第26話 カミーラ・ウィルコンフィー

 黒い外套がいとうを着た女が、ゆっくりと三人の方へと歩いてくる。その姿は、堂々としていて優雅ささえ感じさせるものだった。風になびく艶のある長い黒髪と、うっすらと浮かべる笑み。ややつり目がちなチェリーピンクの瞳は、真っ直ぐにユキトを見据えている。見た目はかっこいいお姉さんだが、彼女がまとう空気はどことなく危険な香りがするものだった。


 周囲にいる人々は、そんな彼女の雰囲気を感じ取ったのか、じりじりと後ずさりしては逃げていく。


 有象無象などどうでもいいとばかりに、彼女は真っ直ぐに三人の前まで歩み寄った。


「あんた、誰だ?」


 ユキトが、警戒しながらたずねた。いつでも攻撃できるように、腰に差しているサーベルに手をかける。


 アリスとジェイクも、武器を取りだして戦闘態勢を取る。


「貴方たちが、ラクトア王国が差し向けた追手ね?」


 女は、ユキトの質問には答えず、そう確認するように問う。


(ラクトア王国が差し向けた追手……? ってことは、クーレルの仲間か)


 と、ユキトは瞬時に理解した。『クーレルには、狼獣人の男性と人間の女性の取り巻きがいる』というララの言葉を思いだしたのである。


「だったら、何だよ?」


 敵意むきだしでユキトがそう言うと、


「残念だけど、ここで死んでもらうわ」


 と、彼女は口角を引きあげて告げた。


 どこから取り出したのだろう、その手には、いつの間にか黒いむちが握られている。


 彼女の剣呑けんのんなまなざしに、ユキトはサーベルを抜いて構えた。


「さあ! 私を楽しませてちょうだい!」


 そう言って、女が鞭を振るって襲いかかる。


 ユキト一行の後方で傍観ぼうかんしていた人々は、命の危険を感じて一目散に逃げだした。


 ユキトは舌打ちをすると、無関係な人々に被害が及ばないように、必死に彼女の攻撃に食らいついていなしていく。そのすきに、アリスが女の背後に回り込み、攻撃をくりだそうとする。


 女は、それに気づいているようで、にぃ……と妖しく口角をあげると、左手を真後ろへとかざした。


「凍りつけ。『氷結凍晶アイス・コンジェラート』!」


 ねっとりとささやくように、彼女が呪文を唱える。


 すると、アリスがサーベルを振り下ろそうとした瞬間、彼女の前に氷の壁が形成されていく。


「な……何、これ!?」


 小さく悲鳴をあげて驚くアリス。


 目の前だけだと思っていた氷の壁が、自身を取り囲むように形成されているのだから無理もない。しかも、そのスピードは速く、武器を振り下ろして脱出しようにも、もがく程度しかできない。あっという間に、アリスは氷の壁に完全に閉じ込められてしまった。


「アリス!」


 ユキトが叫ぶ。


 だが、アリスからの返事はなく、身じろぎ一つ確認できない。


「絶対許さねえ!」


「ユキト、待ちな!」


 女を鋭く睨みつけると、制止するジェイクの声を振り切って、ユキトは真正面から彼女に斬りかかった。


 怒りで大振りになってしまった攻撃は、いともたやすく避けられてしまう。


 余裕の笑みを浮かべる彼女にいらだちを覚えて舌打ちをしたところで、銃声が聞こえた。反射的に振り向くと、ジェイクが氷に閉じ込められたアリスに銃口を向けていた。先ほどの銃声は、ジェイクの持つ武器が発っしたものなのは明白で。


「ジェイクさん! 何やってるんだよ!」


 焦りと怒りがないまぜになったユキトは、感情のままに言葉をぶつける。


「こうでもしないと、アリスちゃんを助けられないだろ?」


 と、冷静に告げるジェイクだが、アリスを見据えるその表情は険しいものだった。


 それもそのはず、彼女の視線の先――アリスを閉じ込めた氷は、銃弾があたったにもかかわらず傷一つついていないのだ。


 歯噛みする二人を嘲笑いながら、女はアリスを閉じ込めた氷に近づく。うっとりとした表情で、それをなでながら、


「さあ、どうするのかしら? 早くしないと、この、死ぬわよ?」


 と、煽るように言って高笑いをする。


 ユキトは盛大に舌打ちをすると、


「赤と青。二つの炎よ。交わり喰らえ! 『炎纏いし双龍ドラゴニック・フレイム』!」


 と、前方に左手をかざして呪文を唱える。


 すると、ユキトの左の手のひらから二匹の龍が出現した。赤と青の炎の龍は絡みあい、一匹の大きな紫色の龍に姿を変えて、二人めがけて一直線に向かっていく。


 その後を追いかけるように、ユキトとジェイクは駆けだした。


 紫色の龍は、瞬く間に二人を飲み込んだ。しばらくして霧散するように消えると、アリスを閉じ込めていた氷は解けてなくなっていた。だが、肝心の女の姿がない。


「くそっ! どこ行きやがった?」


 ユキトが視線を彷徨わせると、女の姿を視界の端に捕らえた。


(上か!)


 視線をあげると、ほぼ無傷の女が上空にいた。おそらく魔法によるものだろう、上空に佇んでいる彼女が降りてくる様子はなかった。


 舌打ちをしたユキトは、


「ジェイクさん、アリスを頼む!」


 と言って、ジェイクの返事も待たずに、火焔球フレア・ボムをくりだしながら女の方へと向かっていった。


「無茶するんじゃないよ!」


 ジェイクは、返事をする代わりにそう告げて、アリスのもとへと急ぐ。


 武器を振り下ろそうというタイミングで閉じ込められたからか、呪縛から解放されたアリスは前のめりにバランスを崩してしまった。短時間とはいえ氷にさらされていたせいだろう、思うように体が動かせなかったらしい。だが、地面に倒れこむ前に、彼女をジェイクが抱きとめた。


「アリスちゃん、大丈夫かい?」


「ありがとうございます、大丈夫です。それより、ユキトは?」


やっこさんのとこだよ」


 アリスの問いに、ジェイクは顔をあげてそう答えた。


 アリスも彼女の視線の先を見る。数メートル先に、あの女とユキトがいた。


 ユキトが連続で火焔球フレア・ボムを放つも、女はそのことごとくをひらりとかわしていく。


「さっきまでの威力は、どこにいったのかしら? まさか、あれが限界ってわけじゃあないわよね? 坊や?」


 女は身をひるがえしながら、そんな言葉でユキトを挑発する。


「うっせえ! そっちこそ、さっきから逃げてるばっかじゃねえか! ここで、俺たちを殺すんじゃなかったのかよ?」


 ユキトが吠えると、女は当然だとばかりに鼻で笑う。


「そうよ。でも、すぐに殺しちゃったら面白くないじゃない。せっかく、クーレル様の邪魔をする奴らに出会えたんですもの、嫌というほど苦しませなきゃね」


 そう告げる女のチェリーピンクの瞳には、猟奇的な光が宿っている。


 ユキトはそうかと投げやりにつぶやくと、


「斬り刻め! 『風の刃キル・ブレイブ』!」


 と、彼女との会話を切りあげるように、左手を前方に向けて呪文を唱えた。


 三日月形の風の刃が三つ、ユキトの手のひらから放たれ女へと高速で飛んでいく。と、ほぼ同時に彼は、女との間合いを詰めるべく地を蹴った。


「風よ……」


 そうつぶやいて、サーベルの刃に風をまとわせることも忘れない。


「まあたしかに、いつまでもこのままじゃあ芸がないわよ、ね!」


 言い放ちざま、女は詠唱破棄で三本の氷の槍を作りだし、ユキトへと放った。


 風の刃と氷の槍が、互いに正面からぶつかり消滅する。その衝撃で発生したパウダースノーのような氷の粒子が、二人の間に真っ白な壁を一時的に作り出した。


 だが、ユキトはそれをもろともせずに、正面にいるであろう女に斬りかかる。見えないながらも、手ごたえは確実にあった。けれど、押しとどめられているのか、振り抜くことができない。


 真っ白だった視界が次第に晴れていくと、なぜ武器を振り抜けないのか理解できた。女が、黒い鞭でユキトのサーベルの刃を絡め取り押し止めていたのだ。


「真正面からかかってくるなんて、単純なのかしら? 偶然とはいえ、せっかく目くらましができたんだから、効果的に使わなくちゃ。ね? 


 ねっとりとした口調で、そう告げる彼女。


 値踏みをするような彼女の視線に恐怖を感じ、ユキトはサーベルの刃にまとわせている風の出力をあげた。ミシッと軋む音を響かせたあと、刃に絡みついていた鞭は弾き飛ばされる。そのすきをついて、ユキトはバックステップで女との間合いを取った。


(名乗ってないのに、何で俺の名前……?)


 そんな疑問が浮かぶけれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 気持ちを切り替えて武器を構え直すと同時に、自身を呼ぶ声が聞こえる。ユキトが視線を向けると、アリスとジェイクが駆けてくるところだった。


 アリスの無事な姿に、ユキトは安堵する。これで集中できると視線を戻すが、女は攻撃する様子を見せない。


 二人がユキトに合流して武器を構えると、


「ユキト、アリス、ジェイク……ね。貴方たちのおかげで、久しぶりに本気をだせるわ。だから、特別に教えてあげる。私は、カミーラ・ウィルコンフィー。クーレル様の腹心が一人よ」


 女はそう言って、狂喜に満ちた笑みを浮かべた。

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