第9話 手負いの魔物

「頼りにしてるぜ、アリス。――行くぞ!」


 ユキトはそう言って、魔物に向かって駆けだした。もちろん、アリスもほぼ同時に駆けだす。


 ようやく雷の矢サンダー・アローによるしびれが治ったのか、魔物は数回頭を振って二人の方をにらみつける。ワニに似た凶悪な顔は、見た者を怯えさせる迫力がある。濃い紫色の瞳には、怒りだけが宿っていた。


 低い咆哮ほうこうをあげると、魔物はその口から紫炎を放つ。禍々まがまがしいほどに燃え盛る紫炎は、ユキトを飲み込もうとスピードをあげた。


「俺狙いかよ!」


 ユキトは、そう文句を言いつつ紫炎を切り伏せる。


おとり役、よろしくー」


 おどけるようにアリスは言って、魔物の右側へ回り込むように動いた。


「アリスの奴……後で覚えとけよ」


 と、恨み言をつぶやくユキト。


 だが、言葉とは裏腹に、アリスが動きやすいよう複数の火焔球フレア・ボムを放って、魔物の意識を引きつける。詠唱破棄のため、通常よりも威力は劣るが、連射するには都合がいい。


 ユキトの思惑通り、魔物はまたも彼に向けて紫炎を放った。


 赤と紫の炎は、ぶつかりあって消滅する。その瞬間、ユキトは魔物との間合いを詰め斬りかかる。


 だが、それは相手も予想していたようで。腕を横に振り、暴風を生じさせた。


「くっそ……。またかよ!」


 そうぼやくユキトは、また強烈な風に飛ばされる。しかし、今度は無様に倒れることはなかった。先ほどの経験が生きたのかもしれない。


 着地と同時に、魔物の悲鳴が聞こえた。視線をあげると、のけぞる魔物とサーベルを振りかざすアリスが見える。


「アリスにばっか、いいかっこさせるかっての!」


 そうつぶやくと、ユキトはサーベルを腰の鞘に納めた。左手を右手首に添えて、右の手のひらに力を集中させる。


「真空の三日月よ。切り裂き、奪え! 『岩をも砕く鋭い疾風ニードル・ゲイル』!」


 呪文を唱えて、右腕を下から上へと振りあげた。三日月形の風のやいばが、地面すれすれのところを高速で飛んで魔物へと向かっていく。


「避けろ、アリス!」


 ユキトは、アリスに向けて大声で叫んだ。


 魔物と交戦しているアリスは、ユキトの声に反応し後ろへ飛び退いた。すると、先ほどまで彼女がいたところを風の刃が通り過ぎていく。次の瞬間、それはトカゲのような魔物の尻尾を切断して消滅した。


 絶叫する魔物。切断された尻尾は、瞬く間に霧散消滅する。


 それを目を丸くして見ていたアリスだったが、ほんの一瞬で我に返った。


「ちょっと、ユキト! 人が戦ってる時に、上級魔法なんて撃たないでよ!」


 危ないでしょ! と、アリスはユキトのもとへ駆けよりながら抗議した。


「俺を囮にしたお返しだ。それに、声はちゃんとかけたぜ?」


 と、こともなげに言うユキト。


 そんなことを言われてしまえば、アリスは何も反論できなくなってしまう。


「……まあいいや。とにかく、あいつのコアを砕かなきゃ」


 そう言って、アリスは武器を構える。


 魔物は、コアと呼ばれる魔法の結晶を中心にして創造される。コアは、人間や動物で言うところの心臓のようなものだ。それを破壊することで、魔物は消滅する。


「そうだな。さっさと片づけて、クーレルを探しに行こうぜ」


 アリスの言葉にうなずいたユキトが、そう言って武器を構え直した時だった。


 魔物がひときわ大きな声で咆哮ほうこうをあげ、複数の紫炎をところかまわず放射したのである。


「ちょっ……マジかよ!?」


「うそでしょ!? あのワニ頭、私たち巻き込んで死ぬ気!?」


 ユキトとアリスは、ほぼ同時に驚きの声をあげる。


 放射された紫炎は、広場のあちこちに着弾し周囲のものを燃やしていく。どうにかしなければ、ここが火の海になるどころか、他の住宅や商店街にまで被害が及ぶだろう。


 ユキトは盛大に舌打ちをして、自分の方へと飛んできた紫炎をサーベルでなぎ払う。が、次から次へと飛んでくるため、防戦一方にならざるを得ない。


(くそっ! どうすればいい?)


 打開策を考えようにも、飛来する炎に気を取られて思考がうまくまとまらない。


 ふと、アリスは大丈夫だろうかと気になり横目で確認する。しかし、隣にアリスの姿はなかった。


 紫炎をほふりながら、アリスの姿を探して辺りを見回すと、アリスは猫耳少女のもとにいた。防御魔法を展開して、魔物の攻撃を防いでいる。


(よかった。アリスとあの女の子は、とりあえずは大丈夫か)


 二人の姿を確認して、ユキトは胸をなでおろした。


 正直なところ、自分の身を守ることで精いっぱいだった。だから、アリスが猫耳少女を守ってくれているのはとてもありがたい。


(とりあえず、この攻撃をどうにかしないと……)


 と、ユキトは思考をフル回転させる。


 先ほどユキトが放った岩をも砕く鋭い疾風ニードル・ゲイルは、風属性の魔法の中でも上級魔法に分類されるものだ。それが魔物に通用したのだから、他の属性でも上級魔法に分類されるものならば多少なりとも効果はあるだろう。少なくとも、試す価値はあるはずだ。


 だが、そこで一つの問題点が浮上する。呪文を詠唱している最中は、相手の攻撃を避けることはできても防ぐことができないのだ。それも、広範囲で複数の攻撃ともなれば、避けることもままならなくなる。


 ユキトが上級魔法を使うのであれば、アリスが盾役になることが望ましい。けれど、アリスは今、猫耳少女の盾役に徹している。ユキトは、たった一人でどうにかしないといけないのだ。


(どうする……?)


 考えている間にも、魔物の攻撃の手は緩まない。手負いなのだから、そろそろスタミナ切れを起こしてもおかしくはないはずなのだが。


 突破口を見つけられないまま、降り注ぐ紫炎の対処を強いられている時だった。何かが弾けるような音が聞こえた。次の瞬間、魔物の悲鳴が聞こえ紫炎の雨がやんだ。


 いったい何が起きたのかと、ユキトは視線を巡らせる。


 自分たちの後方――広場の入り口から一人の女が悠然と歩いてくるのが見えた。


「騎士団の連中が取り逃がしたって聞いたけど、まさかこっちで暴れてるとはね」


 困ったものだとでも言いたげに、彼女は右手に持った拳銃で首もとを軽くたたいている。


 突然のことに、ユキトもアリスも反応できなかった。


 銃を持った女は、栗色のポニーテールを揺らしながらユキトの隣までくると、


「あんたら、こいつとやりあってたんだろ? まだ子どもなのに度胸あるねえ。でも危険だから、後ろにいる子を連れて逃げな」


 と、告げた。


「逃げろって……そんなことできるかよ! ここで逃げたら、あいつが野放しになっちまうじゃねえか!」


 さすがにそれは許容できないと、ユキトが感情的に言い返す。


 そもそも、危険なことは承知の上だ。実際に戦ってみて、魔物の脅威はよく理解している。けれど、ここで引くわけにはいかない。


「ていうか、どうしてあんたはここにきたんだよ? 危ないってわかってるんだから、近づかなきゃいいだろ?」


 当然の疑問をユキトがぶつけると、彼女は一つため息をついた。


「それができればよかったんだけどね、そうもいかないのさ。この先にあたしの家があるんだよ」


 だからどうしようもないのさと、彼女は肩をすくめる。


 自宅に向かうルートは、この一本だけではないだろう。にもかかわらず、彼女はここを通ることを決めた。その理由は、先ほど彼女自身が言っていた『騎士たちが魔物を取り逃がした』ことにあるのだろう。


 そんな話をしていると、立ち尽くしていた魔物が唸り声をあげてユキトたちをにらみつけた。


「あれ? おかしいな。確実に頭を狙ったんだけど」


 と、首をひねる彼女。


 よく見れば、たしかに魔物の額に穴が開いている。


(マジかよ……。腕よすぎだろ)


 ユキトは、目を丸くして隣の女を見た。自分と同じ背丈なのか、真横には彼女の整った横顔があった。


 たしかに、ユキトたちがいる場所よりも後方から的確にヘッドショットを決めるのは、銃の腕前がよくないとできないだろう。しかも、あの紫炎の雨をかいくぐってである。驚かない方が無理というものだ。

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