武器って本物使えるの?」


 ユキトが、赤い瞳をキラキラと輝かせながら兄にたずねた。


「実践形式って言っても模擬戦だから、武器は木刀だよ」


 期待には沿えないけれどと、クロトは優しく言った。


「ちぇっ、つまんねーの」


 がっかりしたようにユキトがつぶやく。先ほどまでピンと立っていた白いうさぎ耳は、しょんぼりと力なく垂れてしまっている。


 ユキトとアリスは、ラクトア王国騎士団の入団試験を受けるために首都ラクトールにあるラクトア城にきていた。午前の筆記試験を終え、城内の食堂で食事をしている最中である。


 もちろんこの三人だけでなく、他の受験者や騎士団員たちも談笑しながら多彩な料理に舌鼓を打っていて、食堂内はいつにも増してにぎやかだった。


「まったく。どうしてユキトは、そんなに本物の武器使いたいわけ?」


 アリスが呆れたようにたずねた。


「どうしてって、かっこいいからに決まってるじゃん!」


 それ以外に何があるとばかりに、自信満々に答えるユキト。


 彼の純粋な主張にアリスは深いため息をつき、クロトは相変わらずだと苦笑する。


「本当に、あんたって子どもだよね」


「なんだよ。そういうお前だって子どもだろ? 俺と同い年で十五歳なんだから」


 ユキトが抗議すると、アリスはまたため息をついた。


「そういうことじゃないの。考えてることが子どもだって言ってんのよ」


「じゃあ、アリスは違うっていうのか?」


「そりゃあね。私が本物の武器を使いたいのは、エルザ様をお守りするためだもの」


 だから子どもっぽいユキトとは違うのだと、アリスは胸を張る。


「そういえば、アリスちゃんは昔からエルザ様が好きだよね」


 クロトが言うと、彼女は大きくうなずいた。


「大好きです。最推しです! というか、エルザ様のいない世界なんて考えられません!」


 と、やや早口に告げるアリス。好きなものを語る彼女の青い瞳は、宝石のように輝いている。


(……アリスだって、俺と似たようなもんじゃん)


 彼女の笑顔を見ながら、ユキトはそんなことを思った。けれど、口には絶対に出さない。言葉にしてしまえば、無益な堂々巡りが始まってしまう。それは、どうしても避けなければならない。ユキトは、これまでに一度もアリスに舌戦で勝ったことがないのである。


「それはそうと、模擬戦って魔法も使っていいの?」


 話題を変えようと、ユキトは兄に質問した。


「ああ、もちろん。ただ、威力の制限はつけさせてもらうけどな」


 と、クロト。模擬戦での死者や重傷者を出さないための措置だそうだ。


 クロトは、ラクトア騎士団に所属している騎士である。六年前――彼が十八歳の時に、今のユキトと同じように入団試験を受けて騎士になった。主戦力として活躍しているので、入団試験の時には一審査官として参加している。こと今回の試験に関しては、模擬戦の主審を任されているのだ。


「そっか……。へへっ、腕が鳴るぜ」


 つぶやくユキト。どんな相手と対戦するのか、今から待ちきれない様子だ。


「初戦で負けたら承知しないわよ。あんたを負かすのは、この私なんだから!」


 余裕そうな笑みを浮かべるアリスは、ユキトにそう宣戦布告する。


「そっちこそ、他の奴に負けて泣きべそかくなよ!」


 売り言葉に買い言葉で、ユキトはアリスのそれを受けた。二人は互いに、相手のことをライバルだと認識しているのである。


 ユキトとアリスが好戦的な視線を交わしていると、足早にこちらに向かってくる足音が聞こえた。見ると、濃紺の軍服に身を包んだ龍人の男が、険しい表情でやってくる。クロトと同じ服なので、騎士団員の一人だろう。


 それに気づいたクロトが仕事モードで何かあったのかとたずねると、周辺の空気がピリッとしたものに変わる。龍人の男はクロトの隣にくると、何やら彼に耳打ちを始めた。


 ユキトは、うさぎ耳をピンと立たせて内容を聞き取ろうとした。しかし、遮断の魔法を使用しているのか、まったく聞き取れない。


(アリスの位置からなら聞こえるのかな?)


 と、アリスをちらりと見るが、彼女はきょとんとした顔で龍人の男を見つめている。


(……そういえば、アリスって人間だったっけ)


 ユキトは、アリスが自分とは違う種族だということを今更ながら思い出した。普段、とくに気にしていないし、幼い頃から一緒にいるからその事実を忘れてしまう。


 まあいいやと、兄の方へ視線を戻すユキト。耳打ちされた内容がよからぬことだったのか、クロトの表情は先ほどよりも険しいものに変わっていた。


「……そうか。なら、午後の試験は中止にせざるを得ないな」


 険しい表情のまま、クロトは静かに言った。


「え……中止!?」


 ユキトが思わず声をあげる。


「ああ。試験をやってる場合じゃないんだ」


 実は……と、クロトが説明しようとした矢先だった。


「大変だ! 街に魔物が現れた!」


 と、食堂の入口で伝令の騎士団員が声高に叫んだのである。


 その言葉に、食堂内がざわついた。受験者たちは、一様に不安そうな表情で顔を見合わせている。


 クロトは舌打ちをすると、


「どうして、こんな時に現れるかな?」


 と、いらだちを隠すことなくつぶやいた。


 いつも冷静な兄が、ここまで不快感をあらわにするとは本当に珍しい。


(それだけやばい状況ってこと……?)


 何が起きているのだろうと考えながら、ユキトは周囲に聞き耳を立てる。すると、どこからか南側の商店街で魔物が暴れているらしいという声が聞こえてきた。


「――っ!」


 ユキトは、弾かれたように駆けだす。城の南側には、ユキトとアリスの家があるのだ。


「待つんだ、ユキト!」


 クロトが呼び止めるも、ユキトには届いていないようで。そのまま食堂を出ていった。


「あのバカ!」


 クロトは吐き捨てるように言うと、アリスに向き直り、


「アリスちゃん。悪いんだけど、ユキトを頼む」


「はいっ!」


 アリスは緊張した面持ちで返事をすると、ユキトを追いかけて食堂を出た。

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