第38話 漆黒の闇

 視界に映るのは、漆黒の闇。気がつくと、ユキトは自分の息づかいだけが聞こえる暗闇の中にいた。


「ここ、どこだ……?」


 つぶやいても、答えは返ってこない。それ以前に、自分以外の気配がまったくしないのだ。


 視線を彷徨さまよわせるが、見回す限り黒一色で塗りつぶされている。前後左右はおろか、自分が本当に地面に立っているのかさえわからなかった。


「いったい、どうなってんだよ」


 つぶやいて、ユキトは直前の記憶を思い返してみることにした。


(たしか、マターディース城の一室で、クーレルたちと戦ってたんだよな――)


 レイドリックの亡骸、重傷を負ったジルヴァーナ、彼に寄りそうジェイク、カミーラとの攻防をくり広げるアリス、不敵な笑みを浮かべるアルフレッド、紫黒しこく色の豹をくりだすクーレル。断片的だが、鮮明な光景が脳裏に浮かぶ。


「そうだ……。俺、クーレルの魔法に飲み込まれたんだ」


 自身が放った十字架を守護せし鷲クロス・イーグルが破られ、紫黒色の豹形の炎に飲み込まれたことを思い出した。その瞬間、全身に強烈な痛みが走る。


「ぐっ……!」


 思わず呻いて、その場に膝をつく。浅く早い呼吸をくり返し、痛みに耐える。


「あれ? そのあと……どうしたんだっけ?」


 いくら思い出そうとしても、それ以降のことは思い出せない。いや、正確には、のだ。


「え……じゃあ、俺……もしかして――」


 つぶやく声は、次第に震えていく。信じられなかった。状況がそうだと告げていても、それでも信じたくなかった。自分が死んでしまったなんて。


「……そだ、そんな……。うそだーーーーっ!」


 自分の気持ちを誰かに肯定してほしくて、願いを言葉に乗せて思い切り叫ぶ。だが、その思いに答える声は一切聞こえなかった。


「マジかよ……。俺、本当に死んだの?」


 絶望がユキトの心に影を落とす。信じたくはないが、この空間に自分一人しかいないのは事実だ。


 もしかしたら、ここは死後の世界なのかもしれない。そんな考えさえ頭をよぎる。


 ユキトの心が絶望に蝕まれていく中、どこからか声が聞こえた。不思議に思い視線をあげるも、見えるのは真っ黒な闇だけ。どこから聞こえてくるのかと闇雲に足を進めると、その声は徐々に大きくはっきりと聞こえてきた。


『止められなかったな』


『お前の負けだ』


『お前のせいで、みんな死ぬ』


 そうこだまするのは、クーレルの声だった。ここにいるはずはないのに、どうして彼の声が聞こえるのか。ユキトにはまったくわからない。けれど、彼の声が紡ぐ言葉には、素直にうなずけなかった。


 たしかに、レイドリックに対するクーレルの復讐は止められなかった。その直後の戦いで、ユキトはクーレルに負けた。それは事実だ。だからといって、すべてが自分のせいだとは思えなかった。


「違う、俺のせいじゃない! 全部、クーレルが世界を壊そうとするのがいけないんじゃないか!」


 そう叫ぶと、突如として、ジルヴァーナ、ジェイク、アリスの三人が目の前に現れた。


「みんな……」


 無事でよかったと言おうとした瞬間、ジルヴァーナの首が飛んだ。


「え――」


 突然のことに、ユキトはその場から動くことができない。


 まばたきをしてジェイクを見ると、今度は彼女が血まみれで倒れていた。


「は――何だよ、これ。冗談だろ?」


 虚空に問いかけるが、先ほどから響くクーレルの声が『お前のせいで、みんな死ぬ』とくり返し告げるだけだった。


「い、やだ……。やめろ! やめてくれ! アリスだけは……彼女にだけは手を出すな!」


 そう叫んで、アリスを助けようと手を伸ばす。だが、必死の懇願もむなしく、どこからか現れた湾曲した刀がアリスの腹部に深々と突き刺さった。


「やめろーーーーーーーっ!」


 彼女へと手を伸ばしながら声を張りあげると、視界は唐突に切り替わった。漆黒の闇と血を流すアリスは消え、代わりに見覚えのある天井が広がる。


「あ、れ……?」


 天井に伸ばした手を見つめて、先ほどの映像は何だったのかとぼんやりと思考を巡らせる。だが、明確な答えはなくて。考えることを放棄したユキトは、代わりに周囲を見回した。


(ここ、ジェイクさんの家……だよな?)

 

 正確には、ジェイクの家の客間にあたる一室である。ジェイクに初めて出会ったその日に、ユキトはアリスとともに一泊させてもらったことがあるのだ。何となくだが、部屋のレイアウトや調度品を覚えていたのである。


「ユキト!?」


 部屋の入口から、アリスの驚いたような声が聞こえた。


 そちらに視線を向けると、彼女がいきなり抱きついてきた。


「ぅわっ! ちょ……アリス?」


「もう、ユキトのバカ! 心配したんだからね!」


 そう言いながら、アリスは幼い子どものように泣きじゃくる。


「……ごめん」


 申し訳なさと先ほどの映像が幻でよかったという安堵感とが混ざりあい、ユキトはそれだけしか言えなかった。


 アリスが泣きやむのを待っていると、ジェイクとジルヴァーナがそろってやってきた。どうやら、アリスの泣き声を聞きつけたらしい。


「アリスちゃん、どうした――ユキト! よかった、気がついたんだね」


「ごめん、心配かけて」


 と、うさぎ耳をたらして謝罪するユキト。


「本当だよ、まったく。無茶するなって言っただろ?」


 と、ジェイクが笑顔のまま小言を言うと、ユキトはもう一度、ごめんと頭をさげた。


「でも、よかった。生きててくれて。医者からは、意識が戻る確率は五分五分だろうって言われてたんだ」


 ジェイクはそう言って、優しい笑みを浮かべる。


「それって、俺が死ぬかもしれなかったってこと?」


 ユキトがそう口にすると、それを肯定するかのように重い沈黙が室内を支配する。


 ユキトは、その沈黙に耐えきれず、自分がクーレルの攻撃を受けたあとに何があったのかたずねた。


 小さく息をつくと、ジェイクが口を開く。あの後、すぐに戦場を離脱してラクトールに逃げてきたこと、負傷したジルヴァーナとユキトを病院に担ぎ込んだこと、ジルヴァーナのけがは応急処置が適切だったこともあり割とすぐに完治したこと、ユキトのけがは回復魔法でも完全には治らず、意識もないことから『今晩が山だろう』と医者に告げられたこと、丸二日間、ユキトが昏睡状態だったことを話した。


「そう……だったんだ」


 つぶやいて、ユキトは暗闇でのできごとを思い返していた。もしあの場所で、クーレルの声に屈していたら、今ここにはいなかったかもしれない。そう考えて、ユキトは小さく身震いした。


「ユキト。もう、無茶はしないで。お願い」


 ようやく泣きやんだアリスは、ユキトから離れると真剣な口調でそう告げた。


 彼女の青い瞳を真正面から見返して、ユキトは大きくうなずいた。無様に死に急ぐことのないように、もっと強くなると心に誓う。


「それはそうと、報告しなくていいのかい? あんたたち、一応、任務ってことで旅にでたんだろ?」


 ジェイクの問いに、ユキトとアリスはそうだったと顔を見あわせた。二人とも、任務だということをすっかり忘れていたのである。


「あー……剣、折れちゃったのも言わなきゃなあ」


 怒られるだろうなと、ユキトのうさぎ耳はこれ以上ないほどにたれきっている。


「あれは、しかたないよ。説明すれば、わかってもらえるって」


 と、アリスがベッドから降りて告げた。先ほどまで泣いていたのに、もう笑顔になっている。


 そんな彼女に勇気をもらったのか、ユキトは覚悟を決めたようにうなずいた。


「あー……水を差すようで悪いのだが、私も行っていいのかね?」


 おずおずとジルヴァーナがたずねると、


「もちろん! 俺たちが城に着く前に何があったのか、説明してほしいしね」


 と言って立ちあがったユキトは、ほんの少しだがふらついた。


「ちょっと、大丈夫!?」


 アリスが慌てて支えようとするも、ユキトは大丈夫と言うように片手をあげた。


「ちょっとふらついただけだって。早く報告に行こうぜ」


 そう言うと、ユキトは部屋からでていった。


 アリス、ジェイク、ジルヴァーナの三人は、顔を見あわせて苦笑すると、彼を追いかけて部屋をでた。


  *  *  *  *  *


 四人が、ジェイクの家をあとにしてしばらく歩いていると、向かい側から見覚えのある山吹色の髪の少女が歩いてきた。ララである。


「あれ? みなさん、どうしてここに? クーレルっていう人を探してたんじゃ……」


 と、不思議そうな顔をするララ。


 ユキト、アリス、ジェイクの三人は、どう説明しようかと思案しつつ苦笑せざるを得ない。ただ、ジルヴァーナだけは、きょとんとした表情を浮かべていた。

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