不可解な依頼
「おかえり」
咲穂がその素っ気ない反応に呆然としていると、店の中から上司の声が聞こえる。少し不機嫌そうな調子。そっと見やると、
「仕事の時間なのに、一体どこをほっつき歩いているのかしら」
彼女は不満そうにそう言って、煙草を口に運ぶ。やはり先程の女性は依頼人だったようだ。朱音が吐いた息が広がり、苦く甘酸っぱい香りが鼻を
朱音には瑞綺のことを話していなかった。『
咲穂が押し黙っていると、朱音は一つ溜息を漏らす。そして机上に溢れている書類の一部を差し出した。
「…言及しないんですか」
「えぇ、ここで生きる仲間だもの。
一つや二つ、語れないこともあるでしょう?」
咲穂がそう尋ねると、彼女は平然とそう返す。さすが上司だ、この街のルールを良く知っている。人とは必要以上に関わらない。言及しない。同情しない。ここでは弱みを持つことが、命取りに直結した。人に自分の弱みを見せること──すなわち弱みとなるようなものを作ってしまうこと。それは自らの身を滅ぼす行為。弱みにつけ込まれれば最後、ありとあらゆるもの吸い取られ、この街の藻屑の一部と化すだけであった。
咲穂は気付かれないようそっと安堵の息を漏らし、その書類を受け取る。
「…捜索依頼、ですか」
依頼内容の枠には、朱音の文字でそう書かれていた。
「珍しいですね」
「でしょう? 死ぬことはあっても行方知らずになるなんて」
【事件詳細】
依頼人の息子ニアが行方不明になったのは、昨日の【狩り】以降のことである。その日彼女は市場へと買い物に出掛けていて、少年は一人で留守番をしていた。
依頼人が買い物から帰る際に【狩り】が発生。その後彼女は帰宅したが、自宅に少年の姿はなく、行方知らずとなっていた…
咲穂は文章に目を通しながら、その微妙な違和感を感じ取っていた。この
「…遺体所は?」
咲穂は今朝の
残された者には、冥福を祈る場所は愚か、大切な人の歪んだ顔を拭う布切れさえ与えられない。遺体は街の裏路地に並べられ、一定の期間が過ぎればまとめて回収された。死んだ人間はただの腐った死肉。美しい思い出や、遺族の悲しみなどは関係ない。彼らは街に病を流行らせる病原菌の
生きている者と死んでいる者の差は大きい。
「私も聞いたんだけどね、どこにもいないらしいの」
朱音は咲穂の問いかけにそう言うと、何かを思案するように首を傾げた。
「怪しい香りがぷんぷんするわね…【狩り】の時分に
【狩り】を行うのは
咲穂は先程通ってきた方角を振り返る。無機質な白い壁を思い出す。可能性はあるだろう。でも、なんのために…?
「不本意だけど調べるしかなさそうね、向こう側のこと」
朱音がそう言って、また一つ息を吐いた。もし
「咲穂、あなたは依頼人の家をもう一回調べに行って」
彼女はそう言って、もう一枚紙を手渡した。そこには手書きの地図が載っている。貧民街の中心にポツリと打たれた星印。これが依頼人の家のようだ。
「あ、あと。近いからここにもついでにお願い」
ふと朱音がそう言って、鉛筆で星印を付け足す。
「…何のお店ですか?」
「【仕立て屋】よ、内のことを良く知ってて
私は西で情報集めるから、東は咲穂お願い」
その星印は、依頼人の家からほど近いところに打たれた。
「…わかりました」
咲穂は朱音の指示に頷く。
「久々にちゃんとした依頼だからね」
朱音は伸びをしながら、咲穂にそう言った。
「本腰入れて行きましょ」
その口元が不敵に笑う。敵意に燃えて揺らめく翠の瞳。政府の化の面を剥がす又とない機会に、朱音はそっと微笑んでいた。
「…では、この世界の不滅と繁栄を願って」
一言。上司の呟きに合わせ、咲穂は敬礼する。風が吹き、上司の髪に絡まる孔雀の羽が揺れた。
「
─『
それは孔雀の羽だったからである──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます