Gott ist tot . Gott bleibt tot .

── Dieser alte Heilige hat in seinem Walde noch nichts davon gehört, dass Gott tot ist. ──


(あの老いた聖者は森の中にいて、まだなにも聞いていないのだ。

 神が死んだということを───)



 みやびは男が饒舌じょうぜつに喋る様を、横目で見ていた。視界に入ってくる装飾品アクセサリーが鬱陶しい。軍服もきっちり上まで締められていて窮屈だ。観衆の目は皆同じで、金と愛と権力にくらんだ瞳を爛々らんらんと輝かせては、『自分』という名の商品を舐めずる様に見つめている。その姿が何ともみにくおぞましい。この瞬間に、人間とは何とも無知な生物であると感じる。どれだけ美しい宝石や布切れに身を包んだとしても、己の内から漏れ出す欲望までは掻き消す事ができない。どれだけ大人しく座っていようとも、口から垂れるよだれからはよどんだ生臭い匂いがする。


「雅は、

 一定量の人を喰らわなければ生きていけない、それが運命さだめ──」


 男は歌うように、民衆にそう語り掛けていた。こうして宣伝活動プロパガンダに呑まれたが出来上がっていく。

 

 運命、ね。雅は微かに息を溢し、視線を逸らした。どいつもこいつも分かったような口を聞く。。都合の良い言葉だ。運命であれば、きっと神の仕業しわざになるのだろう、良いことも悪いことも。しかし生憎、雅は何事にも一番でなければ気が済まない達であった───例えそれが神であったとしても。


みやび


 名前を呼ばれ顔を上げると、白く濁った瞳と視線が交わる。この男は自分を作った生みの親であり、我が子を平然と実験材料にする屑野郎だ。しかし抗うことは許されない。生まれた時から『』であった自分に、今更『』は与えられない。



 静かに命令が下される。雅は微かに頷き、指示に従う。


 脳裏で記憶が蘇った。生まれ落ちた時、男が朗詠していたあの文章が、自然と口から零れ落ちていく。


「Gott ist tot . Gott bleibt tot .....」



.・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・.


神は死んだ。神は死んだままだ。

彼を殺した殺人者の殺人者である我々は、どうやって慰めあえばいいのだろうか。

世界が所有する全てのものの中で最も神聖で最も強大なものが、我々の洋刀ナイフの下で血を流して死んだ。

誰がこの血を拭いてくれるのか。

我々が身を清めるための水は何か。

どんな贖罪しょくざいの祭り、どんな神聖な遊戯ゲームを 考案しなければならないのか。

この行為の偉大さは我々には大きすぎるのではないか。

我々自身が神にならなければならないのか。

───


『悦ばしき知識』 フリードリヒ・ニーチェ


・.━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━.・



 少年を包む空気が歪に姿を変える。血のように鮮やかな色を宿した紋様が、その白い肌を締め上げていく。


 雅は背後で、何者かの気味の悪い笑い声を聞いた。その声の主は彼の肩に腕を回し、囁くように引き笑いを漏らす。


 あんなにも称賛の声を上げ雅を囲んでいた客は皆、腐った死肉のように溶け出し、泥々と辺りをけがしていく。それは何とも薄汚く、醜い光景。しかし今ではそれが、何とも愛おしく感じる。その狂気を、血肉を、欲する『本能自分』が、ただそこに存在していた。


『ネ蝸壼他縺ゅs縺ホエh縺・dぇ、いッ≠縺ょ他s縺ホエh縺・dショ二あ蝸シ蝸壼他s縺そボ??』


 もう一人の本能はそう呟くと、彼を覗き込んだ。大きく裂けた口。この世界の卑陋ひろうさを見ても尚、その情景に心を踊らせている瞳。人とは思えないそれは、


 『夢境むきょう』───

 雅が持って生まれた悍しい能力。夢への扉を開ければ、人智を超える神韻しんいん縹渺ひょうびょうな能力を発揮する。それは素晴らしい力であると崇められるとともに、世界を滅ぼす力だと恐れられた───そう、まるで神のように。


 雅は赤く濡れていく世界をぼんやりと見つめていた。この力をあやぎぬのように美しく神聖な力だと感じていた頃が、ふと思い出される。この力のためであれば何だってやっていた。この辰砂しんしゃ色の世界を愛し、この血の薫香くんこうを望んでいた。自分の身体を傷つけることも、容量超過キャパオーバーの力に踠き苦しむことも厭わなかったはずだ。あの頃はまだ、自分を神だと信じて止まなかった。あの頃はまだ、人の温かさを知らなかった。


「み縺?≧邨オ縺倥ヤビ縺?≧邨オ縺。sKc縺mc縺ぃ??あ縺?邨オ縺倥c隨ケf繧ッ繧sKcmc縺DソボケK縺繝?ぉ蠎オpf繧ッ繧sKc縺mc縺Dぉ??」


 後ろから自分の声がする。自分が愛し、憎み、されど天命を共に生きねばならぬ者の声がする。例え世界が自分を残し滅び去ろうと、例え自分が一度ひとたび人生を終えてしまおうと、共に生きなければならぬ者の声がする。


「うるせぇ」


 耳を塞ぐ。背後からの邪念に蓋をする。もうこれ以上苦しめないで欲しい。この力を得た以上に、自分は多くのものを失ってきたはずだ。何故この世界で生きていかなければならないのか。何故神にならなければいけなかったのか。何故神は死んだのか。分からない。自分が生まれ堕ちた瞬間に、世界は変わってしまったのではないか。自分が生まれたから、神は死んだのではないか───


 


「雅」


 昏冥こんめいの世界、いないはずのあの人が名前を呼んだような気がした。彼は驚いたように顔を上げ、少女を見つける。


「……あ」


 その姿が、あの日の彼と重なって見える。美しく曇りのない瞳が、赤黒い世界を照らしていた。

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