第18話 ウルゥをけしかけた男

 ユキトが放った魔法に気づいたウルゥはもう一鳴きすると、角を正面にいるユキトたちへと向ける。どうやら、闘争心はまだ消えていないようだ。そのまま突進しようとした瞬間、風の刃がウルゥをとらえる。まばたきをする間もなく、ウルゥは真っ二つに斬り裂かれた。


 断末魔をあげることなくその命を終えると、ウルゥの体はその場に倒れた。それは次第に変色し、ものの数秒ほどで土塊つちくれへと姿を変えた。


「今度こそ、やった……んだよな?」


 ピンと張り詰めた静寂が、辺りを支配しようとした頃、ユキトが確認するように言葉を紡いだ。


「……うん、たぶん」


 アリスは、自信がなさそうに答える。


 二人がこれまで倒した魔物は、どれも霧散消滅していた。土塊になるケースに遭遇したのは、初めてだったのだ。


 二人がおそるおそる近づくと、ふいに一陣の風が吹いた。それは、土塊をなでるように優しいもので。わずかな粒子が、風に乗って飛んでいった。


 それを見た二人は、緊張した面持ちのまま顔を見あわせる。だが、それも一瞬のことで、二人はほぼ同時に表情を緩ませた。


「俺たちの勝ちだ!」


 ユキトが笑みを浮かべてそう言うと、アリスが大きくうなずく。


 ここでの脅威は、どうにか取り除くことができた。


「そうだ! タルトちゃんたちに知らせなきゃ!」


 アリスは思い出したようにそう言って、自分たちの後ろにある建物の中へと駆けていった。


 ユキトもジェイクに報告するため、アリスについていくように走る。


「終わったみたいだね。お疲れ様」


 建物の入口付近にくると、それまで避難していたジェイクが声をかけてきた。


「ああ、なんとかね。ところで、その人は?」


 ユキトが、ジェイクの隣でうなだれている人物のことをたずねた。


 見た目は、ごく普通の犬の獣人の男である。焦げ茶色の髪と同じ色のたれ耳が特徴的だが、タルトの親族なのだろうか?


「ああ、こいつかい? ユキトたちがウルゥと戦ってる時に、そこに隠れてるのを見つけたんだよ」


 と、ジェイクが建物の壁を視線でさし示しながら答えた。


「隠れてた……?」


 ユキトが訝しげにつぶやくと、


「どうやら、こいつが元凶みたいだよ」


 と、ジェイク。


 彼女の言葉に、うなだれている男は小さく舌打ちした。


「どういうことだ?」


 問いただすように、ユキトが感情を抑えて告げる。


 だが、男は口を開こうとはしなかった。


「おい!」

 

 答えろとユキトが詰め寄った時、建物の中からアリスがタルトたちを引き連れてやってきた。


「お兄ちゃん!」


 と、タルトが満面の笑みを浮かべて、ユキトへと駆けてくる。


「無事でよかった」


 意識せずに言葉を紡ぐと、


「もう、タルトは……。助けていただき、ありがとうございます」


 と、頭上から女性の声が聞こえてきた。


 ユキトが顔をあげると、きれいなレモンイエローの髪を後ろでまとめた女性が、タルトと瓜二つの少女を連れて立っていた。彼女たちが、タルトの家族で間違いないだろう。


「どういたしまして。あ、でも、羊が……」


 立ちあがりながらユキトが言うと、彼女は、


「いいんです、しかたありませんから」


 と、優しく微笑んだ。


 その笑みに、ユキトだけでなくアリスとジェイクも胸をなでおろす。


 穏やかな空気が周囲に流れる中、女性は思い出したように自分はアンナだと名乗る。自分の隣にいる子どもはキルトといい、タルトの双子の妹だと紹介した。それをきっかけに、三人も軽く自己紹介をする。


「それはそうと、ジェイクさん。その人、誰ですか?」


 ジェイクの隣にいる男に気づいたのか、アリスがたずねる。


 すると、全員の視線がその男へと注がれた。男は、ばつが悪そうに顔をそむける。


「……あら? 貴方、ロッドウィルさんじゃないですか」


 男の顔に見覚えがあったのだろう、アンナは珍しいとでも言うように声をかけた。


 聞こえてはいるのだろうが、ロッドウィルと呼ばれた男は無言を貫いている。


「アンナさん、お知りあいなんですか?」


 アリスがたずねると、アンナはうなずいた。


「ご近所さんなんです。彼も牧場を経営してて、以前はちょくちょく顔をあわせてたんですけどね」


 最近はあまり……と、少し寂しそうな笑みを浮かべる。


「でも、どうして彼がここに……?」


 と、アンナが不思議そうに首をかしげる。交流がほとんどなくなっていたのに、連絡もなく急に現れたのだ、不思議に思うのも無理はない。


「どういうことなんだい?」


 ジェイクがたずねるも、ロッドウィルはやはり無言だ。


「答えな!」


 否と言わせぬ声音で言うと、


「……この牧場を、壊そうとしたんだよ」


 と、しぶしぶといった様子でロッドウィルは口を開いた。


「そんな……!? どうして……」


 ショックだったのだろう、アンナは口もとに手をあててそうつぶやいた。


「どうして、だと!? お前が……お前たちが、俺の牧場を壊したんだろうが!」


 と、ロッドウィルが、アンナに襲いかかりそうな勢いで食ってかかる。しかし、ジェイクに抑えつけられ、彼女に襲いかかることはできなかった。


「壊したなんて、そんなこと――」


 青ざめた顔でアンナは否定しようとしたが、明確に断言できない。それだけショックを受けたということなのだろうか。


「してないとは言わせないぞ! うちの奴に『羊を飼育するのもいい』なんて言いやがったじゃねえか!」


 歯をむきだして言い放つロッドウィル。


 その言葉に覚えがあったのか、アンナははっとしたように目を見開いた。


「いったい、どういうこと?」


 それまで口をつぐんでいたユキトが、事情の説明を求める。


「……昔、この女が、ふらっと俺の牧場にきたことがあったんだ。そこの双子を連れてな」


 当時の記憶がよみがえってきたのだろう、ロッドウィルは苦々しく、だが静かに話しだした。


 それは、数年前のことだった。アンナは、幼いタルトとキルトを抱えながらロッドウィル牧場を訪問していた。近所だからというのももちろんあるが、家畜の飼育方法を学ぶためでもあった。


 アンナの家族が経営しているシャーリー牧場は、羊を飼育している。だが、その羊毛の品質がなかなか向上しないので頭を悩ませていたのだ。


 彼女が訪問しているロッドウィル牧場は、牛を飼育している牧場である。その中でも、翼を持つウルゥという種類の牛を主に飼育している。


 肉牛であるウルゥは、肉はもちろん、皮と角も武具や小物などに利用され、捨てるところがほとんどない。特にその肉は、全体的に脂が乗っていて、大人から子どもまで幅広く人気だ。その中でも、ロッドウィル牧場産のウルゥは、肉も皮も最高品質と名高い。


 ロッドウィル牧場の名声は、ラクトア王国の畜産業者なら誰でも知っていることである。もちろん、アンナも知っていて、最高品質の家畜を育てる方法を教えてもらおうとやってきたのだ。牛と羊の違いはあれど、応用できるところは何かしらあるだろう。


 事務所を訪ねると、ロッドウィルの妻と数人の従業員がいた。従業員とも顔見知りのアンナは、笑顔で会釈するとロッドウィルの妻とにこやかに会話を始めた。彼女たちは友人関係で、どんなことでも相談しあえる仲だ。


 アンナは世間話を交えて、最高品質の牛を育てる秘訣をたずねる。ロッドウィルの妻は、エサの種類や配合の割合、放牧のしかたなど工夫しているところを惜しげもなく披露した。その時だ、アンナが羊を飼育するのもいいものだと言ったのは。


「たしかにあの時、奥様に羊を飼育するのもいいとは言いました。でも、奥様は、羊を飼育する気はないとおっしゃってました。今、飼育してるウルゥが大切だからって」


 当時の状況を説明するロッドウィルが言葉を切ったタイミングで、アンナがそう口を挟んだ。


「あいつは、俺よりもウルゥを大切にしてるからな。でもな、あの日の夜、一人の従業員が売上金を持ち逃げしたんだよ。お前の言葉を真に受けてな!」


 ロッドウィルは、眉間にしわをよせてそう言い放った。

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