第19話 恨みのきっかけ

 数年前、家畜の飼育方法を学ぶために、アンナがロッドウィル牧場を訪問した。その日の夜、ある一人の従業員が、ロッドウィル牧場の売上金を持ち逃げしてしまった。昼間、アンナがロッドウィル夫人に言った『羊を飼育するのもいい』という言葉を真に受けてのものらしい。


 実際のところは、持ち逃げしたその従業員しか知り得ないが、ロッドウィルはそうだと確信しているようだ。


 その事実を聞いたユキト一行とアンナは、驚きのあまり言葉を失う。タルトとキルトも、子どもながらに場の空気を察しているのだろう、おとなしく母の隣に立っている。


「そこから、経営が苦しくなるのは早かったよ」


 重い空気が漂う中、ロッドウィルがため息をこぼして言葉を繋いだ。


 売上金を持ち逃げされたことが発覚したのは、アンナが訪問した翌日のことだった。今まで無断欠勤をしたことがなかった従業員が、その日、初めて無断欠勤をしたのだ。それがきっかけで、事件が発覚したのである。


 それは、同業者の間でうわさとして密かに広まっていった。うわさを知っている者たちは表向きは同情するが、その実、あまり関わりたくないと徐々にロッドウィル牧場との取引から手を引いていった。


 それまで順調だったロッドウィル牧場は、次第に経営が傾いていく。飼育している牛を他の牧場に売却するなどして、どうにか廃業は免れた。だが、およそ五十名ほどいた従業員が、今では十名ほどにまで減ってしまった。


「……なるほど。それでさっき、アンナさんに『俺の牧場を壊した』なんて言ったのか」


 ロッドウィルがすべてを話し終えると、ユキトが小さく息をついてつぶやいた。


「そんなことがあったんですね。すみません、私があんなこと言ったばかりに……」


 申し訳なさそうに、アンナがそう口にする。


「アンナさんが謝ることないよ! 悪いのは、その持ち逃げした人なんだし」


 ロッドウィルが何か言いたげな表情を見せた瞬間、ユキトがそう断言した。


「だとしても、その女の言葉のせいなのは変わらねえじゃねえか!」


 怒りが収まらないのか、ロッドウィルがユキトに噛みつく。


 たしかに、アンナの言葉がきっかけの一つになってしまったのは事実だ。それに対する心苦しさに、アンナは目を伏せるしかない。


「だからって、他人の牧場を壊してもいい理由にはならねえだろ!」


 ユキトがそう一蹴すると、ロッドウィルは言い返すことができずに顔をそむけた。


「今回のきっかけが、たまたま彼女の言葉だったってだけで、遅かれ早かれこうなってたんじゃないのかい?」


 と、ジェイクは静かに問いかける。


 ロッドウィルは無言を貫くが、その沈黙がジェイクの言葉を肯定しているようだった。


「あとは、騎士団の連中に任せようかね。ユキト、このあとの手続きはどうするんだい?」


 と、ジェイクに問われたユキトは、黙りこくって記憶を辿る。以前、兄のクロトに聞いた覚えがあるのだ。


 犯罪を犯した人物は、騎士に捕らえられラクトア城にて裁きを受ける。そのあと、適切な刑罰を経て社会復帰を果たすのが通常だ。重大な犯罪を犯した場合は例外だが。


 今回の場合は、被害がでてはいるが通常の犯罪として処理されるだろう。


「とりあえず、城に連れていかないと、かな。たしか、騎士の中にこういうのを担当してる人がいるはずだから、その人に引き渡せばよかったはず」


 記憶を思い出しながら、ユキトがそう答えた。


「じゃあ、その前に、あいつの情報を聞きだしておかない?」


 と、アリスが提案する。


 あいつとは、三人が追っているクーレル・アルハイドのことである。ウルゥを魔物化したのであれば、その方法をクーレルから聞いているかもしれない。


 ユキトはうなずくと、ロッドウィルにクーレルのことをたずねた。


「クーレル・アルハイド……? そんな奴は知らねえし、会ったこともねえよ」


 吐き捨てるように、ロッドウィルが言った。


 それは、ユキトの想定内の答えだったのだろう、そうかとだけ言うと質問を変えた。


「あのウルゥを魔物化したのは、あんただろ? 闇属性の魔法って、昔から使えたのか?」


「いや、つい最近だよ。それも、気がついたら使えるようになってたんだ」


 それまで闇属性の魔法なんて使ったことがなかったと、ぶっきらぼうに告げるロッドウィル。その瞳は、うそをついているようには見えなかった。


「やっぱり、バランスが崩れたせいなんだ」


 アリスがぽつりとつぶやく。


 その声は、小さいながらもその場にいる全員に届いた。しかし、ユキトもジェイクも返事はしなかった。いや、できなかったと言った方が正確だろう。ユキトたちが請け負っている任務が、極秘のものだからだ。その特性上、口にできるものは少ない。


 他の四人は、いったい何のことなのかと不思議そうな顔をしている。


「とにかく、このおっさんを城に連れてかねえと」


 ユキトはそう言って、少々強引に四人の意識をアリスのつぶやきからそらした。


「俺を連れて行ったところで、お前みたいなガキの話をまともに聞いてくれるわけねえだろ」


 と、ユキトを小ばかにしたようにロッドウィルが言った。


「おあいにく様。俺たちは、一応、騎士団所属なんで」


 得意げな表情でユキトが告げると、ロッドウィルは面白くなさそうに舌打ちをした。


「城に連れていくって言っても、転移の魔法は使えるのかい? まさか、律儀に馬車でいくなんて言わないだろうね?」


 ジェイクが、ユキトとアリスに問いかける。


 だが、二人は視線を泳がせ口ごもってしまった。空間転移の魔法を使うことができない二人は、彼女がまさかと提示した方法で移動しようとしていたのである。


 そんな二人に、ジェイクはため息をついて、


「しかたがないね。とりあえず、あたしが使えるから、さっさと移送しちまうとしよう」


「え、いいの?」


 ユキトが聞き返すとジェイクは、


「いいも悪いも、使わなかったら日が暮れちまうだろ?」


 と、冗談めかして言った。


 ここからラクトア城まで、そこまで遠くはない。馬車で片道三、四十分といったところだろう。だが、のんびりしていたら、ジェイクの言う通り日が暮れてしまう。


 そういうことならと、ユキトはジェイクの提案を受けることにした。


「アリス。アンナさんたちを頼む」


 すぐに戻ってくるからと、ユキトはアリスに告げた。


 アリスがうなずくと、シャーリー親子をその場から少し下がらせる。


 アンナが何か言いたそうに口を開くが、彼女から言葉が紡がれることはなかった。


 ジェイクの隣に移動したユキトは、彼女と視線を交わす。


 軽くうなずいたジェイクが、


宵闇よいやみしるべよ、道を示せ。『空の扉バビロン・ゲート』」


 と、静かに呪文を唱えると、三人の足もとに円形の魔法陣が現れた。次の瞬間には、彼らの姿はその場から消えていた。


 しばらくして、三人が姿を現したのは、ラクトア城の東側にある城門前だった。


「ありがとう、ジェイクさん。悪いけど、ちょっとここで待っててくれる?」


「わかった。けど、あんまり遅くなるんじゃないよ」


 と、保護者然とした様子のジェイク。


 ユキトは笑顔でうなずいて、ロッドウィルを連れて門をくぐり城内へと向かう。


 城内を進んでいくと、顔見知りの騎士に出会った。


「あれ? おとーと君じゃん、お疲れ。って、その人誰?」


 いぶかしげにたずねる騎士に、ユキトは隣町のノルアーナで起きたことを話した。


「ふうん、その人がねえ。……まあとりあえず、その人のことは引き受けるよ。現地にも調査班を向かわせるから」


「ありがとうございます。お願いします」


 と、深々と頭をさげたユキトは、ロッドウィルをその騎士に引き渡して城をでた。


「ジェイクさん、お待たせ」


 と、城門前で待っているジェイクに声をかけると、ユキトは彼女とともに転移魔法でシャーリー牧場に戻った。

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