兄の使命と、妹の哀愁と
「じゃあ僕からもひとつ聞いていい?」
「あ、はい、何でしょう?」
少女が慌てて瑞綺を見ると、青年はまた柔和な笑みを零した。
「前から気になってたんだけど、その刺青自分で入れたの?」
何気ない一言。しかしその言葉を聞いた途端、少女の血相が変わる。
「見えてますか?」
「いや、ちゃんと見ないとわからないかな」
彼女の不安そうな問いかけに、瑞綺は優しく首を振った。
「少し触って良い? 髪型を直すから」
そう尋ねられ頷くと、そっと首元を撫でられ髪に触れられる。
咲穂の項あたりで光る
「兄が小さい頃に入れてくれたんです」
「へぇ…それはまた大胆だ」
咲穂が気恥ずかしそうに呟くと、瑞綺は微かに息を漏らす。細い指が髪の毛から離れた。
「もう見えてないですか?」
「うん。でも念のため、人には近づきすぎないようにね」
瑞綺の声に、咲穂は安堵する。
理由を尋ねると、内側には厳重な規則があり、女性が身体を傷つけることはあってはならない──とのこと。刺青もその対象となり、重い刑罰を負うことになっている、という。
「お兄さんのこと、大切に思ってるんだね」
瑞綺が独り言のようにそう呟いた。
「はい、兄は──
この刺青も、あまり家に帰ってこない兄が、
いつでも一緒にいる証拠にって言って入れてくれたんです」
その時の兄の表情は、今でも覚えている。咲穂は昔を懐古しながら、そっと自らの項を撫でた。この刺青は、大好きな兄が残した唯一の形見。どこに居ても咲穂と兄を繋いでくれる、大切なお守りだ。
「オークションの件は、咲穂の言われた通りに動くよ」
瑞綺のその言葉を皮切りに、二人は別れた。咲穂は上司の役に立てたのだという確かな自信を連れて、朱音を探し始める。瑞綺はその姿をどこか冷めた瞳で見つめていた。
◆
「私にとって唯一の家族ですから──ね。
は、あの魔物に家族とは」
瑞綺の後方にある柱の陰から姿を現した青年は、そう言って肩を竦めてみせる。瑞綺はその声に苦笑を漏らすと、指で挟んでいた通信機を握り潰した。
「とても微細なものだ、やっぱり一筋縄ではいかないか」
瑞綺はそう言って、通信機の残骸を床に零す。そして床に散らばったそれを、さらに足で踏み潰した。
「で、あいつの思惑通り?」
「…ノエル、さっきから不機嫌だね」
瑞綺は肩口から降ってくる声に呆れたように笑う。ノエルははたと口を閉ざし、瑞綺の前方に回り込むと、屈んで視線を合わせた。鼻がくっつきそうなほど近い。瑞綺はそのワイン色の瞳に溺れそうになり瞳を伏せる。
「なぜ瑞綺と名乗った? 偽名なら幾らでも取り繕える」
囁き──しかし確かな憤りを感じる声。
「やっぱりそこか…」
瑞綺は微かにそう呟くと、ノエルから視線を逸らした。
「…何となく、ね。気になったんだ」
──本物の瑞綺は、どんな感じなんだろうって。
つい溢れ出しそうになった本音を、すんでのところで抑える。ノエルは瑞綺の曖昧な返事にしばらく押し黙っていたが、
「もう余計な真似はするな、瑞綺」
とだけ呟き、離れた。黒髪がさらさらと揺れる。
瑞綺。縞がくれた大切な名前だ。大切にしなければならない名前だ。しかし、瑞綺だからと言って瑞稀という訳ではない。どれだけ外見が似ていても、中身は違う。瑞綺にはもう、本当の自分がどれかわからなかった。
瑞綺はノエルの動線を追いかけ、声を絞り出す。
「ねぇ、君さっき言ったよね。
あの魔物に家族とは、って。」
微かな声が宙に消えた。ノエルが振り向く。
「でも
それは瑞綺の必死な抵抗だった。ノエル──縞の足が止まる。振り返った瞳が揺れている。彼は瑞綺を見つめ、ふっと笑みを浮かべた。
「あぁ、そうだな」
気の抜けた声。二人の作り笑いは泡沫となって消える。
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