黒い傘と宝石の瞳

 風に吹かれ今にも壊れてしまいそうなドアを叩く。その音に促されるように出てきた家主は、咲穂さほを見て申し訳なさそうな顔をした。この前店先で会ったことを覚えてくれていたようだ。咲穂はほっとして、家主──リタに微笑みかける。彼女が今回の依頼人。一人息子を失った悲しき被害者である。


「…すみません、少し家の中を見せて頂いても良いですか」


 咲穂が事情を説明しそう問うと、リタはこころよく中に通してくれた。ギシギシと音を歪ませて、色褪いろあせた扉が開かれる。

 中は昼間にも関わらず薄暗かった。がれ落ちた屋根の代わりに敷かれたボロボロのブルーシートが、風に吹かれて揺れている。あたりには蜘蛛の巣が張り巡らされ、生臭いカビとほこりの匂いが鼻を刺した。酷い。咲穂はその醜態しゅうたいに息を呑み、リタの方を振り返った。彼女は咲穂の顔を見やると困ったように笑い、「家が汚くてごめんなさいね」とひかえめに呟いてみせる。

 咲穂はそれを見て、どうしようもなく居た堪れない気持ちになった。


「…家を出た時、息子さんはどこら辺にいましたか?」


 咲穂はポケットからライトを取り出すと、慎重に辺りを見回しつつそう尋ねる。床を這う虫が、光に照らされ蠕動ぜんどうした。


「ニアはあの席がお気に入りだったんです。日中は大抵、あの席に座っていました」


 リタは躊躇いもせず、とある一点を指差す。小さな部屋の中にぽつんと置かれた机。その傍に、二脚の椅子が向かい合っていた。彼女はその一方を指差し、しみじみと言葉を紡ぐ。それは傷付いた、しかし長年愛されてきた痕跡こんせきを残す椅子だった。咲穂はその椅子にそっと近寄ると、背もたれを撫でる。確かに伝わる人の温もり。その温かな感度に咲穂の心がじんわりと綻び、ふと涙が溢れそうになった。慌てて目頭を押さえると、少女はその席付近をライトで照らす。そして、違和感に気づいた。


「…これ」


 埃に塗れた床の上。その一部分が綺麗な円状になくなっていたのだ。その直径2cmほどの穴を見つめ、咲穂はあの日の出来事を回想する。あの日は確か雨が降っていた。じゃあこの穴は…


「……傘、ですかね」


 咲穂が口を開く前に、リタが呟く。埃が綺麗な円形状に無くなった。それは当日傘を差してやって来た【8cce9492】が、この椅子に傘を立て掛けたからだろう。


「…あ、あの…あれ見て下さい」


 厳しい表情を浮かべる咲穂の思考を遮るように、リタが床の先を指差す。そこには特徴的な靴跡が残っていた。これは。


「…ハイヒール?」


 外側の人間の大半は靴を履かない。盗まれる可能性が高い以前に、買えるだけのお金がない。そんな彼らがハイヒールなどという装飾ありきの靴を履くことなど考えられなかった。ということは、ここに来た人間はやはり…


 咲穂は唇をめて下を向く。沈黙が辺りを支配していた。もうここまでくれば、蒼牙そうがの予測を認めざるを得ない。しかしもしそれを認めてしまえば、自分達の前にはばかる壁は予想よりはるか上を行ってしまうだろう。人造人間キマイラ。よりによってエンブリオ。よりによって宿敵。


 咲穂は心配そうに声を掛けるリタに作り笑いを浮かべると、足早に家を去った。真っ直ぐにPunicaプニカへ…上司の元へと帰る。この心に収集を付ける為にはどうしても、朱音あかねの存在が必要だった。



 暗がりの中、揺蕩たゆたほむら。それを囲うかのように、六人の人物が座っていた。


「……計画は順調に進んでいるとの報告があった。

 


 六人のうちの一人、金色の髪を持つ女がそう呟く。ハイヒールが炎に濡れ黒く輝いた。その側には傘が一本、陰鬱いんうつと揺れている。


「聖なる祝日の夜に開かれるパーティーで、標的ターゲットを処分する」


他五人は、その女の声に黙って頷いた。


【Invitees List】

[Embryo]

No. 137198145176 Hizumi

No. 137245138121 Tori

No. 151246149231 Kohaku

No. 14019914719810 Aito

No. 15017914167 Suiren

No. 15016215113610 Miyabi


「8ee989b9」


 女がふと、扉の前に佇んでいた彼女の名前を呼ぶ。


「貴方にも渡しておくわ、あの子供ガキを必ず連れて来て頂戴」


【Invitees List】

[General]

No. 1398514580 ■■■

No. 1449414219210 ■■


 炎が揺れる。女の艶やかな唇が三日月のように吊り上がる。


「今回は絶対逃さない」


 あの日、女は取り逃がしていた。捕えろと言われていた子供を。あの919e82ab97748c8e82cc968582f08163──


8cce9492湖白様の御心のままに」


8ee989b9はそう呟いて頭を下げる。


──美しい朱色の髪が、燃え盛る火炎の如く揺れていた。

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