第29話 BAR コルチカム
時は遡り、ユノカーラ王国のカフェでカミーラと別れたあとのこと。クーレルとアルフレッドは、マターディース帝国にいた。もちろん、転移魔法で移動したのである。
クーレルの父レイドリック・ディンクスの情報を集めるため、二人は首都の中心街へと足を運んだ。
道行く人に声をかけるが、知らないという人がほとんどだった。中には、対価として法外な金銭を要求してくる者や力ずくで聞きだしてみろという者もいた。
そんな命知らずを、二人は問答無用で斬り捨てていった。たしかに、何かしらの情報を持っていた可能性もある。だが、要求を飲んでしまえば、相手がつけあがるのは目に見えていた。ガラの悪い相手に時間をさいてやるほど、二人はお人好しではないし暇でもなかった。
いつの間にか日は傾き、街が濃いオレンジ色に染まる。人通りも少なくなり、今日はこれ以上収穫はないだろうと宿を探すことにした。
しばらく探していると、繁華街の端の方に小さな宿があった。空室があるかはわからないが、とりあえず行こうと二人はそこへ向かう。
宿に到着して受付を済ませると、
「あ、そうだ。レイドリック・ディンクスって男、知らないか?」
と、アルフレッドが受付嬢にたずねた。
「お名前だけだとちょっと……。どのような方ですか?」
「あー……わかってることは、龍人ってことだけなんだよ……」
受付嬢の問いに、アルフレッドは申し訳なさそうに言った。
「そうなんですね。たまにですけど、こちらにも龍人の方はお泊まりになられますので、もしかしたら見かけてるかもしれないですけど……」
それでも個人を特定するのは至難の業だろうと、受付嬢が苦笑する。
「そっか……そうだよな。サンキュ」
そう言って、アルフレッドはクーレルとともに受付をあとにしようとする。
クーレルはポーカーフェイスを保ったままだが、アルフレッドは明らかにしょんぼりしているのが見て取れた。彼の狼の耳と尻尾が、垂れさがっているのである。
「あ! お待ちください!」
そんな彼の様子を見て、受付嬢が慌てて二人を呼び止める。
「ん? どうしたんだ?」
落ち込んだ声音で、アルフレッドはそう聞き返して振り向いた。
クーレルも立ち止まって受付嬢を見る。
「コルチカムのマスターなら、何か知ってるかも!」
と、受付嬢が口早に告げる。
「コルチカムのマスター……?」
クーレルとアルフレッドが同時に聞き返すと、彼女は大きくうなずいた。
コルチカムというのは、この繁華街の一画にあるバーのことである。酒の種類が豊富で、酒好きの間で大人気の店だ。マスターは、近寄りがたい雰囲気のある渋い男だが、繁華街一の情報通だ。物腰が柔らかく聞き上手で、客からの信頼も厚い。そのため、バーを訪れた客のほとんどが、自らいろいろな情報をマスターに話して聞かせるという。
「へえ? そんな人物がここに……」
クーレルはそうつぶやいて、わずかに口角をあげた。
「なあ! そのバーってまだやってるか?」
と、アルフレッドが期待に満ちた表情で受付嬢にたずねる。先ほどまで垂れていた耳が、いつの間にかピンと立っていた。尻尾にいたっては、ぶんぶんと左右に大きく揺れている。
少年のように瞳を輝かせている彼を見て、受付嬢は優しい笑みをこぼすと、二人に少し待つように告げた。視線を手元に落とし、何やら確認しているようだ。
「……あったあった。えっと、この時間だったらまだやってますね。こちらが地図です」
そう言って、彼女はバーまでの道のりが書かれている簡易的な地図をアルフレッドにさしだした。
礼を言ってそれを受け取ると、アルフレッドはクーレルに視線を向ける。クーレルがうなずくのを確認すると、
「ちょっくら、でかけてくるわ」
アルフレッドは、地図を軽く振って彼女に告げた。
「わかりました。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
そうにこやかに言う受付嬢に見送られながら、二人は宿をあとにした。
街を染めるオレンジ色は、次第に藍色へと変わっていく。夜の帳が、ゆっくりとおろされようとしていた。
もらった地図を頼りに、二人は繁華街を歩く。人通りはまばらだが、どの店もまだ明かりが灯っている。とくに飲食店などは、これから数時間は忙しくなるだろうと予想できた。
客が少ないうちに、
地図がさし示す場所に到着すると、二人の左手側に白っぽい外壁の建物があった。近づいてみると、漆黒のドアが照明に照らされて浮かびあがっている。その右側に、同じく照明に照らされた黒い看板がかけられていた。確認すると、白文字で『BARコルチカム』と書かれている。
「ここか」
と、クーレルが思わずつぶやいた。クールな表情のままではあるが、どうやら期待に胸を躍らせているようだ。
はやる気持ちを抑えつつ、クーレルはドアを開けた。
カランと、ドアベルの乾いた音が店内に響く。
「いらっしゃいませ」
低く落ち着いた男の声が、二人を出迎えた。
店内に入ると、正面右側にバーカウンターがあり、左側にはテーブル席がいくつか設けられている。夕焼けにも似た淡いオレンジ色の照明のおかげか、どことなく落ち着いた雰囲気がある。
クーレルたちの他に、数人の客の姿があった。いずれも一人で訪れているのか、思い思いに酒を飲んでいる。だが、その中に龍人の姿はなかった。
クーレルとアルフレッドは、入口近くのカウンター席に腰をおろす。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
カウンター内の男が、二人にそう声をかけた。
ロマンスグレーの整った髪型と切れ長の目が特徴的な男である。渋い見た目に反して、物腰が柔らかく好感の持てる人物だ。おそらくこの男が、宿の受付嬢が言っていたバーのマスターなのだろう。
どうします? と言いたげな彼の視線に促されて、二人はメニューを見る。
メニュー表には、酒の種類が数多く記載されている。ページをめくると、一品料理や軽食なんかもあるようだ。
しばらく迷った挙げ句、クーレルはコーヒーベースのカクテルを甘さ控えめで、アルフレッドは甘いフルーツを使ったカクテルをそれぞれ注文した。
「かしこまりました」
そう言って、彼は手際よく二人分のカクテルを作る。
数分もしないうちに、二人の前には注文通りのカクテルが並んでいた。
「さすがに手馴れてるんだな」
と、アルフレッドが素直な感想を口にする。
「ありがとうございます。どうぞ、お召しあがりください」
と、彼はにこやかに告げる。
その言葉に促され、二人はカクテルに口をつけた。二人とも、普段から酒を飲んでいるわけではないので、アルコールの味に慣れてはいない。だが、このカクテルはどちらも、アルコール独特の味があまりせずとても飲みやすい。
「美味い……」
思わず、クーレルがつぶやいた。
それは、本当に小さな声だったが、隣にいる狼獣人のアルフレッドだけでなく、人間である目の前のバーテンダーにも聞こえていたようだ。彼の満足げな笑みがそれを物語っている。
「そうそう、ここのマスターは情報通だって聞いてきたんだけど。あんたがマスター?」
と、アルフレッドがたずねると、彼はそうだとうなずいた。
「レイドリック・ディンクスという名の龍人を知ってるか?」
と、クーレルが単刀直入に問う。
マスターは何やら思案していたが、心当たりでもあるのか、そう言えばと声をあげた。
「本日、ご来店いただいた方の中に、龍人のお客様がお二人いらっしゃいましたね」
「どんな奴だった?」
アルフレッドが、身を乗りだしてマスターに迫った。
「お一人は、最近よくきてくださる方で、ボルドーの髪が特徴的な男性です。お酒もだいぶ飲まれていましたね。もうお一人は、気の強そうな女性のお客様でしたよ」
と、マスターは記憶を辿りながら告げる。
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