第6章 With The Sparkle of Gemstones

鬼渡し

──Diamonds never lie to me. For when love’s gone, they’ll luster on──


──ダイヤモンドは決して私に嘘をつかない。

  愛が無くなっても、それらは輝き続けるのだから。



 誰かが『白い孔雀White peacock』と確かに、そう言った。それは小さなささやきだったのかもしれない。あるいは自分自身の口から溢れた言葉だったかもしれない。しかしその言葉が形を成したとき、確かに鈴の音が耳を揺らした。少女は顔を上げる。あの日と同じ満月が、青年の背後で笑っていた。誰もが降り注ぐ月光に目を細め、摩訶不思議な現実に浸っている。鉄壁の孤城を艶やかにだました青年は、民衆のほうけた顔を見下ろし、ふわりと宙を舞う。鮮やかな羽の隙間を埋め尽くす月の灯りが、なんとも幻想的な色を示していた。軽やかに浮かんだ肢体したいは咲穂の向かい側、二階の手摺てすりに触れる。深く被ったベールの狭間に、琥珀色の瞳を見たような気がした。視線が絡む。青年はにわかに表情を和らげると、そっと人差し指を口元にかざした。まるであの日のことを、少女のことを、覚えているよとさとすように。少女はゆっくりと瞳を見開く。揺れる羽の奥で確かに光る輝きが、少女に現実を告げていた。行かなければ。青年に手を伸ばす。


「待って」


 そう声を絞り出した。伝えなければならないことがある。聞きたいことがある。今の機会チャンスを逃せば、次はいつだろうか。いつ、彼に巡り逢えるだろうか。今しかないような気がした。しかし、彼は走り出す少女を見遣ると悪戯に笑う。その足がもう一度、地面を蹴ろうと動く。


「はいはい〜!!

 も〜せっかくのパーティーが台無しやんか!! なぁ?」


 しかしその姿が宙を舞うことはなかった。青年の足が止まる。咲穂も驚いて下を見下ろした。気の抜けた関西弁を溢した男は口角を持ち上げると、わずかに首を傾げてみせる。派手色の髪は漆黒のスーツと不釣り合いで、しかしその不格好さが妙に、板に付いていた。細められた瞳の色は知る由もなく、ただ深く、ぞっとするような気色を感じるのみ。青年は男の声に足を止めると、呆れたように首を振る。ふるふると首が揺れるたび、長い白銀の髪が夜空を彩った。


「警視庁特務課です、無意味な抵抗はよして投降して下さい」


 男の隣から、別の女が声を掛ける。長い黒髪と、氷海のように冷たく凍り付いた瑠璃色の瞳。


「まぁまぁえぇやんか! そういうお仕事的な雰囲気、わい嫌いなんよぉ〜?」

「お仕事的な雰囲気、ではなく、仕事の時間ですが」

「も〜これはお仕事やなくて、パーティー!!

 素敵な女性レディを探す、じ・か・ん♡」


 男の言葉に女は何も言わず口を閉ざす。大人しくなった彼女の背を満足そうに叩くと、男は再び上を見た。


「あんた、わいのタイプなんやけど、一曲踊ってくれたりせぇへん??

 お願いや!! ほら、この通り!!」


 場違いな程軽快なクラップ音が鳴る。額の前で手を合わせた男は、懇願こんがんするかのようにそう問うた。てっきり厳しい言葉を掛けると思っていた少女は、拍子抜けして眉根を寄せる。辺りにもざわめきが広がっていた。この場を収めてくれるのではないのかと囁く群衆を諸共もろともせず、救世主はニコニコと笑みを浮かべている。


 咲穂は不安げに彼の方を振り返った。その表情は伺えずとも、困惑の色が浮かんでいるのが見て取れる。それは彼に限った話ではない。きっとこの場の誰もが感じていること。


 『白い孔雀White peacock』はしばらくその場を動かないでいたが、やがてくるりと手摺りから落下する。咲穂が微かに声をあげた時には既に、青年は男の目の前にいた。嬉しそうに腕を伸ばす男。しかしその手が彼と触れ合う直前、その姿はまた咲穂の目の前にあった。男の手が空を切る。勢い余って前に倒れ込むと、眩しい髪が虚しく揺れた。男の喉からくくっと押し殺したような笑い声が漏れる。青年はそんな男を見下ろし、面白そうに笑った。男は視線をあげると、蝋細工ろうざいくのようにぐにゃりと顔を歪める。唇が不気味なほどに美しい弧を描く。


「ひひ、ええなぁ………魅力的な女性ほど手に入りにくいもんなぁ……」


 。彼は一階のフロアに跪いていたはず。こんな近くで声が聞こえることなどないはずなのに───


 青年の口から、ひゅっと息の漏れる音がする。その唇に男が人差し指を当てる。見下ろしていたはずの男は今、確かに少女の目の前にいた。男は青年と視線を絡める。初めて見たその瞳は、彼と同じ琥珀色。


 しかしそこに浮かぶのは、慈愛ではなく────


「ごめんなぁ? わい、狂ってる奴ほど好きになっちゃうみたいやわぁ」


 男の指が唇から顎を伝い喉笛を掻き切る手前、彼はくるりと攻撃をかわす。そしてそのまま暗闇へ吸い込まれた───立ち入りを禁じられた、深い、深い闇へと、誘われるように消えていく。男はその後ろ姿を追いかけ暗闇に浸かった。鮮やかな髪がとっぷりと闇に溶け込んだあと、咲穂は慌ててその暗闇のもとに立った。闇は優しく手を広げ、どこまでも受け身に、少女を待っている。しかしその優しさが、ちりちりと心を焦がしていく。ここから先は、神にゆるされた闇の世界。どこまでも能動的な黒───


「……行こう」


 行くしかない。例えどんなことがあったとしても、行かなくてはならない。


 


 心の何処かで、そんな囁き。しかし、その声が少女に届くことはない。



 黒々と輝く静かな闇の中。脱ぎ捨てられたドレスとヒールが、風に吹かれていた。

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