つまらない人生
──恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。──
試験明けのこの日。いつもなら
聖なる祝日──この日はアムネジアで暮らす者にとって、何にも勝る素晴らしい祭日。街は一層の輝きを放ち、人々は美しい召し物を
くだらない。瑞綺はそう思った。汚辱と欲望に
瑞綺は知っていた。あの人に連れ出されたあの日。この世界で最も汚らわしいと嘆かれる深淵の地で、この世の何にも勝る美しい星空を見た。最も貧しいと謳われる地獄で、この世の何にも勝る
「アンリ様、夕食の準備が整いました」
廊下の突き当たりに佇む大きな扉。その前にいた一人の執事は、そう言って腰を折る。扉が音もなく開き、食堂が姿を現す。
「来たか」
その部屋の中央で、男はそう呟いた。口から紫煙が吐き出される。彼の脇に腰掛けている妖艶な女が、その煙を指で
「試験直後にお呼び出しとは。
父上もなかなか酷い方ですね」
瑞綺は冗談めかしてそう言う。苦い煙が鼻に刺さる。
「すまないな」
全く申し訳なさそうに、その男は肩を
男と瑞綺は細々とした会話を交わし、食卓についた。無言で料理を口に運ぶ。
「…今回の試験もトップスコアだったそうじゃないか」
「……えぇ」
「誇らしい、お前は私の自慢の息子だ」
男はそう溢し、僅かに微笑んだ。薄気味悪い
「これからも精進してくれたまえ」
「……」
自分はお前なんかのために頑張っている訳ではないと、そう言ってやろうかと息を吸う。しかし、言葉が
では何のためだ。
自らは何のためにトップスコアを収めているのだ。
答えは出ない。
「容姿、身体能力、学業、道徳……全てにおいてトップだ。
素晴らしいな」
男は噛みしめるように、再びそう呟いた。横で女の手が
「お前が女だったら良かったのに」
部屋に沈黙が落ちた。
その台詞は、この男が使う
いつの間にか男の脇にいたはずの女が、瑞綺の後方に立っていた。
「…っ……!」
短く息を吐く。目の前の男は
女が瑞綺に馬乗りになる。吐息が体を撫でる。悪寒がして体が震える。そっと顔を寄せられる。ただただ怖かった。黒い瞳に呑まれそうになる。一切の体温を感じない肌に
心底
瑞綺はすんでのところで女を押しやった。女は勢い余って、床に尻餅をつく。瑞綺はその人の
「次同じことをしたら殺す」
そう低く脅しても、女はねっとりとした笑みを浮かべるだけだった。遠くでくぐもった笑い声が聞こえる。まるで無駄だと諭すようだった。お前はこの矛盾ある
「もう用はないですよね、下がらさせて頂きます」
瑞綺は吐き捨てるようにそう言って、部屋を後にしようとする。それを男は柔和な声で止めた。
「これを」
瑞綺は振り返り、その紙切れを受け取る。
【Invitees List】
[Royalty]
No. 13914914192 Anri
No. 137187149168 Noel
「君たち二人は、私たちの光だ。必ず出席するように。
良い結果を期待しているよ」
吐き気が込み上げた。自分たちは物なのか。お前らを美しく飾るための宝石なのか。そんな言葉が脳内を駆け巡る。しかし気がつけば、弱々しい己は口角を上げ、にっこりと微笑んでいた。
「ご期待に添えるよう頑張ります、父上」
あぁ私には変えられぬというのか。ならばいっそ知らなかった方が良かったのかもしれない。あの手が届きそうなほどの星空も。あの騒がしくも幸せな日々も──
外に出る。しんと静まり返った廊下に、自分の影だけが伸びていた。それをぼんやりと見つめながら瑞綺はふと、有名なとある文章を思い出す。
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恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、
という事になりそうです。
自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、
まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、
自分は、いったい幸福なのでしょうか。
つまり、わからないのです。
隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。
そこで考え出したのは、道化でした.
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
つまり、自分は、いつのまにやら、
一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、
また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、
そうして自分ひとりの
その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、
ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、
次第に完成されて行きました。
『人間失格』 太宰治
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涙が溢れた。嗚呼、私はなんとつまらない人生を送っているのだろうか。その人生のなんと、惨めで、薄汚いことか──
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