第30話 ボルドーの髪の龍人

「その男は、いつ店をでた!?」


 今まで静かだったクーレルが、マスターに食ってかかる勢いでたずねた。


 クーレルの剣幕に圧倒されるマスターだったが、すぐに冷静さを取り戻し、


「今から三十分くらい前ですかね。迎えにきたらしい女性のお客様と一緒に帰られましたよ」


 その女性と一夜をともにするのでしょうねと、二人にとってどうでもいい情報をつけ加えて告げた。


「そうか……」


 少し落ち着いた取り戻したクーレルは、そう言うとカクテルを一口飲んだ。


 感情をあらわにしたクーレルに驚いたアルフレッドだったが、数秒後にその理由を理解した。


「おい、クーレル。その男って、もしかして……!」


「おそらくな」


 アルフレッドの言葉に、クーレルはそれだけを口にする。


 確信は持てないが、マスターが話したボルドーの髪の男が、レイドリックなのだろうと思った。その理由は自分でもわからないし直感でしかないが、それでもそう思えてならなかった。


「マスター。その男は、最近よく来店すると言っていたな?」


 わずかに思案したあと、クーレルがマスターにたずねた。


「はい。ただ、時間はまちまちなので、確実にお会いできる時間帯というのはわかりかねますが」


 その答えは、クーレルのお気に召すものだったらしい。満足そうな笑みを浮かべてカクテルを飲み干した。


 その後、このバーの開店時間を聞いた二人は、まだ夕食を食べていないことを思い出し、サンドイッチと追加のカクテルを注文した。


 さほど待たずに、サンドイッチと追加のカクテルが二人の前に並べられる。


 サンドイッチの中身は、定番のたまごだった。一口食べると、ふわふわのパンとたまごの優しい甘み、マヨネーズのコクと酸味が口の中に広がる。こしょうを効かせているのか、ピリッとしたスパイシーな味わいがアクセントになっている。甘いカクテルにもあうため、どんな酒にもあうようにと工夫をこらしているのだろう。そういう一手間が、人気の秘密なのかもしれない。


 サンドイッチとカクテルに舌鼓を打ち満足げな二人は、会計を済ませると、明日またくると告げて店をでた。


 辺りはすっかり暗くなり、各店の照明がより一層、輝きを増したように見える。そんな中、二人は真っ直ぐに宿へと戻った。


 あてがわれた部屋にいき、すぐさま風呂に入る。慣れない酒を飲んだせいか、二人とも就寝はいつもより早かった。


 翌日、昼頃に起きだした二人は支度を済ませると、受付嬢に連泊すると伝えてバーへと向かった。


 繁華街は、昨夜とは比べものにならないほど賑わっていた。だが、行き交う人々は、誰もが足早に通り過ぎていく。争いごとに巻き込まれないように、被害にあわないように、他人との交流を最小限に抑えているように感じた。白昼堂々、往来で悪事を働くならず者が幅をきかせているのだろう。


 だが、そんなことは、二人にとってはどうでもいいことだった。レイドリックが、コルチカムにいるかどうかが重要だった。


 しばらく歩くと、バーに到着した。昨日きた時には、周囲が薄暗い時間帯だったこともあり白っぽいとしかわからなかった外壁だが、どうやらアイボリーに染めあげられているようだ。漆黒の看板やドアとの対比がおしゃれである。


 ドアを開けると、乾いたドアベルの音が二人を迎えた。まだ開店して間もないのか、店内に客の姿はない。


「いらっしゃいませ。――ああ! 昨日いらしたお客様ですね。どうぞ」


 と、二人に気づいたマスターが声をかける。


 その言葉に促されて、二人は奥のバーカウンター席についた。


「何にいたしましょう?」


 静かにたずねるマスターに、二人はサンドイッチとノンアルコールカクテルを注文した。


 客のいない店内に視線を巡らせていると、二人の前にサンドイッチとグラスが並べられる。それは、昨日と同じたまごサンドだった。グラスには、ルビー色の炭酸飲料が注がれている。


 一口飲んでみると、甘酸っぱくて飲みやすい。それだけでなく、ピリッとしたスパイシーさが、すっきりとした後味を連れてくる。これならば、つまみや軽食などにもあうだろう。


 たまごサンドは、昨日同様とても美味しい。


 二人が食事を堪能していると、ドアベルが客の来店を知らせた。マスターが優しく対応するのを、二人はちらりと横目で見た。どうやら、三人組の客が来店したようだ。だが、その中に龍人はいない。


 食事も終わり、二人は先ほどのノンアルコールカクテルを再度注文して客の様子を観察することにした。


 その後も、カップルやグループ客、単身の客などが、まばらではあるが来店する。だが、やはりどの客の中にもボルドーの髪色をした龍人はいなかった。


「今日は空振りか……」


 ため息とともにそうつぶやくと、クーレルはアルフレッドを連れてバーをあとにする。


 外はすっかり暗くなり、夜の様相をていしている。


「うわ、もうこんな時間かよ!」


 と、驚いたようにアルフレッドが声をあげる。


 今まで室内にいて、窓の外を一度も確認していなかったのだから、驚くのも無理はない。


 だが、彼とは対照的に、クーレルはポーカーフェイスをたたえたままだった。とはいえ、その瞳には、絶対に見つけだすという強い決意が見て取れた。


 クーレルはわずかに思案すると、手のひらサイズの黒い結晶を作りだす。それはやがて、黒い蝶へと姿を変えた。


「ボルドーの髪の龍人がきたら、俺のもとに戻れ」


 と命じると、クーレルは蝶を放った。


 黒い蝶がコルチカムの看板に止まったことを確認すると、二人は宿に向かった。


 部屋に戻って風呂に入ったあと、


「なあ、クーレル。本当に現れると思うか? 例の龍人」


 と、おもむろにアルフレッドがたずねた。


「さあな。現れたら、あれが戻ってくるからわかるだろ」


 と、クーレル。あれとは、宿に戻る前に彼が放った黒い蝶のことである。


「そりゃあ、そうだけどよ。もし、現れなかったらどうすんだ?」


「その時は、この街ごと焼き払うまでだ」


 狂気に満ちた笑みを浮かべながら、クーレルがそう告げる。


「そういうことなら、わかりやすいぜ!」


 そう言うと、アルフレッドは大きなあくびをする。今後の指針がわかったことで安心したのか、眠くなったらしい。


 寝ると宣言して床についたアルフレッドを見て、クーレルは苦笑する。だが、不意に自身も小さなあくびをもらした。


「……寝るか」


 つぶやいて、クーレルも寝ることにした。


  *  *  *  *  *


 翌日、朝食を終えた二人は、部屋でのんびりとすごしていた。もちろん、レイドリックの捜索を諦めたわけではない。コルチカムに現れることに賭けて、その時を待っているのである。


 窓から差し込む陽射しに、思わず目を閉じる。その暖かさに身をゆだねると、忍び寄る睡魔に意識を持っていかれてしまいそうになる。


 クーレルが、睡魔との静かな攻防を繰り広げていると、窓の外に気配を感じた。ゆっくりと目を開けて確認すると、それは、昨日コルチカムの入り口前で放った黒い蝶だった。


 窓を開けて迎え入れると、蝶はクーレルの腕に止まる。


 満足げなクーレルが、手のひらを蝶へとかざすと、黒い蝶は音もなく霧散消滅した。


「現れたか」


 アルフレッドが確認するように言うと、クーレルは口角をあげてうなずいた。


 逃げられないうちにと、二人は宿をあとにしてコルチカムへと向かった。


 足早に通りすぎる人の群れを縫うように、二人は繁華街の通りを進んでいく。


 難なくコルチカムに到着してドアを開けると、ドアベルの音とマスターの落ち着いた声が二人を迎えた。


 店内には、数人の客がいた。酒を飲みながら本を読んでいる者、友人同士だろう二人連れ、バー自体にあまり慣れていないらしいカップルなど様々だった。その中に、一人だけ龍人の客がいた。オレンジ色の照明に照らされて判別しづらいが、髪色が濃い赤色をしている。


「おう。邪魔するぜ」


 アルフレッドの言葉に、マスターは何かを察したようだった。視線だけで奥のカウンター席をさし示す。


 軽くうなずいて礼を告げると、二人は真っ直ぐにその席へと向かった。そこには、龍人の男が座っている。


 静かに近づき、二人は男の両隣に座る。


「なあ。あんた、レイドリック・ディンクスだよな?」


 あいさつもなしに、クーレルは単刀直入に男にたずねた。


「あ? 誰だ、お前?」


 と、男はいぶかしげに言って、クーレルに顔を向ける。

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