第21話 傀儡

「殺そうかとも思ったが、やめた。あんたには、俺のために働いてもらう」


「ど、どういうことだ?」


 と、マスターが警戒心を強めてたずねると、


「こういうことだよ!」


 クーレルはそう言って、マスターの顔の前に自身の右手をかざした。


 突然のことに戸惑うマスターをよそに、


「闇に囚われ、我が軍門に下るがいい。『闇の奴隷ダーク・マリオネット』」


 と、クーレルは静かに呪文を唱えた。


 クーレルの右の手のひらから、紫黒しこく色の光があふれる。それは、ほんの一瞬のことで。気がつくと、マスターの首に革製に似た黒いチョーカーがつけられていた。


 直後、首に違和感を覚えたらしいマスターが、自身の首に手をやろうとした。だが、身動きどころか指の一本すら動かせない。


「な……何だ、これ? 体が、動かせねえ……!」


 いったい何をしたのかと、マスターはクーレルをめつける。


 彼の眼光をものともしないクーレルは、右腕をおろすと涼やかな顔で残酷なことを告げた。


「自分の指を斬り落とせ」


 何をバカなことを……と、呆れた表情を浮かべるマスター。だが、そんな彼とは裏腹に、彼の右手は手近なナイフを持ち、左手の親指を斬り落とそうと動き出した。


「うそだろ!? 何でだよ! 勝手に動くなんて……。い、嫌だ。やめろ……やめてくれ!」


 マスターが、焦りながら悲痛な叫びをあげる。


 彼の表情に、クーレルは愉悦の笑みを浮かべるだけで何もしない。


 マスターの意に反し、鋭利な凶器はゆっくりと獲物へと迫る。


 ナイフの刃が彼の親指に触れる瞬間、クーレルが右手の人差し指をくいと曲げた。すると、今までどんなにマスターが力を入れようと止まらなかった右手がピタリと動きを止めた。


 恐怖に顔を歪ませるマスターは、ぜいぜいと肩で息をする。


 そんな彼に、クーレルはある命令をくだした。それは、レイドリックとクーレルに関係する情報を集めろというものだった。飲食店には人が集まるもので、ことバーやカフェといったところは客からの情報が集まりやすい。そのため、バーのマスターであるこの男は、情報収集において役に立つと踏んだのである。


「そうだ、こいつを渡しておこう」


 そう言って、クーレルは手のひらサイズの黒い結晶を作り出した。それはやがて、一頭の黒い蝶へと姿を変えた。


「そ……それは?」


 と、マスターは、かろうじてそれだけを口にする。


「通信手段だ。何かわかったら、こいつを飛ばせばいい」


 クーレルはそう告げると、黒い蝶をマスターのもとへと放つ。

 

「ここよりダニール村の方が、情報は集まるかもな。いい働きを期待するよ」


 そう言うと、クーレルはきびすを返した。


 ダニール村というのは、ムルドの南に位置する港町である。漁業が盛んで、アモードルース王国の海の玄関とも呼べる場所だ。人や物だけでなく、あらゆる情報さえも集まってくる。まさに、情報収集にはうってつけである。


 クーレルは、扉の前で立ち止まると、


「あんたの命は俺が握ってる。それを忘れないようにすることだな」


 と、肩越しに告げてバーをあとにした。


 繁華街へ戻ると、先ほどの喧噪けんそうがうそのように静まり返っていた。辺りを見れば、先ほどまで逃げ惑っていた者たちの無残な亡骸が通りを埋め尽くしている。


「お! ようやく戻ってきた。クーレル、どこいってたんだよ」


 その場にそぐわぬ明るい声で、アルフレッドが声をあげた。笑顔を振りまく彼は、ふさふさとしたネイビーブルーの狼の尻尾を振っている。それはまるで、飼い主の帰りを待ちわびた忠犬のようだ。


 彼の隣にいるカミーラも、麗しい笑みでクーレルを迎える。


「協力者に会いに、な」


 二人に合流すると、クーレルはそれだけを告げた。


「協力者? また、無理やり協力させたんじゃねえのか?」


 笑いながらアルフレッドが言うと、クーレルはにやりと笑みだけを返す。


「それで、これからどうするんだ? ここでの捜索は終わりなんだろ?」


 アルフレッドがたずねると、


「ああ。これからユノカーラにいく」


 と、クーレルが告げた。


 カミーラは、その言葉にわずかに肩を震わせて、表情をこわばらせる。


「……ああ、そっか。ユノカーラは、お前の祖国だもんな。さすがに、嫌なこと思い出しちまうか」


 アルフレッドがそう言うと、カミーラは複雑そうな笑顔を浮かべる。


「まあ……ね。でも、大丈夫よ。なんたって、クーレル様と一緒なんだから」


 と、彼女は強がるように言ってクーレルへと熱視線を送る。


 だが、その当人であるクーレルは、それに気づいているのかいないのか、涼しい顔で明後日の方角を見ていた。


「まったく、ここまで想われてるとうらやましいぜ」


 アルフレッドが本音を口にすると、


「あら。貴方だって、かっこいいじゃない。想ってくれる女の子の一人や二人、いるんじゃなくて?」


 と、カミーラは、意外そうな顔をして言った。


「かっこいいか? 顔に傷跡あるんだぜ?」


 アルフレッドは、自嘲ぎみに自身の左ほほを指さす。そこには、大きめの傷跡がたしかにあった。


「それがあったとしても、マイナスの要因だけになることはないわ。ワイルドさが増していいっていう女の子も、けっこういるくらいだしね」


 卑下する必要はないと、カミーラが明るく告げる。


「そりゃどうも。……まあでも、そういう相手がいたら、ちったあ違ってたんだろうな」


 と、苦笑するアルフレッド。その表情には、どこか哀愁が漂っている。


「昔語りをするには、まだ早い時間なんじゃないか?」


 明後日の方角を見ていたクーレルが、そう言って笑みを浮かべた。


 空は夕焼けに染まり、濃いオレンジ色の光が街を照らしている。たしかに、しんみりとした雰囲気になるのはまだ早いかもしれない。そういうのはだいたい、就寝前に焚き火や暖炉を囲んで……と相場が決まっているのだ。


「たしかにそうだな。わりい」


 と、アルフレッドが申し訳程度の謝罪をする。


 だが、クーレルはそれを気にする風もなく、出発することを端的に告げると二人に背を向けた。

 

 アルフレッドとカミーラがうなずくと、三人はユノカーラ王国へと向かった。


  *  *  *  *  *


 ユノカーラ王国に到着すると、三人は早速レイドリックの情報を集めるために住民への聞き込みを始めた。


 けれど、ここでもレイドリックを知る者はおらず、彼らしき人物を見たという情報も皆無だった。


 落胆する三人に追い打ちをかけるように、日は陰り夜のとばりがおりてくる。


「しかたがない。今日のところは終わりにするか」


 と、ため息とともにクーレルが告げる。


「でしたら、今日は宿に泊まりませんか?」


 カミーラが提案すると、


「温泉か、いいじゃねえか!」


 と、アルフレッドが目を輝かせる。


「たしかに、ここにきたら温泉に入らないわけにはいかないな」


 と、クーレルも珍しく穏やかな笑顔を見せる。


 カミーラは彼の笑顔にほほを赤らめながら、それならとこの国で一番人気のある宿へと二人を案内することにした。

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