第37話 敗走

 あっという間のできごとに、ユキト一行とジルヴァーナは言葉を失っていた。


 カミーラとアルフレッドも心なしか青ざめている。二人とも、これまでにクーレルの戦闘姿を見たことがなかったのだ。


 驚きと畏怖が室内を満たしている中、クーレルは平然とアリスに向けて右手をかざした。その手のひらがわずかに紫黒しこく色に光ると、アリスの首につけられていた黒いチョーカーが跡形もなく消え去った。


 自由を取り戻したアリスは、首もとに手をあてて小さく安堵の息をもらした。


 そんな彼女の様子を自慢のうさぎ耳でとらえたユキトは、内心ほっとしながら、意識をクーレルへと向ける。


 冷たい瞳でレイドリックの亡骸を見下ろしていたクーレルは、にやりと妖しい笑みを浮かべて視線をあげた。真っ直ぐにユキトを見ながら、


「止められなかったな」


 と、得意げに言った。


「クーレル、てめえ……!」


 牙を剥くユキト。手にしているサーベルの刃を覆う風は、先ほどよりも勢いを増し、竜巻の様相をていしている。


「これでわかっただろ? お前たちには、俺を止めることはできないんだよ」


 クーレルは、勝ち誇るようにそう告げる。


「うるせえ!」


 と、一蹴したユキトは、感情のままにクーレルへと駆けだした。


 それを合図に、戦闘は再開される。ユキトはクーレルに、ジェイクとアリスはカミーラに、アルフレッドはジルヴァーナにそれぞれ攻撃をしかけた。


 気合とともに、サーベルを振りおろすユキト。クーレルは、それを刀で受け止めた。風と炎をまとった二振りの刃が交錯する。それが二人に牙を剥く直前、クーレルがユキトを弾き返した。


 体勢を崩すユキトだが、すぐさま立て直し武器を振るう。そのたびに、クーレルに弾き返される。そのくり返し。


 剣戟を打ち合う甲高い音が響く。それにともなって、風と炎が二人に襲いかかる。だが、それを気にするほど、今のユキトには余裕がなかった。頭に血がのぼっているというのもあるが、ほんのわずかな油断が命取りになることを肌感覚で感じ取っていたのである。


 対するクーレルは、妖しい笑みを浮かべたままで、ユキトとのやり取りを楽しんでいるようにも見える。


「お前の実力は、こんなものか? もっと本気を見せろよ」


 何度目かの攻撃を受け止めてそう言うと、クーレルは思い切りユキトを蹴る。


「――っ!?」


 重い蹴りを腹にまともにくらい、一瞬、息ができなくなった。そのままの勢いで後方へと飛ばされ床に衝突する。


「ぐっ……!」


 呻きながらも、どうにかその場に立ち上がるユキト。武器を構えるが、先ほどまで刃にまとわせていた風はすっかり消えている。


(くそっ! どうすればいい? どうすれば、こいつに勝てる……?)


 今のままでは到底敵わないと思ってしまったユキトは、ちらりと仲間の状況を確認する。


 アリスはカミーラと交戦中で、ジェイクとジルヴァーナはアルフレッドの攻撃をかわしながらこちらに向かってくるところだった。合流したところで、戦況が有利にならないだろうことは予想できた。けれど、諦めるわけにはいかない。


 ゆっくりと歩いてくるクーレルを睨みながら、ユキトは思考をフル回転させる。


「ユキト、大丈夫かい?」


 ユキトが策を思いつく前に、ジェイクとジルヴァーナが合流した。


「ああ、なんとかね。……って、その人、どうしたの!?」


 と、二人を見て驚きの声をあげる。


 顔を歪めているジルヴァーナにジェイクが肩を貸しているのだ。ユキトに合流しようとジルヴァーナが背を向けた瞬間に、アルフレッドの攻撃を受けたのだという。


「それじゃあ、お礼しねえとな!」


 と、ユキトは詠唱破棄で風の刃キル・ブレイブを放った。


 三連の三日月形の刃が、ジェイクたちの横を通りすぎアルフレッドへと向かっていった。直後、ユキトは二人に手を貸すと、壁際へと移動し、ジルヴァーナを横たわらせる。敵の動きを気にしながら、ジルヴァーナに回復魔法をかける。アリスほどではないが、ユキトもそれなりに回復系の魔法が使えるのだ。ただし、今は戦闘の最中である、効果は応急処置ほどだろう。


 高速でアルフレッドに襲いかかる三日月形の刃。それを冷めた目で見つめると、


あめえよ」


 そうつぶやいて、アルフレッドはクレセントアックスで風の刃キル・ブレイブを斬り伏せた。


「それくらいで、あんたを倒せるとは思ってねえよ」


 どうにか応急処置を終えたユキトが、アルフレッドに向き直りながらそう告げた。


「他人を介抱する余裕があるとはな」


 と、遅れて到着したクーレルがどこか感心したように言う。


「クーレル……。だからって、手加減してたわけじゃねえから」


 ユキトはそう言って、サーベルを構える。もちろん、刃に風をまとわせることも忘れない。


 鼻で笑うと、クーレルは刀を構えた。刃がまとっている紫色の炎は、先ほどよりも威力を増しているように見えた。


「アルフレッド、手はだすなよ」


 クーレルが忠告すると、わかっているとでも言うようにアルフレッドがうなずいた。


「さあ、さっきの続きといこうぜ。白うさぎ!」


 早くかかってこいとばかりに告げるクーレル。


「あんたは、ここでぶちのめす!」


 そう啖呵たんかを切ると、ユキトは刃にまとわせている風魔法の威力をあげた。


「風よ、我が声に応えよ!」


 ユキトが呪文を唱え始めた。


黒紫こくしの炎。闇の深淵――」


 その直後、クーレルも刀を振りあげながら呪文を口にする。


 ユキトがその場で十字に空を斬ると、十字形の斬撃が風の刃となってクーレルへと向かっていく。


「――『十字架を守護せし鷲クロス・イーグル』!」


「――絶望とともに果てるがいい。くらえ! 『破滅の牙ガルファング・ウィザード』!」


 ユキトが十字形の斬撃の中心にサーベルを突き刺すようにくりだすのと、クーレルが刀を振りおろすタイミングはほぼ同時だった。わしの形をした緑色の風とひょうの形をした紫黒色の炎が、互いの刃から出現する。


 ユキトとクーレルの間合いのほぼ中間地点で、紫黒色の豹が十字形の斬撃を飲み込んだ。その直後、鷲と豹が激突する。


 爆風に目を細めるユキト。しばらくすると爆風は収まったが、視界に映る光景に目を疑った。緑色の鷲は跡形もなく姿を消し、紫黒色の豹がユキトへと迫っていたのである。


(うそだろ!? 十字架を守護せし鷲クロス・イーグルが破られるなんて……)


 愕然とするユキトだが、背後に負傷者がいることを思い出し、サーベルに風をまとわせる。それを横一文字に持ち、防御の構えをとった。これで、破滅の牙の威力をどれだけ軽減させられるのかはわからない。そもそも、防げるかどうかすらもわからない。けれど、やるしかなかった。防御魔法を使おうにも、呪文を唱える余裕がなかったのだ。


「ユキト!? 無茶だ!」


 自殺行為だという、ジェイクの声が聞こえる。


「無茶なのは、承知の上だっつの!」


 そう声高に告げると、ユキトは刃にまとわせた風の威力を最大まで引きあげた。


 紫黒色の豹が、先ほどの衝突で威力を落としてはいるものの、勢いはそのままにユキトを襲いかかった。


 歯を食いしばりながら、その熱と重さに耐えるユキト。徐々に押されて後退していく。


(くそっ! 負けてたまるかよ!)


 半ば意地で耐え忍ぶが、どこまで持ちこたえられるか、正直なところわからなかった。


 そうしてから、どのくらいの時間が経ったのか。長い時間が経過したように思えるが、実際には数分程度だろう。魔法なのだから、防御すればそのまま消えるのが常である。だが、紫黒色の豹は、形を保ったままだ。このままでは、ユキトが飲み込まれてしまうのも時間の問題だろう。とはいえ、攻撃に転じるのはほぼ不可能だった。


「へえ。結構、耐えるじゃん」


 感心したようにアルフレッドがつぶやいた時だった。


 ユキトが手にしているサーベルの刃に亀裂が走ったのだ。


「え……」


 思ってもみなかったことに、ユキトは思わずそう口にしていた。


 それは次第に広がり、やがて刃は完全に折れてしまった。


(うそだろ……?)


 そう思った瞬間、ユキトは紫黒色の炎に飲み込まれた。


「ユキトーーっ!」


 悲痛なジェイクの悲鳴が響く。


 ユキトを包む紫黒色の炎は、次第に消えていき、その場に倒れているユキトと折れたサーベルが残されていた。


「何、これ……」


 ようやく合流したアリスは、目の前の光景にそうつぶやくことしかできない。


 ゆっくりと視線を移すと、クーレルとアルフレッドが獰猛な笑みを浮かべている。


 ギリッと音がするまで奥歯を噛みしめるアリスだが、クーレルに向かっていくことはなかった。ユキトのもとへと駆け寄ると、彼を引きずってジェイクの側へと移動する。


「ジェイクさん、逃げよう」


 小声で提案すると、ジェイクはうなずいた。


「宵闇のしるべよ、道を示せ。『空の扉バビロン・ゲート』」


 ジェイクがそう呪文を唱えると、足もとに円形の魔法陣が現れた。


「逃げるのか?」


 勝利を確信したようにたずねるクーレルに、アリスは鋭い眼差しを送る。


「一時退却ってやつよ。次は、容赦しないんだから!」


 そう言いおくと、アリスたち四人はその場から姿を消した。

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