第16話 シャーリー牧場

 少女の必死な声に、いち早くユキトが反応した。少女のもとへと駆け寄り、一体どうしたのかとたずねる。


「あ、あの、お母さんと妹が、変な化け物に襲われてて……!」


 そう告げる少女のオレンジ色の瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほどの涙が浮かんでいる。


「変な化け物……?」


 その言葉を口にした瞬間、ユキトの脳裏に魔物の姿が浮かんだ。


 その嫌な予感に、勢いよく後ろの二人を振り返る。アリスもジェイクも何かを察しているのだろう、先ほどまで緩んでいた表情が引き締まっていた。


 そんな二人にユキトは無言でうなずくと、


「その変な化け物と君のお母さんたちは、今どこにいるの?」


 と、少女に優しく声をかけた。


「えっと、あっち……」


 少女は大粒の涙を貯めながら、自分の背後を指さして答えた。


「そっか。じゃあ、そこまで案内してもらえるかな?」


 ユキトの言葉に、少女の大きな瞳がひと際大きくなる。


「君のお母さんたちを助けたいんだ」


 ユキトがそう言うと、少女の表情に少しだが希望の光がさした。


 少女は力強くうなずくと、きびすを返して駆けだした。その後ろをユキトがついていく。


「ユキト、ちょっと待ってよ! マスター、ごちそうさまでした!」


 と、アリスが慌てて少女とユキトを追いかける。


「すみません、マスター。全部食べ切れなくて」


 ジェイクはそう言って、代金を多めにカウンターの上に置くと、三人を追うように店をでた。


 一行は少女を先頭に、南北へと伸びる商店街を北へ抜ける。賑わっている景色は、徐々に閑静な住宅街へと変わっていく。都市部とは違って、家々が密集していないので圧迫感はないが、あまりにも静かすぎて自分たちしかいないと錯覚してしまいそうだ。


 だが、そんなことを気にしている余裕は一行にはなかった。一刻も早く行かなければ、少女の家族が犠牲になってしまう。それに、少女が言うところの変な化け物が、もしかしたら魔物かもしれないのだ。それを看過することは、一行には――とくにユキトとアリスにはできなかった。


 道中、少女はタルトと名乗り、住宅街から少し離れた場所に自宅があると言った。一行は、不安で押しつぶされそうなタルトに声をかけつつ、現場までひた走る。


 どれくらい走っただろうか。周囲の住宅は数がまばらになり、代わりに畑や牧草地が見えることが多くなってきた。住宅街に入った時には澄んだ青空だった頭上は、今やすっかり灰色の雲で覆われている。雨が降りそうというわけではないが、心まで沈んでしまいそうな空模様だった。


 時折、そよぐ風に乗って獣の咆哮ほうこうのようなものが聞こえる。


(――っ! これって……)


 聞き覚えのある音に、ユキトは確信した。タルトが言っていた化け物が、魔物であるということを。


 ふと、鉄のような臭いが鼻をついた。それは、獣人の嗅覚でなければ嗅ぎ取れないほどかすかなもの。だが、ユキトに最悪の状況を想像させるには充分だった。


 ユキトの前を行くタルトも、彼同様に声と血の臭いを感じ取ったのだろう、肩が小刻みに震えている。


 そんな彼女の様子を視界に収めたユキトは、手のひらに爪が食い込むほどに拳を強く握りしめた。絶対に、彼女の家族を助け出すと心に誓う。


 しばらく走り続けると、血の臭いが次第に濃くなってきた。獣の咆哮も先ほどよりはっきり聞こえる。


「ねえ、ユキト。これって血の臭いだよね?」


 人間であるアリスも感じ取れたのか、ユキトにそう確認する。


「ああ。おおかた、化け物ってのに襲われた奴のだろうな。唸り声も聞こえるし」


 と、ユキトが答える。被害者が誰なのかは検討もつかないため、明言を避けた。


「無事だといいね」


 ジェイクが、ぽつりとそれだけを口にした。彼女も、アリスとほぼ同じタイミングで臭いに気づいたのだろう。


 重苦しい空気が一行を包む中、タルトが現場に到着したことを告げた。


 ユキトたち三人は、タルトの指さす方を見やる。そこには、アーチ型の看板があり、その奥に大きな建物も見える。だが、ごく普通の住宅は見当たらない。


「シャーリー牧場? 普通の家じゃないのか……?」


 アーチ型の看板を見あげて、ユキトはそうつぶやいた。彼がイメージしていたのは、ごく普通の民家だ。しかし、実際には牧場だったのだから、戸惑うのも無理はない。


「ちょっと、ユキト! 何、ぼーっとしてんのよ!」


 いつの間に追い抜いたのか、アリスがユキトの前にいた。よく見ると、彼女の数メートル先にタルトとジェイクの後ろ姿が見える。


「あ、ああ……」


 そうつぶやいた瞬間だった。ふいに、先ほどよりも濃い血の臭いが鼻をついたのだ。


(――っ! そうだ、今はそんなことより救助が先だ!)


 目的を思い出したユキトは、三人を追うように走り出した。


 耳に届く禍々まがまがしい声も、先ほどよりはっきりとしている。そろそろ姿が見えてもおかしくない。


 ちらりと周囲に視線を向けると、放牧場に羊たちが横たわっている。軽く見積もっても、十頭以上は優に超えているだろう。そのどれもが、きらきらと輝く純白の毛を赤黒く染めている。血の臭いの出どころは、どうやらこの羊たちの亡骸のようだ。


 その光景を見たユキトは、むごいと思いつつも、現時点でタルトの家族が犠牲になったわけではないことに胸をなでおろした。と同時に、一刻も早く魔物を倒さなくてはと決意を新たにする。


 その時、前方から一発の銃声が聞こえた。弾かれたように音のした方へと向き直すユキト。その視線の先には、銃を構えているだろうジェイクの後ろ姿とタルトを抱えて避難しようとしているアリスの姿があった。彼女たちの少し先に、二メートルほどの翼を持つ牛が唸り声あげている。


「あれが、化け物……?」


 と、思わず立ち止まったユキトはそうつぶやいた。


 それはどう見ても、翼を持つごく普通の牛――ウルゥという種類の牛である。ウルゥは肉牛として広く知られており、多数の畜産業者が飼育している。教育機関での授業により、子どもたちも知識としてその存在を認識している。もちろん、ユキトも学園在学中に学んでいた。


 自分たちが対峙しているのは、紛れもなくウルゥである。通常のウルゥと異なるところがあるとすれば、体格が一回り大きいことと体毛が黒いこと、二本の太い角に赤黒い血が付着していることぐらいか。だが、目の前のウルゥがまとう禍々しさは、魔物のそれとまったく同じものだった。


(……まあ、何であれ、危ねえ存在なのは間違いねえよな!)


 ユキトは対峙するウルゥを魔物と見なし、腰にさしているサーベルを抜く。武器を構えつつ、真正面から向かっていった。


 ユキトの殺意を感じたのか、漆黒のウルゥは威嚇するように低く唸ると、角をユキトへ向ける。助走をつけるように、右前足で地面を何度も蹴った。


「ユキト! 油断するんじゃないよ!」


 ジェイクの声を合図に、ウルゥが猛スピードでこちらに向かってきた。


「風よ……」


 ユキトはそう小さくつぶやいて、サーベルの刃に風をまとわせる。


 ウルゥの突進を紙一重でかわしたユキトは、そのまま片方の角を折ろうと攻撃をしかけた。だが、刃は角に傷一つつけることなく弾かれてしまった。


「なっ……!?」


 反動で飛ばされる形になったユキトだが、受け身を取り無様に倒れることは回避する。


「ジェイクさん!」


 先ほどまで自分の後ろにいたジェイクに、ユキトは慌てて声をかける。獲物を逃したウルゥが、まっすぐにジェイクへと向かっていったからだ。

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