慟哭
「まあまあそんな怖い顔しないで? 可愛くない子は
「何が面白い」
「面白いわよ、本当に変わってないのね。
良いのは威勢だけ。最後は尻尾を巻いて逃げる負け犬」
「何を──」
「
色褪せたドレスに飛び散る血糊。汗と体液の混じった雫が滴る。鼠色の瞳が微かに揺れて、少女と目が合った刹那虚空の
「可哀想でしょう?
お人好しの貴方ならついつい助けたくなっちゃうんじゃないかしら」
「リタ……さん……」
何故彼女がここにいるのか分からない。否、今すべきことはこんなことじゃないだろう?
腰元の短刀に手を伸ばしかけて、その手が小刻みに震えていることに気が付く。
『まさか本当に906c82f08e4582b982c882a2なんて……』
失望したかのような声が何処かで響いて、理性がひび割れていく感覚に打ちひしがれる。
「助けたいわよね、貴方の気持ちよく分かるわ」
そっと
「でも救えるのは一人だけ。
彼女かあの子、どっちかを選びなさい」
「まあ救えるかなんて私たちから逃げ切れたらの話だけど」と付け足し高らかに笑う女。甲高い笑い声が耳障りな程聞こえる。少年は少女の後ろで小さくなって、静かに震えていた。
今ここで少年を引き渡し、彼女を連れて逃げるか。
彼女を見捨てて、少年を選ぶか。
どちらかしか、選べない。
「……今すぐ、私を捨てて逃げなさい」
「早く、逃げて」
射抜くような視線に震える。彼女の覚悟は既に決まっているような気がした。あとは自分が駆け出せば良いだけなのに、どうしてもそれが出来ない。大切なものを見捨てられる程、少女は残酷じゃない。
「あらあら良いのかしら?
こんなに弱っているのよ? きっともうちょっとで死んでしまうわ!」
湖白はそう囁いて、静かに目を細める。
「可哀想……貴方を
思い出したくない記憶が黒ずんで滲み出す。
「罪の意識とかないのかしら? 貴方のせいで皆死ぬ」
「五月蝿いッ!!」
そう叫んで頭を抱えた。思い出すな、何も。もう変わらないこと───。
『貴方が出てくれて良かったわ、おかげで全てが上手くいった』
『だから、一番最後に殺してあげる』
その日、
七年前のその日。少女は九つであった。
ꕤ……………………………………ꕤ
「
ある日、ともだちがそう尋ねた。少女はその言葉に不思議そうに首を傾げる。
「せいやさい?
「くりすます……?」
「そう!
サンタクロースのおじいさんが、咲穂の欲しい
少女が瞳を輝かせながらそう語ると、ともだちはぷっと吹き出した。
「何それ〜! 咲穂ちゃんってやっぱり不思議な子!」
「嘘じゃないもん! いつも咲穂のところに来てくれたんだから!」
少女がむくれると、ともだちは声を立てて笑う。そして辺りを見回して誰もいないことを確認すると、そっと身を寄せこう囁いた。
「聖夜祭はね、年に一回しか行われない特別な行事なんだよ。
教会をいっぱいきらきらさせて、神様にお祈りするの。
ずっと私たちのことを見守っていてくださいって」
壁の外側、西地区に存在するこの地域は遥か昔、王族直轄の領土であった。辺りに無数に存在する大小様々な教会もその一部で、王族が去ったあともその美しい外観をこの世に留めている。
少女たちはそんな教会の一角で共に暮らす、孤児であった。
「聖夜祭のときは、普段食べられないような美味しいものをいっぱい食べられるんだから!」
ともだちの話を聞いて、少女も自然と頬が緩む。
◆
「もう一回讃美歌の練習するよ!」
当日の夜も相変わらず、子どもたちは賑やかに走り回っていた。並べられた椅子に何とか全員整列し、教わった
「そしてここで歌い終わったら───」
子どもたちはぞろぞろと前に並んで、それぞれ後ろに隠していた小さな花束を前に持ち直す。
「「シスターさん、いつもありがとう!!」」
そこまで練習すると、皆満足そうに微笑みあった。今日のために準備してきた
「よし、じゃあみんな花束はしまって!
あとはシスターさんの帰りを待ちましょ!!」
皆が花束を隠しに奥へ引っ込む。咲穂もそれに
トントン───
花束を置いた子どもたちが駆け足に戻ってくる。少女は慌てて片し忘れた花を祈り台の下に隠すと、音のした扉に駆け寄る。
『良い?
私がいないとき誰かがやってきても、絶対に扉を開けては駄目よ』
確かにそう言われていた。しかし熱に浮かされていた少女はそんなことなど、すっかり忘れ去っていて。
「シスター! おかえり!!」
開け放たれた扉の隙間から夜の闇が入り込む。
ꕤ……………………………………ꕤ
「さあどうするの? 選んで頂戴!!」
震える手でもう一度、短刀を掴んだ。この震えは怯えじゃない。きっと、きっと、怒りだ。そう言い聞かせて抜き取ると、静かに
空気を揺るがす
女の瞳に突き刺さった。
「な……」
絶叫が辺りに
少女と女の狭間に、誰かいる。投げ込まれた
「走れ」
静かな声に突き動かされ、少女は駆け出す。その隣には少年と、彼女がいた。
「あ゛あ゛……!!」
眼を潰された女は
「次から次に
白い煙が晴れていく。辺りに少女たちの姿はない。妹の姿さえ、地面に伏し倒されていた。湖白は呆然として、彼を見上げる。黒いベールの隙間から覗く琥珀色の輝きが、冷たく注がれていた。その瞳に体が硬直する。女は彼を知っていた。
「本当に変わってないんだな。
良いのは威勢だけ。最後は尻尾を巻いて逃げる負け犬」
「糞餓鬼がッ!!」
静かに囁かれる言葉は、先程湖白が呟いたそれ。彼女は顔を歪め、彼に飛び掛かる。鈴の音が辺りに響いて、次の瞬間には地面に倒れていた。遠ざかる意識の中、彼の横顔が映る。
嗚呼、教会に差し込む朝日が、仄かに揺れていた気がする。あの日も私は此奴に敵わなかった。また同じことを繰り返している。嗚呼、嗚呼! 悔しい───!!
「
甘い囁き。その声が脳を揺らせばもう、何も聞こえなくなっていた。
◆
「リタさんッ!! 大丈夫ですか!?」
長い廊下の一端。少女たちは身を寄せ合い
「大丈夫……ありがとう」
傷は見た目ほど酷くはなさそうだ。咲穂は持ち歩いている簡易的な救急箱を取り出し、手際良く手当をする。
「助かりましたね…」
「ええ…それにしても、誰が助けてくれたのかしら」
リタの独り言に少女も首を
「とりあえず先を急ぎましょう。ニアは大丈夫?」
咲穂は立ち上がると、側でじっとしている少年を見やった。彼はこくりと頷くと少女の服に取り付く。
「えっと……」
困った少女がリタを見ると、彼女は微笑んだ。
「貴方といた方が落ち着くみたいだわ。そのままでいてあげて」
すくっと立ち上がり先を歩くその背中を、少女たちは追いかける。長い廊下を
心の奥にしまっていた記録が音を立てて動き出す。
リタは咲穂を振り返って、にこりと微笑んだ。哀しそうな笑顔が揺れて、少女の胸が震える。
「ね、これから私の昔話に付き合ってくれないかしら」
先程とは異なる色の床が、長く伸びていた。目の前に広がる部屋の扉には、【研究室01】と書かれた札があてどなく揺れている。もう使われていない場所のようだ。床は薄汚れ、壁には誰が書いたのか分からない落書きが刻まれていた。
少女は何かを察知して、ただ静かに頷く。リタはその仕草に目を細め、静かに語り出した。
「昔々あるところに、空を知らない七人の研究者がいました───」
耳を傾ける。静かな道の先に、彼らの姿が見えた気がした。
LIFESTORY Vol.1 幻中紫都 @ShitoM
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