繋がれた想い、切り離された想い

「本当に、貴方って使えないのね」


 心底呆れたように、女は吐き捨てた。


「まぁいいわ、貴方は用無しよ。

 そこらへんに散らばった甘いスイーツでも、汁でも蜜でも吸っておいて頂戴」


 言葉を紡ぐ唇は可憐なピンク色を宿していた。蝋燭ろうそくの灯火がほのかに揺れる世界の中、女の口元だけがあやしげに艶めく。


「え? なに? そんなこと知らないわよ。

 あの男が何考えてるかなんて知るわけないじゃない……

 ……嗚呼、考えただけで恐ろしいわ。


 そこまで喋ると、女は不快そうに通信を切った。そのはずみでブロンドの髪が揺れる。おもてを上げた女の瞳は魅惑のルビー。そして、忠実のサファイア。


「そろそろ話す気になったかしら」


 そう言って席を立つ。黒いハイヒールが黒くよどんだ床を踏み、規則正しい音が響いた。女が行き着いた先は一つの独房どくぼう。その奥で二人の影が揺れている。


「まぁ! 翠蓮すいれんいけないわ。

 彼女にはまだやって貰わなきゃはいけないことがあるって言ったわよね?

 こんなに痛めつけて……人間は弱いのよ? 少しは加減してあげなくちゃ」


 女はくさりつながれ項垂うなだれている肢体したいを見下ろし、そう声を掛けた。暗闇に赤く濡れたむちの端とかすかにくもった顔が浮かび上がる。


……」


 翠蓮は罰が悪そうに顔をそむけると、悔しそうに唇を噛んだ。


「違う、この女が悪いの! あーしの大切なねーちゃんを馬鹿にした!!」

「あらそうだったのね、よく見せて。怪我はしてない?」


 女は妹の言い分を聞くと口元に笑みを浮かべる。幾分いくぶんも背の高い妹の頬を包めば、安堵の息がその白い肌に漏れた。


「……ね、怒ってる? あーしのこと嫌いになった?」

「まさか。翠蓮はいつだって、私の自慢の妹なのよ?」

「そうだよね!! 良かったぁ……!」


 姉の優しい声に、翠蓮は硬い表情を崩す。お互いに身を寄せ合えば、女の白い肌に赤く濡れた液体が滴った。それは異様な光景。戰慄せんりつの瞬間。しかし彼女たちは何も感じない。

 翠蓮を優しく抱きとめる女の手前、微かに笑い声が聞こえる。視線を向けると、断罪人は床に赤い唾を吐いた。め上げられた業火ごうかの視線。その奥にうずく黒いかたまりが、女を愉悦ゆえつの波へといざなう。


「まぁまぁまぁ! 見て翠蓮! あの子まだ生きてるわ〜執念深いのね!」


 歓喜のあまり歌うようにささやくと、翠蓮も驚いたように彼女を見た。血に濡れほつれた髪。引き裂かれた安物のドレス。


「ねぇ、そろそろお話ししてくないかしら?

 は何処にあるの? 誰に渡したの? ?」


 翠蓮から腕をほそくと、女はリタの細いあごを指ですくう。


「……知らないって言ってるでしょ」

「知らないわけないわ! 

「嘘かもしれないわ」

!! まぁまぁ!!

 ? 

「は…」

「何よ?」


 女の──湖白こはくの顔が醜く歪んだ。その刹那、隣から鞭が飛ぶ。


「ねーちゃんを馬鹿にするな!」


 翠蓮は金切り声をあげると、リタの身体を激しく叩いた。彼女はうめき声をらし視線を落とす。しかし言葉を紡ぐ口は、決して閉ざされなかった。


「貴方たちは何も知らないのよ。全てが造られたシアワセであることに。

 そして、大切なあの人は多くの罪に身を汚している、ということにもね」

「うるさい!」

「怒ってるのね、でも同時に動揺どうようして、狼狽うろたえている。

 何故かしら? 貴方たちエンブリオに、

「……それ以上喋ると舌を引き抜くわよ」


 『恐怖』という言葉に、翠蓮は眉をひそめる。


「何度でも言うわ。

 私は何も知らない。持ってない。

 あの人が嘘を吐いてるの」

「違う! 嘘なんか吐くはずない!

 ……大切なものなの、あの人が大切な情報データだって……」


 リタが静かにそう呟くと、湖白のかおが崩れる。しかしそれも一瞬のこと。瞬きをすればまた、薄い笑みを浮かべた女がいた。


「もう良いわ、翠蓮」


 彼女は妹に声を掛ける。


「行きましょう。どうせ、


 吐き捨てるように呟いて歩き出す湖白の後ろに翠蓮が続く。ガチャリと扉の鍵が掛かる音を聞くと、リタはふっと息を吐き出した。


『リタ、君にはいつか、今日よりもずっと苦しくて悲しい日がやってくる。

 そのとき碧眼へきがんの青年に出逢うと思うんだ。

 もし君が彼を信用しよう、そう思ったら、これを渡してやって欲しい』


『もし良ければ約束して欲しい。絶対、幸せになるってことを。

 大切なものを交換した者同士、それ以上に大切なものを見つけるってことを』


 瞳を閉じる。全身から力が抜けていくのが分かった。


 嗚呼其方、名も知らぬ青年の名前が今、確かに分かった気がした。

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