一番嫌いな名前
リタは
「…怖がらなくても結構ですよ」
黒髪の青年はそう微笑んで、リタに一歩、また一歩と近づいた。
「来ないで!!」
そう言って、数歩後退りする。怯えるリタを見て、青年はくつくつと笑みを溢した。不気味な笑みだ。人の恐怖を見て快楽を覚えているような、そんな、笑み。嘲笑。
「何故です? 何も
青年は腕を広げ、そう
「それとも──先ほど何か、イケナイことでもしていたんですか?」
空気が張り詰める。リタは呼吸を整えると、慎重に口を開いた。
「……あなたの狙いは、それ?」
「えぇ」
そう尋ねると、青年は隠す素振りもなくにっこりと微笑む。リタはその微笑みに安堵した。嗚呼だったら、幾らでも誤魔化せる。
「……あぁ、それともう一つ」
胸を撫で下ろすリタを
「!?!?」
次の瞬間には地面に叩き付けられていた。青年が何かをした訳ではない。鋭利な青い瞳に浮かぶ殺気が、憎悪が、リタを殺したのだ。
「……あ゛ぁ゛」
声にならない悲鳴を漏らすリタに、青年はふらりと近寄る。背後の月は仄暗い明かりを漏らし、青年の顔を曇らせていた。リタは青年を見上げる。そして息を呑んだ。
頭にぽたり、ぽたりと唾液が滴る。その牙が覗く口から見える赤い舌は、人間のものではなかった。美しい瞳も今は釣り上がり、瞳孔が細く尖っている。
「……#5503200426463」
リタの口から、無意識にその番号が溢れた。青年の口角がにぃっと持ち上がる。
「やっと思い出してくれたんだ」
リタの前に屈み込み、青年は笑っていた。鋭い牙が月夜に光る。
「……その名前、一番嫌いなんだよねぇ〜」
「……な、何をする気?」
睨みつけると、ケラケラと笑い声が返ってくる。逆光で青年の顔がよく見えない。
「…僕たちの習性は、君が一番良く知ってるだろう?」
【記録】
時が19XX年から20XX年に移り変わった。世界はまるで全く別のものになってしまったかのようで、輝きは仮初へと、賛美は偽りへと姿を変えた。
私たち政府は今日から、人造人間を【兵器】として利用する。何故か。その理由はとても簡単。弱いからだ、人が………弱いから私たちは………に負けたのだ。
戦地へ赴き、その惨状を知った。愚かな人間は殺人者になることを恐れ、無作為に銃を乱射する。敢えて急所を外すようその剣を振り下ろす。全くをもって滑稽で、まるで遊戯を見ているかのようだった。私たちが何年もかけて開発した兵器がドブに捨てられ、あれほどこの街を守りたいと涙した思いも宙に消えていく。
こんな弱小者たちに、街を守れるわけがなかったのだ。
XXXは反対した。それでは逆に人々をXXXXXXXXXXXX。しかしこのまま負け滅びていく訳にはいかぬ。私はXXXをXXXXXXXXXXしてしまった。一時の興奮と欺瞞が私たちの仲を裂いたのだ……後悔はしていない。XXXはまだ緩いことを
……私はこの地を理想郷へと造り替える。人々は生涯安寧を手にし、戦争はない。負けることもない。貧困に悩むこともない。完璧な都市を建国する。私が右を向けと言えば右を、左を向けば左を。ある者は独裁者と揶揄するかもしれぬ。しかしちょうどいいだろう? 人間などという下等生物にはそれくらいが丁度いい……
……人造人間ならば心を持たぬ。感情を持たぬ。最小限の被害で全てを駆逐してくれる。……これで良いのだ……これが正解なのだ……たとえXXXがXXXXXしてしまっても……これが最もシアワセな選択なのだ………そう、たとえ。
──もうあの日が戻って来なくても。
【資料】
人造人間標本No.5503200426463。
生育は良好。
このサンプルは黒豹と人間の遺伝子を組み合わせた人造人間である。
野生動物の本能と、人間の知能を持ち合わせる最新型の人造人間。
これからどのような発育が認められるかは不明。
状態は良好なので、これからに期待できる──
「……動物の遺伝子と人間の遺伝子を組み合わせた初期型の
動物に見られる高い身体能力と鋭い本能。
また決められた主人の指示にしか従わない忠実さで、
当時根強い人気を誇っていたが、
ある時一部のサンプルに暴徒化が見られ、全てが殺処分対象となった……」
「ご名答。よく覚えてるね。
さすがはあの【資料】を作り上げたご本人様のことだけはある」
リタが茫然とそう呟くと、青年は肩を
「……何故。何故生きている……?」
「さぁ何故だろうね、細かいことはどうでも良いだろう?」
いつの間にか、青年は元の姿に戻っていた。そっと手を差し伸べられる。
「僕はいつだってご主人様に従順なんだ、だから君を逃す訳にもいかなくてさ」
「……」
「さっき怖がらせようと思ったのは、ちょっとした嫌がらせ。
ずっと君にされるがままだったから……どう? ちょっとは怖かった??」
リタは青年の声を、どこか遠い場所で聞いていた。
「ねぇ早く」
青年は無理矢理リタの腕を掴み、強引に引っ張り上げた。未だ受け止めきれない事実を揺蕩うリタの視界に、青年の耳で光るピアスが映る。月を
そのピアスをみた途端、リタは全てがふに落ちる。
──そうか、魔物か。
リタは何も言わずに立ち上がると、青年のあとを追うように歩き出した。
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