第31話 父と子

 濃い赤色の髪の男が、値踏みするようにクーレルを見る。深緑色の瞳は、邪魔するなとでも言いたげだった。


 だが、クーレルはその視線をものともせずに、


「あんたが、レイドリック・ディンクスだよな?」


 と、念を押すようにもう一度たずねる。


「ああ。だったら、何だってんだ?」


 と、男はいらだちを隠そうともしない。


「会いたかったぜ、親父!」


 と、クーレルは笑顔で告げる。ただ、彼の瞳は笑ってはいなかった。


「親父……? 俺がお前の? バカ言うな」


 自分に子どもはいないと、レイドリックは鼻で笑う。


 彼のこの反応は想定していたのだろう、クーレルは眉一つ動かさない。


「初めましてだからな、信じられないのは無理もない。けど、シオン・アルハイドの名前に聞き覚えはあるだろう?」


 クーレルは、レイドリックを見据えてそう問いかける。その声音には、否とは言わせない響きがあった。


「シオン・アルハイド……?」


 首をかしげるレイドリックに、クーレルはいらだちを覚える。


「アモードルース王国で、あんたと恋仲になった女だよ!」


「――っ! じゃあ、お前はあの時の……!」


 思い出したのか、レイドリックは目を見開く。


 今までに、レイドリックと恋仲になった女は大勢いた。そのほとんどは、本気だっただろう。クーレルの母であるシオンも、その中の一人だった。だが、当のレイドリック本人は、遊びでしかなかった。だから、シオンが妊娠したと知った時、何も言わずに彼女の前から姿を消したのだ。


 彼女以外の女と別れる時も、レイドリックはそうしていた。それでトラブルになったことなど、今まで一度もなかった。だから、彼女たちの関係者がのちほど接触してくるとは、つゆとも思っていなかったのである。


「そ、そうかそうか。大きくなったな。彼女は元気か?」


 取ってつけたようなレイドリックの言葉に、クーレルの表情は一瞬で冷たいものに変わった。


「死んだよ。俺が十六の時にな」


 そう事実だけを告げるクーレルに、レイドリックはそうかとだけ返した。


「それで? 俺のとこにきたのは、恨み言を言うためか?」


 レイドリックは、ため息をつくとそうクーレルに問いかける。


「恨み言……? そんなこと、どうだっていい」


 クーレルはそう言って、剣呑な眼差しと笑顔を向ける。


「あ? じゃあ、何だよ?」


 自身の前に現れた真意がわからないと、レイドリックは眉間にしわをよせる。


「あんたに手合わせ願いたいんだ。それも、命がけでね」


「……殺し合いをしたいってか?」


 レイドリックの言葉に、うなずくクーレル。あくまで乞い願う形ではあるが、その瞳は嫌とは言わせないと告げていた。


 レイドリックは深いため息をつくと、


「どうせ、拒否権はねえんだろ? つき合ってやるよ」


 諦めたようにそう言った。


 そうと決まればと、三人は店をでることにした。クーレル、レイドリック、アルフレッドの順に席を立つ。


「邪魔したな」


 アルフレッドは離れ際にそう言って、実際の料金よりも少し多めに金を置いた。


 ありがとうございましたという、マスターの声に見送られ、三人は店をあとにする。


  *  *  *  *  *


 繁華街を連れ立って歩く三人。異様な緊張感に、レイドリックの表情は終始こわばっている。だが、すれ違う人々はそんな彼の様子など気にもしていなかった。


 繁華街を抜けてしばらく歩くと、円形の広場に到着した。中央には噴水があり、その周囲や広場のあちらこちらに色とりどりの花が咲いた花壇があった。木製のベンチも複数個あり、住民の憩いの場として利用されている。


 この広場から少し北にいったところには、この国を治める皇帝が住まう城がある。広場の北側に城門が設けられているため、城門前広場と呼ばれていた。普段なら、住民の一人や二人は利用しているのだが、今日に限っては誰もいない。門番の兵士が一人いるにはいるが、暖かな陽気にあくびをもらしている。


 噴水の前で立ち止まると、クーレルは魔法で一振りの剣を作りだした。


「あんたの得物は、これでいいだろう?」


 と、クーレルはそれをレイドリックにぞんざいに投げ渡した。


 レイドリックは無言でそれを拾いあげると、感触を確かめるように数回ほど振り払った。


「ほう。魔法で作ったにしちゃあ、なかなかいいじゃねえの」


 手になじむ感覚があったのか、レイドリックは感心したように言った。


 それには答えず、クーレルはアルフレッドに手をだすなと告げると、腰にさしている大きく曲がった細身の刀を抜いた。


 アルフレッドはうなずいて、二人から距離を取る。


 彼が充分離れたのを横目で確認すると、クーレルはレイドリックに斬りかかった。


 レイドリックは、剣でクーレルの攻撃を防ぐ。


「不意打ちを狙ったんだけどな」


 いい反応速度だと、クーレルが感嘆の声をあげる。もちろん、手加減をしたつもりはない。


「さすがに驚いたぜ。けど、いい剣筋だ」


 そう言って、レイドリックは剣を構える。深緑色の瞳には、ようやく戦意が見て取れた。


「この日のために、力をつけたからな。あんたが! 母さんを捨てたと知った、あの日から!」


 言いながら、クーレルは複数の紫色の炎を放つ。


 レイドリックが奥歯を噛みしめながら、紫炎しえんを切り払っていく。数が多いうえに、迫ってくる速度が速いのだ。被弾を阻止するには、必死にならざるを得ない。


 紫炎に気を取られていたレイドリックには、クーレルの動きを追う余裕はなかった。だから、彼が自分の真後ろに移動したことにも気がつかなかった。


「後ろ、ガラ空きだぜ?」


 クーレルの言葉に、レイドリックは弾かれたように振り向く。


 そこには、武器を振りおろそうとするクーレルがいた。もう少し早く気づいていれば、避けることもできただろう。だが、時はすでに遅く、武器で防げるかどうかも怪しかった。


 そんな状況の中、レイドリックは反射的に剣で受け止めようとする。しかし、クーレルが刀を振りおろす方が速かった。鋭い刃が、レイドリックの左の二の腕を斬り裂く。


 くぐもった声をあげながら、レイドリックの表情は苦痛に歪んだ。


「いいねえ、その表情。いたぶりがいがある」


 にやりと、狂気に満ちた笑みを浮かべるクーレル。


「ちっ……にぶったな」


 レイドリックは、傷に手を添えながらそうつぶやいた。その表情には、焦りの色が見える。


「さあ、ショータイムの始まりだ!」


 と、クーレルは邪悪な笑みで告げる。


 紫色の炎――黒炎球ダーク・フレアを複数作りだすと、クーレルはそれをすべてレイドリックへと放った。


 レイドリックは舌打ちすると、


「月の青。浄化の光。すべてを飲み込み無に帰せ。『清麗なる月の鏡リグレット・ミラージュ』」


 と、右手を前にかざして呪文を唱えた。


 すると、青白く光る円形の鏡が出現した。それは、相手の魔法を吸収する効果を持つ防御魔法だ。本来なら直径一メートルほどの大きさだが、レイドリックが作りだしたものはその半分の大きさで、効力も本来のものより劣っていた。そのため、黒炎球ダーク・フレアのすべてを吸収することはできず、被弾してしまう。


 爆煙の向こう側から聞こえるレイドリックの悲鳴に、クーレルは愉悦の表情を浮かべる。もっと聞いていたい、苦痛に歪む顔が見たいと、詠唱破棄で風の刃キル・ブレイブを放った。


 三連の風の刃が、霧散していく爆煙を切り裂きながら、レイドリックへと向かっていく。


 短い悲鳴が聞こえ、レイドリックに命中したことを知ると、クーレルはもう一度、風の刃キル・ブレイブを放つ。もちろん、詠唱破棄で、だ。


 レイドリックに対する殺意はもちろんあるが、すぐに命を奪ってしまっては面白くない。痛みや苦しみを思う存分味わわせなければ、気がすまないのだ。


 完全に視界が晴れると、そこにはレイドリックが膝を折っている姿があった。クーレルに斬られた左腕だけでなく、右腕や両足、脇腹にも裂傷があり血が流れている。


 クーレルが、獲物を追い詰めるようにゆっくりと近づいていく。


「包み、隠せ! 『姿を隠す霧ミッシング・ミスト』!」


 息も絶え絶えに、レイドリックがそう呪文を唱えた。すると、周囲に霧が漂い始めた。


 それは、次第に濃さを増していき、視界を完全に覆いつくす。


 クーレルは、レイドリックの気配が遠ざかるのを黙認した。


「おい、クーレル。いいのかよ?」


 アルフレッドが側へとやってきて、そうたずねた。彼も、レイドリックが逃げたことを察知しているのだろう。


 獰猛な視線をレイドリックがいた方へと向けたまま、クーレルああとだけ言った。あの怪我では、そう遠くへはいけないだろうと踏んだのだ。


 そんな二人のもとに、カミーラが姿を現した。ボロボロの彼女は、ユキトたちに負けたことを報告し、クーレルに謝罪する。


 クーレルはそうかとだけ言うと、回復魔法をカミーラにかけた。彼女の傷は、瞬く間に回復していく。


「それで、この状況は……?」


 周囲を見回して、カミーラが疑問を口にする。


「ああ、これな……」


 と、アルフレッドが先ほどまでのできごとを説明した。


「それなら、早く追わないと!」


 逃げられてしまうと急かすカミーラ。


「落ち着け。焦らなくても、奴が向かった場所は見当がついてる。袋のねずみだ」


 と、クーレルが静かに告げる。


 レイドリックが向かった場所は、おそらくマターディース城だろう。この広場からほど近いうえ、彼は尋常ではないけがをしているのだ、一般の住宅に助けを求めることはしないだろうと思えた。


 カミーラが落ち着きを取り戻したところで、クーレルは彼女とアルフレッドを従えて、マターディース城へと向かった。

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