アマテルノテンシ

朱音あかねさん!!」


 上司の名前を呼ぶ。じっと空を見つめていた朱音は、咲穂さほの声に気付くと振り返り、微かに笑った。何かを悟ったような、嬉しそうな笑顔。


「その顔は成功したみたいだね」


 可笑しそうに笑っている上司に見つめられ、咲穂はにわかに恥ずかしくなる。


「……そ、そんなに顔に出てますか?」

「うん、めちゃくちゃ嬉しそう」


 吹き抜けになっている天井を彩る、色鮮やかなステンドグラス。それらは、春の朧げな月明かりを受け、フロアを淡く輝かせていた。床に散らばった色は宝石のように、幻想的で柔らかな光を放っている。


「あ、朱音さんは? 何か分かりましたか??」


 咲穂は慌てて顔を逸らし、話を転じた。その仕草にさえ笑みを溢す朱音。咲穂の顔がまた、じんわりと火照ほてる。


「う〜ん、ちょっとだけ、ね」


 上司はそう呟き、咲穂の手を取った。そのまま豪奢ごうしゃな階段を上ると、彼女は二階の中心、会場が一番見えやすい位置へと咲穂をいざなう。


「メインは一階の大広間よ」


 朱音の指が真下を指差した。


「私たちのちょうど真下。ここに玉座がある」


 指が一直線に動く。


「さっき上った階段がその向かい側」


 指はそのまま階段を伝い、咲穂たちと並行に並んだ。


「その上にもう二本、真ん中を中心に階段が並んでいる」


 指にならい階段を見やる。そこには眩い光で囲まれた一階フロアとは異なる、閑静な暗闇が広がっていた。


「…私たち一般の招待客が入って良いのは、この二階まで。

 あの階段より先には入れない。

 あそこに入って良いのは王族、そして政府関係者だけよ」


 咲穂は再びその暗闇を見つめる。自分が育った街とはまた違う、ぽっかりと開いた黒。神聖な空気をまとっておきながらも、何処か底知れない恐怖を感じる闇だった。


「…私が予想するに、ニアを含めた品物はみんな、あの階段の奥にあると思うの」


 心に暗雲が立ち込める。では、調ということか。


「私が調べられたのは、残念ながらこれだけよ。

 一番嫌なやり方だけれど、運を使って乗り切るしかないわ」


 朱音は溜息混じりにそう呟くと、悔しげに肩を落とした。


 あの奥に入れるのは王族と政府関係者だけ。瑞綺は一体何処の出身なのだろうか。咲穂の心に、一抹の影が差す。一番大切なことを聞き落としてしまった。もし彼が一般の招待客だった場合、咲穂たちがあの階段を踏むことは出来ない。


「で、咲穂。そろそろ隠してないで話して欲しいんだけど。

 ……


 朱音がそう言って、咲穂をちらりと見やる。彼女は言葉に詰まり、視線を逸らした。瑞綺のことだけは、どうしても話したくない。自分がこの聖都市で暮らす青年と顔見知りだったと知られてしまえば、。しかし、彼が計画に加担してくれることを話さなければ、朱音と連携を取ることは難しい。咲穂は頭を抱え、手摺てすりに突っ伏した。その時。


「え〜ご来賓の皆様にご案内します。

 これから本パーティーのメイン企画である、公売会が始まります」


 咲穂はパッと顔を上げる。下方で司会と思しき男性が、マイクを片手にアナウンスを掛けていた。


「その前に、本パーティーの主催者をご紹介したいと思います。

 中央の階段にご注目くださいませ」


 談笑が広がっていた会場が、しんと静まりかる。


「あ、あの朱音さ」

「咲穂静かに。……王族が来る」


 咲穂がその異様な空気に横を見ると、朱音はそっと人差し指を立てた。王族。その言葉を聞き、彼女は慌てて口を閉じる。そしてじっと、向かい側に広がる階段を見つめた。音もなく、すっと扉が開く。何者かが階段から降りて来た。



 夜も段々と深まって来た頃。瑞綺みずきは会場を離れ、とある個室に来ていた。部屋に置かれている優美なレースがあしらわれた椅子。その内の一つに、渋面じゅうめんを浮かべた男が座っていた。

 その男に纏わり付く一人の青年。肌も髪も瞳も、全てが色を抜いたかのように真っ白だ。細い金縁の丸眼鏡が、その幽霊染みた顔を一際目立たせている。


「あ、アンリさん〜!」


 青年は瑞綺を見つけると、ぱあっと顔を輝かせた。男も微かに眉を上げる。


「お久しぶりです、シドさん」


 瑞綺は白髪の青年──シドに柔和な笑みを返すと、男の隣の椅子に腰掛けた。


「アンリさん〜聞いて下さいよぉ〜〜!!

 陛下がぁ〜全然ボクの話を聞いてくれないんですぅ〜」


 シドはねっとりとした、独特な喋り声をしていた。瑞綺は困ったような笑みを浮かべ、「残念ですね」と相槌を打つ。


「ほら陛下ぁ〜!

 息子さんもぉ〜ボクの味方ですよぉ〜?」


 シドはその返事に顔を輝かせると、瑞綺の肩を持ち男の方を見やった。男と僅かに視線が混じる。瑞綺は反射的に視線を逸らした。


「……五月蝿うるさ戯言ざれごとはそれくらいにしろシド」


 男がそう呟く。口から紫煙が溢れた。れいよりも苦く、せるような香り。瑞綺はそんなことをふと思い、軽く息を吐く。


 ──


「今日も面白い代物を用意しているのだろう?」


 男はそんな瑞綺の表情かおにさえ目もくれず、シドにそう問いかけた。青年が満面の笑みを浮かべる。何処か不自然ささえ感じる、狂気の笑み。


「もちろんですよぉ〜きっと陛下にもぉ〜お楽しみ頂けると思いますぅ〜」


 彼の返事を聞き、男は満足げに煙草を咥えた。白い礼服に、朽ちた吸殻が零れ落ちる。


「陛下、そろそろお時間かと」


 瑞綺がその様を憂鬱げに見つめていると、後方の扉が開き、一人の執事が顔を出した。長いクリーム色の前髪から覗く緑眼は、翡翠のように煌めいている。整った顔立ちをしているが、その口元はスカーフで隠され、よく見えなかった。

 男は彼の声に頷くと席を立つ。


「アンリ、謙遜する必要はない。欲しいものを買うように」


 すれ違いざま、男は瑞綺にそう耳打ちする。その後ろを鼻唄混じりに追いかけるシド。


「今日こそはぁ〜アンリさんにも手を挙げていただけるよぅ〜

 僕、頑張っちゃいますねぇ〜!!」


 彼は瑞綺の方をくるりと振り返ると、そう告げ部屋を出て行く。執事は二人を見送ると、部屋に残った瑞綺をちらりと見やった。


 微かに開いたアーチ窓からそよぐ風が、その美しいブロンドの髪を巻き上げる。憂いを帯び影が差す横顔さえ、希臘ギリシアの彫刻を思わせた。青年は執事に目を向けると、微かに笑みを溢し席を立つ。白い外衣が揺れ、碧眼が月明かりを吸い込んだ。


、少し考え事を」


 そう言い残し去って行く彼の後ろ姿を、夕雨ゆうと呼ばれた青年はじっと見つめる。月光に濡れる彼は幻想的で、今にも消えてしまいそうだった。



 階段を一段、また一段と踏み締めて、彼らは姿を現す。なび外套がいとう。煌く宝石。咲穂は会場に姿を現した彼らを見つめ、こくんと息を呑んだ。


「見ました? ……今日も一段とお美しいこと」

「えぇ……まるで天使のようだわ……」


 傍で微かな会話が聞こえる。使


 目眩がする。咲穂は息を整え、上司を見上げた。


「あ、あの。あの方々って……」


 朱音は咲穂を振り返ると眉根を寄せる。彼女はそっと咲穂に近寄ると、こう耳打ちをした。


「右から順に、政府を仕切る総帥、シド=マルディアルグ。

 王族ラヴァル家現アムネジア王国国王の、ラヴァル=ドゥ=ジョルジュ。

 そして」


 周りの視線は一直線に、その青年に向けられている。


「そろそろ結婚も視野に入れられているのかしら」

「誰をめとるのでしょうね、私にもチャンスがあるかしら?」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ、あんたなんて足元にも及ばないわ」


 彼の美貌に誰もが息を吐く。その息は宙を舞い、月光に彩られる。


「本当に同じ人間なのかしら……」

「やっぱりすごいわね、あれがトップスコア……」


 靡いた髪の隙間から覗く、空のように澄み切った碧眼。白い肌に浮かぶ淡い桜色の唇。



 階段を下り切った青年は、その眩い光の中で微笑を浮かべる。歓声が上がった。咲穂はその青年をぼんやりと見つめる。


「………まさか」


 微かに漏れた声は歓声にかき消されていった。しかし今はその歓声すら、何処か遠くに聞こえる。


『これは伝えてなかった僕が悪いんだけどさ…実は『瑞綺』って偽名なんだ』

『そ、だからここにいる皆の前では、って呼んで』


「咲穂? どうしたのぼぅっとして。

 あ、もしかしてアンリさんの美貌に見惚れちゃった??」


 朱音の冗談にさえ、もう応える気力がない。咲穂の視線はただ一点、その青年に向けられていた。


 


  彼は、瑞綺は、


 ──この国の、次期跡取りだ。

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