第22話 温泉宿と猫耳少女
ここユノカーラ王国は、世界屈指の温泉王国である。この国では、大都市から小さな村まで、どこへいっても必ず温泉宿があるのだ。
それだけではない。手軽に入れる足湯や無料の
カミーラがクーレルとアルフレッドを案内した宿は、この国で一番人気の宿だ。人気の理由はもちろん温泉で、大浴場と露天風呂の他、打たせ湯や岩盤浴まである。温泉の泉質はいたってシンプルなものだが、疲労回復だけでなく内蔵疾患や外傷にまで効果があるらしい。全室とはいかないまでも、露天風呂つきの部屋まであるそうだ。
今回、カミーラが選択したのは、露天風呂つきの部屋だ。二人には――とくにクーレルには、ゆっくりと温泉を楽しんでもらいたいという思いがあってのことである。ただ、その奥底には、カミーラ自身が他人――とくにこの国の住民に会いたくないという強い拒絶感が潜んでいる。彼女自身、そのことを少なからず自覚しているのだろう、この国に入った時からずっと黒い
受付を済ませた三人は、宿の従業員に部屋まで案内された。
「ご用件があれば、何なりとお申しつけください」
と、にこやかに告げる女性従業員に、アルフレッドが食事は部屋に運んでもらえるように頼んだ。
三人の中で、比較的人当たりがいいのがアルフレッドである。クーレルは基本的に仏頂面だし、カミーラにいたっては、今回限りではあるが顔を見られないように隠している。したがって、アルフレッドが対応するしかなかった。だが、それは今回に限ったことではない。普段から、アルフレッドが対外窓口のような役割を担っているのだ。
「かしこまりました。それでは、失礼いたします」
そう言って、女性従業員はその場をあとにした。
それを見送ることなく、三人は部屋へと入る。
「なあ、クーレル。親父さんの気配とかそういうの、わかったりしねえのか?」
彼女の気配が完全に消えるのを待って、アルフレッドが口を開いた。
「それがわかれば、苦労はしないさ」
ため息交じりにクーレルが答える。
「ま、そりゃそうか。俺だって、そんな力は持ってねえしな」
そんな都合のいい能力があるわけないかと、わかりきっていたかのようにアルフレッドが言った。
とはいえ、まったく期待していなかったわけではない。ごく稀に、特殊な能力を持った混血児が生まれることもある。ただ、そうした混血児の存在は、一部の政府関係者と医師だけの秘匿とされ、往々にして世俗から隔離されることが多いのだ。
その情報を知るアルフレッドが、もしかしたらとクーレルに淡い期待をよせていたのだが、見事なまでに打ち砕かれた。
「そんな便利な能力を持ってる人なんて、どこにもいないわよ。だから、地道に探し歩いてるんじゃない」
と、外套を脱ぎながら、カミーラが一蹴する。
そんな彼女に、アルフレッドは苦笑せざるを得なかった。
その後、三人は思い思いに温泉と配膳された料理を堪能して、早々に床についた。
翌日、朝食を済ませた三人は宿をあとにすると、道行く人への聞き込み調査を再開した。もちろん、カミーラは昨日同様、外套のフードを目深にかぶっている。
そのおかげか、誰もカミーラだと気づかないため、道行く人に声をかけることは容易だった。だが、その結果は、そんな人物は知らないという声が大半だった。
しばらくすると、隠れ家的なバーで龍人を見たという証言を得ることができた。今までで得られた唯一の情報ということもあり、半ば期待して教えられたバーに向かう。そこには、たしかに龍人がいた。けれど、三人が探し求める人物ではなかった。
「人違いか……」
バーからでた直後、落胆したようにクーレルがつぶやく。
「まあ、そういうこともあるんじゃね?」
手がかりが少ないのだからと、フォローするアルフレッド。
たしかに、名前と性別と種族はわかっているものの、彼の容姿についてはほとんどわかっていない。そんな中で聞き込みをしているのだ、情報が寄せられても空振りに終わるのはしかたがないと言える。
「それもそうだな」
と、意外にあっさりと気を取り直したクーレル。アルフレッドとカミーラを引き連れて、別の街へと足を向ける。
根気強く声をかけ続けるもこれといった情報はなく、そろそろ隣国にいこうかという雰囲気になった時だった。クーレルのもとに一頭の黒い蝶が舞い降りたのである。
「クーレル様、それは……?」
と、フード越しからカミーラが問うた。
「協力者からの連絡だ」
と、クーレルは、不敵な笑みを浮かべて答える。
それは、この国にくる前に訪れた街で、クーレルが自身の配下としたバーのマスターに渡した通信手段だった。
クーレルが、左手を自身の顔の前に持ってくると、黒い蝶は彼の手の甲に舞い降りる。羽をゆっくりと動かし、バーのマスターからの言葉を彼に伝えた。
「――そうか。それは、面白くなりそうだ」
そうつぶやくクーレルは、無意識のうちに不敵な笑みを
「面白くなりそうって?」
と、不思議そうにアルフレッドがたずねる。
再度マスターのもとへ向かうように黒い蝶を放つと、
「とある少女が、協力者に接触したようだ。どうやら、俺たちを探してるらしい」
と、クーレルが告げた。
マスターの情報によると、その少女は山吹色の髪が特徴的な猫の獣人だそうだ。理由はわからないが、クーレルを探しているらしく所在をたずねられた。クーレルはもうここにはいないこと、どこにいったのかはわからないこと、向かうとしたら北か南の国のどちらかだろうことをマスターが伝えると、彼女は礼を言って店をあとにしたそうだ。
「へえ? 誰かは知らねえけど、クーレルのファンだったりしてな」
少々うらやましそうに、アルフレッドがそう口にする。
「あら、それはとても気があいそうだわ」
と、カミーラはとてもうれしそうだ。
「だといいな。それで、その女の子ってのを待つつもりか?」
「ああ。何の用かは知らないが、待ってみる価値はありそうだ」
と、アルフレッドの問いにそう答えるクーレル。
もしかしたら、レイドリックに関する情報を何かしら持っているかもしれない。そう考えての言葉だった。
ただ、彼女がいつやってくるのかがわからないため、三人は手近なカフェで時間をつぶすことにした。
四杯目のコーヒーをクーレルが飲み干したところで、入り口のドアベルが来客を告げた。
三人が同時にそちらを見ると、山吹色の髪をツーサイドアップにしたかわいらしい少女が店内に入るところだった。
彼女は丁寧にドアを閉めると、その場で店内に視線を巡らせる。一通り眺めてクーレルに気がつくと、彼女は迷いなく三人のもとへとやってきた。
「あの……。クーレル・アルハイドさん、ですか?」
おずおずと少女がたずねる。
クーレルがうなずくと、少女は心底ほっとしたように息をついた。
「何の用だ?」
クーレルがぶっきらぼうにたずねると、少女はびくりと肩を震わせる。
「おい、クーレル。怯えてるじゃねえか。悪いな、嬢ちゃん。こいつ、いっつもこんな感じなんだ」
アルフレッドが申し訳なさそうに告げると、少女はふるふると首を横に振った。
「それで、クーレルに用事ってのは?」
と、アルフレッドが促すと、少女はララと名乗り、ラクトア王国からクーレルへの追手が差し向けられたことを告げた。
「追手か……。そいつがどんな奴なのか、嬢ちゃんは知ってるのか?」
「はい。十代くらいの男の子と女の子、それに銃使いの女性です」
アルフレッドの問いにララが答えると、
「どうして、それを俺たちに?」
と、
「あ……え、えと……」
彼の二色の瞳に見据えられ、ララは言葉に
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。求めていたものとは違うけど、有益な情報を得られたんですから」
と、カミーラがフード越しに言った。どうやら彼女は、ララのことをクーレルに
「そうだな。追手だろうが何だろうが、結局は殺せばいいだけだしな」
と、アルフレッド。
その言葉に一応は納得したらしいクーレルが、追手の居場所をたずねる。
「えっと、たしか……ノルアーナ経由でカロア王国に向かうって言ってました。それと、殴り倒さないと気が済まないとも」
記憶を辿りながら、ララが告げる。
「相当、恨まれてるな」
と、アルフレッドは笑いながら、横目でクーレルを見やる。
クーレルは何を言うでもなく、口角を引き上げたまま、値踏みするようにララを見つめている。
「情報ありがとな、嬢ちゃん。また、何かつかんだら教えてくれ」
アルフレッドは、ララに視線を戻すと笑顔でそう言った。
ララはうなずくと、深々と一礼してその場をあとにした。
「で? どうするよ?」
と、アルフレッドがクーレルにたずねると、
「追手は、私が始末します。クーレル様たちは、どうか先に進んでください」
と、カミーラが珍しく強めの口調で言った。
決意を秘めた彼女の声音に、クーレルは任せるとだけ告げる。
「じゃあ、マターディース帝国で落ちあおうぜ」
アルフレッドのその言葉に、カミーラはうなずいた。
会計を済ませて店をでると、カミーラはカロア王国へ、クーレルとアルフレッドはマターディース帝国へと向かった。
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