信じるべきもの
人混みの中から姿を現した上司はぎこちなく微笑むと、
しばらくの間、二人は互いに言葉を交わすこともなく、ただそこに立っていた。観衆の声もどこか遠くに聞こえ、二人の周りだけが世界と切り離されているようにひんやりと、冷たい空気を宿している。
「さてさて、皆様お待ちかね!! 本日の目玉商品の登場です!」
視界の隅でそんな声がしたのは、それからしばらく経った時のこと。咲穂は軽快な司会の声に合わせるように、奥から運び込まれた水槽へと目を向けた。
ターコイズに輝く水槽。その中に一人の少年が沈んでいる。薄い金色の髪は波間を
咲穂は思わず、上司の服の端を引っ張った。
「……朱音さん、あれ」
「………えぇ、間違いないわね」
間違いない。彼がニアだ。
咲穂は朱音と顔を見合わせ、微かに頷く。やっと
「とりあえず、誰が彼を落とすのかを見ておきましょう」
朱音は咲穂にそう囁いた。彼女はその声に頷くと、ちらりと青年を見やる。
白衣に身を包んだ研究者と思しき人物数名が、水槽の置かれた舞台に上がってくる。いくつかの
少年の瞳が開かれる。
その瞳は、快晴を思わせるような、清く美しい青を
咲穂はその澄んだ青空に吸い込まれ、こくんと息を呑む。少年の瞳は瑞綺とも異なる、全てを包み込むような、優しく、深い色を灯していた。
しんと静まり返ったホールに佇む少年は、辺りを見渡すと首を傾げる。そしてシドを見つけると口を開き、
「ますター、こコハいっタいドコデスか?」
と、問い掛けた。
無機質な音が脳を震わせ、少女はふと我に返る。芽生えた違和感はたちまち少女を呑み込み、混乱の渦へと突き落とす。
「大丈夫、安心して。これから君は、素敵な家族のもとに行くんだよ」
シドがそう声を掛け近づくと、少年はその白衣の
「彼は昔
手放すかどうかは迷ったんだけど、どうせなら大切にしてくれる人に
少年に抱きつかれながら、シドはそう笑う。咲穂はその様子を呆然と見つめていた。あの日玄関先ですれ違った依頼人の顔が思い浮かぶ。
依頼人は嘘を吐いたのだ。少年は人間じゃない。
「さあそれでは参りましょう!!
番号札15017810 、皆様奮ってご参加ください!!」
司会の声が
何故。では何故依頼人は、彼を助けて欲しいと頼んだのか。
外の世界で、少年のように高精度な機械を生み出すことは出来ない。ならば彼女は内の世界の住人であった可能性が高い、ということになる。何か罪を犯して捨てられたか、それとも、あの家も悲しげな笑みも全てが、自分たちを
色々な考えが浮かんでは消えていく。脳が
「ねぇ咲穂、私思ったんだけど」
「はい!」
上司がそう声を掛けると、少女は跳ね起きて彼女を
朱音はそんな部下を見下ろし、
「この依頼、ここで打ち切りにしないかしら」
と呟いた。微かな期待の
「な、何でですか。
そりゃあ確かに不可解な点もいっぱいあると思いますけど、
依頼は最後までやり通さなきゃいけないって、あの時言ってたじゃないですか」
「確かに言ったわ。でも、それとこれとは違う」
朱音はそう呟くと、二本の指をかざして見せる。少女は上司の迫力に押され、開きかけていた口を閉ざした。
「一つは、私たちのため。
咲穂も気付いてると思うけれど、依頼人は私たちに嘘の情報を流した。
善か悪かも分からない人間に肩を貸し続けることは、
不毛な事態に巻き込まれる
そして二つは、依頼人のため」
「依頼人の……ため………?」
「そう」
朱音は言葉を
「あの子、さっきからずっと彼のそばにいるじゃない?」
朱音の声に
咲穂は自分に言い聞かせるように、そう考える。しかし心のどこかでは、上司が口にしようとしていることを悟っていた。
「……たぶん、記憶を消されちゃってるのよ」
静かに
「だってもし依頼人との
それに、ここは公売会。
中古品はなるだけ新品状態に整備されて当然なのよ」
朱音はそこまで言い切ると、心配そうに部下を見る。彼女の言い分はもっともであった。
「咲穂、私はいつだって最善を考えているのよ?
仕事もゲヘナで暮らす人々も、私にとってはとても大切な存在。
でも、何よりも自分を、そして貴方を、大切に思ってる。
今回の依頼は、私たちにとっても、依頼した側にとっても、良い結果は期待できない。
私たちにとっての最善を選びましょう? ね?」
目を合わせようとしない少女に困ったように微笑むと、朱音は腰を落としてその
「彼女もきっと、説明したら納得してくれるはずだわ」
彼女は念を押すように、そっと畳み掛けた。咲穂は顔を上げると、上司を
「……、……です」
「え?」
最初、その言葉はよく聞き取れなかった。聞き返した上司に少女はふるふると首を振ると、溢れそうになる涙を
「嫌です、このまま終わりにするなんて。絶対に嫌です!」
上司の
「逢いたいと思っている人が目の前にいるんです。
確かにこの依頼は何も生み出さないかもしれません。
私たちが傷付くことだってあるかもしれません。
でも、もしかしたら、彼女は嘘を吐いていないかもしれない。
純粋に彼に逢いたいだけかもしれない。
彼が記憶を失っていることだって、まだ確定したわけじゃない」
少女はそう言うと、ギュッと拳を握り締めた。
「絶対、なんてないんです。
だから信じたい。
私は、もう、諦めたくありません」
泣きそうな顔で、彼女はそこに立っていた。朱音は行き場を失った手をそっと下ろすと、
「やらせて下さい。
私たちは『何でも屋』。何でもするのが
咲穂は震える声でそう呟くと、頭を下げた。
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