身に余る幸福、また不幸
「じゃあ、私はここで」
少女は律儀に
内側の人間がその
ゲート前に足を運ぶ。風が吹いた刹那に、無機質な空気の香りを感じた。瑞綺はその人工的に作られた爽やかさに顔を
門守はカードを確認すると、そそくさとゲートを開く。瑞綺は中に足を踏み入れると、目深に被っていたベールを剥ぎ取った。控えめに光っていた
「珍しいね、
瑞綺がそう声を掛けると、壁に身を預けていた青年は嘆息を漏らす。真っ直ぐに伸びた黒髪がさらさらと流れ落ち、その端正な
「何故俺に何も告げずに出て行く?」
呆れたように呟く青年を前に、瑞綺は肩を
「行き場所はちゃんと伝えてるだろ」
と返した。
「ふぅん、行き場所が分かれば何時如何なる時も勝手に出て行っても良いと?
は、なら
「悪かったよ、君に出て行くことを伝えても、拒まれると思ったんだ」
「今がどんな時期か分かっているのか、試験まで一週間を切ってるんだぞ」
「知ってるよ、縞は試験を気にするような野暮じゃないってこと」
瑞綺が御託を並べると、縞は壁から身を起こしその白磁気のような額を指で弾く。鈍痛が脳を揺らすものの、不思議と優しさを感じる痛みだった。
「誤魔化すのにこっちは一苦労してんの」
心底呆れたように声を漏らす縞。その声音に心配していたかのような色が滲む。
「ごめん」
それを感じた瑞綺は、素直にそう謝った。今週末、アムネジアで全国民を対象にした能力テストが行われる。このテストに向けて、街は異様な緊迫感に包まれていた。それもそうだろう。この試験で自分の今後が決まる。点数が以前より高くなればより良い職と環境に。点数が以前より低くなれば、今までの職を失い街の外れへと追いやられる。人々は綿密に区別され、それぞれ決められた道を歩むこととなるのだ。
瑞綺が反省の色を示していると、縞は僅かに笑みを溢す。底知れない妖しさのある艶やかな微笑みだった。瑞綺とは異なる真っ赤な唇が、妖艶に光る。
「一応、この前の試験で俺に負けたので発狂してますって伝えといたから」
その唇から、少し意地の悪い声が漏れた。瑞綺は眉を
「それは心外だな、総合では僕の方が一回分君を上回っているだろう?」
「さぁどうだったか」
「いや絶対にそうだ、1786勝1785敗」
「相変わらず異常な執着心をお持ちのようで」
瑞綺がそう呟くと、縞は
「それはもう知ってることだろ。テストにおいても、この件においても」
瑞綺は縞の言葉にそう返すと、視線を逸らした。気付いている。こんなにも聖都市を否定しながらも、自分もまたその荒波に
「それにしても。
君がここに来たということは、何か大切なことがあるんだろう?」
瑞綺は自分の心に蓋をする様に話題を転じた。縞は彼の問いかけに顔をあげ、少し表情を歪める。それだけで、瑞綺はその心中を察した。
「父か」
「テスト明けの晩、共に
「…そう」
短く返事をする。
「予定を調整するから、後で伝えに行ってくれ」
瑞綺は顔色ひとつ変えずそう告げると、先に歩き始めた。
「…瑞綺、断るか?」
背後で縞が呟く。瑞綺の足が止まる。幾らでも言い訳をすることは出来た、けれど。
「…良い、せめて上辺だけでも仲良くしておかないとな。
あとに何かあった時に困る。」
嘘だ、結局は縋っているのだ。絶対的な力を前に跪き、安寧を手にしようとしている。裏切られることを怖がっている。
アンリは未だ瑞綺になれずにいた。
「何かあったら言えよ、瑞綺」
縞が肩を並べ名前を呼ぶ。彼はその言葉に曖昧に笑って見せた。瑞綺。その名もまた、身に余る。
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