持ちよる孤独は灯火のように。
その日の夜も、私は彼を探していた。彼について何か知っていることはあるのかと問われても、何も知らないと答えるより他ない。知っていることと言えば、彼がこの造られた世界において唯一の切り札であること。そして私たちに残された最期の
辺りを
「今から百年も千年前も前に、月に埋葬された人がいるんだって」
私がそのぽっかりと抜け落ちた奇跡に想いを
「宇宙飛行士だった彼はずっと月に行くことが夢だったらしいんだけど、
夢半ばで病に伏して、結局行けなかったらしいよ」
低く、しかしどこか温かい声であった。私の隣に肩を並べた青年は、月を仰いで手を振る。まるで挨拶をするかのように。彼女が
「だから彼の死後、月に遺灰を運んで埋葬した」
青年が私の方を振り返る。月と同じ色の瞳が揺れていた。
「なんかロマンティックじゃない?
死んだら何も残らないのにね。何でそんな意味のないことをしたんだろう」
最後の一言は、どこか遠くに投げかけられた疑問。それを今、月で暮らす宇宙飛行士は聞いているだろうか。そう思えば自然と、言葉は
「……確かに死んだ人にとっては何も残らないかもしれない。
でも、残された人はきっと思い出す。
彼がそこに眠っている事実を……今の貴方と、私みたいに。
それってとっても意味のあることだわ」
再び視線が交わる。青年の瞳が嬉しそうに細められた。
「君、とっても素敵だね。
……やっぱり君を選んで良かったな」
「…え?」
優しく手を取られる。その指先に唇が触れる感覚。
「君に一つ、頼みごとがあるんだ。言ってもいいかな」
それはとても不思議な時間だった。しかし心は夜の海のように穏やかで、この現実を受け入れている。
「……なにかしら」
戸惑い気味に問い返すと、青年の口元からふんわりと微笑が溢れた。彼の息遣い一つ一つ、動作一つ一つに意識を取られ、どこか遠い世界へと誘われる。
「君の大切なものと僕の大切なもの、交換して欲しいんだ」
そっと囁かれた言葉は、私の心を少しばかり恐怖の波へと手招いた。彼がそのことを知っていて、私に近づいているという事実が恐ろしい。しかし心のどこかでは、それに勝る安堵が生まれていた。やっと見つけた、彼に渡せば大丈夫だという気持ちが溢れ出す。
そっとポッケから、小さな記録装置を取り出した。最後の最後、様々な人の温もりを感じたそれは、私の手に回ってきた。そう、生き残ってしまった私のもとに。
「……いいわよ」
言葉はするりと口から漏れた。それは恐怖に支配されたものでも、夢に溺れたものでもなく、紛れもない私の答え。
「……本当?」
青年は私の問いかけに、また少し笑う。幼さの残る笑みに、思わず息を溢した。
「じゃあ僕は、君にこれを預けるよ」
彼はポッケを探るとそれを取り出す。私が持っているものとそっくりのそれは、青年の白い掌の上で光っていた。月華に濡れたアスファルトの上で、私たちはそれぞれを交換しあう。しげしげと手渡されたものを眺める私を見て、青年はまた口を開いた。
「リタ、君にはいつか、今日よりもずっと苦しくて悲しい日がやってくる。
そのとき碧眼の青年に出逢うと思うんだ。
もし君が彼を信用しよう、そう感じたら、これを渡してやって欲しい」
何故彼が自分の名前を知っているのか。未来を予測しているのか。疑問は多く浮かぶ。しかしこのフシギな世界で、それはどこまでも現実たりえた。
「……ねぇ、貴方の大切なもの。この中身を教えてはくれないかしら」
そう尋ねると、彼は気恥ずかしそうに微笑む。
「妹がいるんだ。
これはその子への、ちょっとしたプレゼント」
「まあ素敵。でも私なんかが持ってて良いの?」
「良いよ、君が良いんだ。
……それにあの子なら、絶対僕を見つけてくれるはずだから」
「信用してるのね」
「あぁとっても。あの子は僕よりも、何倍も強い子だよ」
微笑み合う。それは私のもとに訪れた、小さな幸せ。
「もし良ければ約束して欲しい。絶対、幸せになるってことを。
大切なものを交換した者同士、それ以上に大切なものを見つけるってことを」
そっと小指が差し出される。私は自然とその指に触れていた。
「えぇ、約束するわ」
「ありがとう」
利益など何もないはずなのに、青年はそう呟く。
「…もう、行かなくちゃ」
ただ静かにそう言って、私を見た。
「月を見たらさ、ときどき思い出して。
きっと僕もいつか、そう遠くない未来に、月へ還る」
どこまでもしみじみと、悲しげな残り香。その言葉を聞いたときにはもう、彼は跡形もなく消え去っていた。全て夢であったかもしれない。しかし自分の手には確かに、違う温もりを持ったものが握られていた。
「……妹、か」
ふと思い立って、そう呟く。それと同時に笑みが溢れた。
「どんな子かしら。彼の妹って」
月明かりが帰路を照らす。その果てしない道の先で、まだ見ぬ少女が笑っていた。
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