第36話 犠牲

 目の前の凶器に、ユキトは息を飲む。だが、それも一瞬のことで、すぐに鋭い眼差しでクーレルを見た。


「どうして俺の邪魔をする?」


 クーレルは、冷ややかな目でユキトにたずねた。


「そんなの決まってる! 人が殺されそうになってるからだ!」


 クーレルを睨みつけながら、ユキトはそう答えた。


「……エルザ女王を助けるためじゃなかったのか?」


 と、怪訝な表情のクーレル。


「ああ、そうだよ。けど、目の前で襲われてる人がいるんだ、見過ごすなんてできねえよ!」


「そうか。なら、あいつがしたことを知っても、そう言えるのか?」


 そう告げるクーレルの言葉に、ユキトは無言で眉を潜めた。


 ユキトからの返答がないのをいいことに、クーレルは口を開いた。あの龍人――レイドリックが、ロードハルト公国大公の弟であり、自分の実の父親であること。クーレルの母親が身ごもったことを知った途端、彼女の前から消えたこと。彼女が人間だったため、産まれた子どもが龍人と人間の混血児だったこと。そのせいで街の住民から迫害を受け、クーレルが十六歳の時に母親が亡くなったことを話した。


「これでも、まだ俺の邪魔をすると?」


「それは……」


 クーレルの問いに、ユキトは答えられず視線を彼からはずしてしまった。たしかに、目の前で誰かが殺されるのは見過ごせない。だからといって、レイドリックの行いが許せるかと言ったら、素直にうなずくことはできなかった。


 言葉に窮しているユキトに、クーレルはにやりとすると、刀をゆっくりと振りあげた。


「ユキト!」


 突然、アリスの声が聞こえたかと思うと、ユキトの頭上を雷の矢が通りすぎた。

 

 ハッとして視線をあげると、刀を振りあげたクーレルが舌打ちをして背後を見ていた。その視線の先には、カミーラを相手にしていたはずのアリスがいる。


 アリスはユキトに駆け寄ると、


「このバカ! 何、ぼさっとしてんのよ! エルザ様を助ける前にあんたが死んじゃったら、意味ないでしょ!」


 と、ユキトの腕をつかむ。


(そうだ。こんなところで、死ぬわけにはいかねえんだった)


 そう思い直したユキトは、アリスの手を借りて立ちあがった。武器を構えて臨戦態勢を取る。


「申し訳ございません、クーレル様。一人は仕留めておきたかったのですが」


 と言いつつ、カミーラがクーレルの隣に並ぶ。


「ああ、構わない。お楽しみの時間が伸びただけだ」


 そう言うと、クーレルは刀を振り下ろし、その刃に紫色の炎をまとわせた。


「仕切り直しでもするのか?」


 室内に張りつめた空気が漂う中、アルフレッドが緊張感のない声でたずねる。 


 クーレルがうなずくと、わかったと言うように、アルフレッドはクレセントアックスを一振りした。その風圧で、彼に攻撃をしかけるジェイクとジルヴァーナを牽制する。


 ジェイクは舌打ちをすると、ジルヴァーナとレイドリックを引き連れて、ユキトたちに合流する。


「ジェイクさん!」


 大丈夫かとユキトが声をかけると、ジェイクはわずかにうなずいた。


「どうあっても、諦めてはくれねえってか?」


 クーレルの隣に並び立つと、アルフレッドが確認するようにそうユキトたちへと告げた。


「そんなの当たり前だろ!」


 と、ユキトが吠えた。無意識のうちに、サーベルの刃に風をまとわせている。


「あんたたちの言い分は、何となくわかるさ。ひどい目にあわされたから、仕返ししてやろうってのはね。けど、それじゃあ何にも解決しないんだよ!」


 ジェイクがそう言うと、クーレル一行は乾いた笑い声をあげる。何もわかっていないとでも言いたげだった。


「もう何を言っても無駄だよ、ジェイクさん。復讐なんて言ってるけど、こいつらは世界を壊したいだけなんだから」


 やけに冷静に告げるアリスは、サーベルを腰にさしている鞘に戻した。不意に右手を床につけたかと思うと、


「神速の狩人。無慈悲な終焉。しびれて狂え! 『追撃の稲妻シークイット・スパーク』!」


 と、呪文を唱える。


 すると、アリスの右手から雷が放射状に放たれた。それは、攻撃対象者に当たるまで対象者を追走するという魔法である。だが、途中で障害物に当たると消滅するという弱点がある。


 それを知ってか知らずか、カミーラは瞬時に氷の壁を作り出した。


 床を駆ける多数の雷は、クーレル一行へと向かっていく。だが、氷の壁に衝突し消滅した。その衝撃で、氷の壁も砕け散る。


「そんなに死にたいなら、望み通りにしてやろう」


 そう宣言すると、クーレルはアリスに向かって右手を突きだした。


 警戒して様子をうかがうユキト一行。だが、それがいけなかった。


「闇に囚われ、我が軍門に下るがいい。『闇の奴隷ダーク・マリオネット』」


 そう呪文を唱えるクーレルの右の手のひらから、紫黒しこく色の光があふれる。


 それは、ほんの一瞬のことで。気がつくと、アリスの首に革製に似た黒いチョーカーがつけられていた。


「え……何これ?」


 首に違和感があるのだろう、アリスはきょとんとした顔をしている。だが、次の瞬間、彼女の表情が恐怖に彩られる。


「アリス? どうしたんだよ?」


 と、彼女の異変に気がついたユキトが声をかける。


「体……動かないの」


 震える声で答えるアリス。


 いつの間にか右手をおろしていたクーレルは、そんな彼女を不敵な笑みで眺めている。その視線に気づいたユキトは、彼女に何をしたと声を荒げた。


「死に急いでるみたいだから、その手助けをしたまでだ」


 当然のことのように告げるクーレル。


 怪訝な表情をするユキトたちをよそに、


「サーベルを抜いて、その切っ先を自分に向けろ」


 と、クーレルがアリスに命じた。


「何、言ってるの? そんな命令に従うわけ――っ!?」


 クーレルを小馬鹿にしたように言うアリスだったが、従うわけがないと最後まで言葉にすることはできなかった。


 彼女の右手が、腰にさしているサーベルを引き抜いたのだ。もちろん、彼女の意思とは関係なくである。


「何、これ……? うそ、何で!?」


「何してんだよ?」


 そう冷たくたずねるユキトは、こんなところでふざけるなと言いたげだ。


「そう言われてもわかんない! 手が、勝手に動くんだもん!」


 涙目になりながらそう訴えるアリス。彼女の両手は、サーベルの柄をしっかりとにぎり、その切っ先を彼女自身ののど元へと向けていた。


「クーレル! てめえ……!」


 怒りの矛先をクーレルへと向けて、ユキトが武器を手に一歩踏みだそうとした瞬間。


「動くな! 少しでも動いたら、彼女が死ぬぞ」


 と、クーレルが鋭く告げた。


 そう言われてしまえば、動けなくなってしまうのは当然で。ユキト一行は、歯噛みしながらクーレルをにらみつけるしかなかった。


「そんなに、その少女の命が大切か?」


 邪悪な笑みを浮かべるクーレルの問いに、


「もちろん、大切に決まってるじゃん!」


 当然だろうとばかりに、ユキトは即答した。


 アリスとは幼い頃からのつきあいである、ユキトにとって家族と同じくらい大切な存在だった。


「そうか。じゃあ、彼女を助けたいよなあ?」


 クーレルのその言葉に、ユキトは警戒しながらうなずく。


「なら、レイドリックを――そこの龍人を渡してもらおうか。そうすれば、彼女にかけた魔法を解いてやる」


 どうする? と、暗に問いかけるクーレル。選択肢は一つしかないはずなのに、あくまでもユキトに判断をゆだねる形なのだろう。


 ユキトは、歯噛みしながら視線を彷徨わせる。もちろん、アリスは助けたい。けれど、彼女と引き換えにレイドリックを犠牲にすることも、ユキトにとっては避けたいことだった。


 思考は堂々巡りをくり返し、妙案はまったくもって浮かばない。怒りと緊張感でピンと立っていたユキトのうさぎ耳は、次第に力なくたれていく。


「さあ、どうする? 早くしないと、俺の気が変わるかもしれないぜ」


 と、もてあそぶように急かすクーレル。


「もうやめろ。わかったから」


 答えられないユキトの代わりに、そう告げたのはレイドリックだった。その場にいる全員の視線が彼に注がれる。


「悪いな、俺の息子が……いや、俺のせいでこんなことに巻き込んじまって」


 レイドリックはそう言いながら、ゆっくりとクーレルの前へと移動する。


「子どもが犠牲になるのは、見てられないって? その優しさを、ほんの少しだけでも母さんに向けてほしかったよ」


 冷たい声音で言うと、クーレルはレイドリックの言葉も待たずに刀を彼の腹へ深々と突き刺した。紫色の炎をまとった刃は、レイドリックの体を貫通する。それは本当に一瞬のことで。紫色の炎が彼を包み込んだ。


 悲痛な叫びをあげるレイドリック。だが、それもわずかのことだった。クーレルが刀を抜くと、レイドリックは膝からその場に崩れ落ち、焼け焦げた屍と化した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る