慟哭

「まあまあそんな怖い顔しないで? 可愛くない子はなぶり殺したくなっちゃう」


 湖白こはくはそう言って、ケラケラと笑う。


「何が面白い」

「面白いわよ、本当に変わってないのね。

 

「何を──」

翠蓮すいれん、あの子を連れてきて頂戴」


 うなる少女の眼前に、別の女が姿を現す。天を突くほどの巨躯。深い緑色の髪と褐色の肌。翠蓮と呼ばれた女は、彼女を連れて湖白の隣に並んだ。

 色褪せたドレスに飛び散る血糊。汗と体液の混じった雫が滴る。鼠色の瞳が微かに揺れて、少女と目が合った刹那虚空の静寂しじまに色を宿した。


「可哀想でしょう? 

 お人好しの貴方ならついつい助けたくなっちゃうんじゃないかしら」

「リタ……さん……」


 何故彼女がここにいるのか分からない。

 腰元の短刀に手を伸ばしかけて、その手が小刻みに震えていることに気が付く。


『まさか本当に906c82f08e4582b982c882a2なんて……』


 失望したかのような声が何処かで響いて、理性がひび割れていく感覚に打ちひしがれる。


「助けたいわよね、貴方の気持ちよく分かるわ」


 そっとあごすくわれ、女が覗き込む。自らの怯えた顔が、宝石に反射して歪んでいた。


「でも救えるのは一人だけ。

 彼女かあの子、どっちかを選びなさい」


 「まあ救えるかなんて私たちから逃げ切れたらの話だけど」と付け足し高らかに笑う女。甲高い笑い声が耳障りな程聞こえる。少年は少女の後ろで小さくなって、静かに震えていた。


 

 


 


「……今すぐ、私を捨てて逃げなさい」


 狼狽ろうばいする少女に、リタは静かに呟く。


「早く、逃げて」


 射抜くような視線に震える。彼女の覚悟は既に決まっているような気がした。あとは自分が駆け出せば良いだけなのに、どうしてもそれが出来ない。大切なものを見捨てられる程、少女は残酷じゃない。


「あらあら良いのかしら?

 こんなに弱っているのよ? きっともうちょっとで死んでしまうわ!」


 湖白はそう囁いて、静かに目を細める。


「可哀想……貴方をかばったばかりに、また一人犠牲になるのね」


 思い出したくない記憶が黒ずんで滲み出す。


「罪の意識とかないのかしら? 

「五月蝿いッ!!」


 そう叫んで頭を抱えた。思い出すな、何も。もう変わらないこと───。



 その日、修道女シスターさんは聖夜祭せいやさいの為の特別なお菓子を買いに行っていた。それは年に一回の特別な礼拝ミサの日で、美味しいご飯と色とりどりの洋燈ランプが辺りを彩る。幻想的な光景は子供たちをときめかせ、恐ろしい夜さえも温かな光に満ちていた。


 七年前のその日。少女は九つであった。


ꕤ……………………………………ꕤ


咲穂さほちゃんは、『』って知ってる?」


 ある日、ともだちがそう尋ねた。少女はその言葉に不思議そうに首を傾げる。


「せいやさい? 聖誕祭クリスマスのこと?」

「くりすます……?」

「そう!

 サンタクロースのおじいさんが、咲穂の欲しい贈り物プレゼントを持ってきてくれるの!」


 少女が瞳を輝かせながらそう語ると、ともだちはぷっと吹き出した。


「何それ〜! 咲穂ちゃんってやっぱり不思議な子!」

「嘘じゃないもん! いつも咲穂のところに来てくれたんだから!」


 少女がむくれると、ともだちは声を立てて笑う。そして辺りを見回して誰もいないことを確認すると、そっと身を寄せこう囁いた。


「聖夜祭はね、年に一回しか行われない特別な行事なんだよ。

 教会をいっぱいきらきらさせて、神様にお祈りするの。

 ずっと私たちのことを見守っていてくださいって」


 壁の外側、西地区に存在するこの地域は遥か昔、王族直轄の領土であった。辺りに無数に存在する大小様々な教会もその一部で、王族が去ったあともその美しい外観をこの世に留めている。

 少女たちはそんな教会の一角で共に暮らす、孤児であった。


「聖夜祭のときは、普段食べられないような美味しいものをいっぱい食べられるんだから!」


 ともだちの話を聞いて、少女も自然と頬が緩む。きたるその日に向けて、期待は胸いっぱいに膨らんでいた。



「もう一回讃美歌の練習するよ!」


 当日の夜も相変わらず、子どもたちは賑やかに走り回っていた。並べられた椅子に何とか全員整列し、教わったうたを口ずさむ。あどけない声が辺りに響いて、灯された洋燈ランプの炎が優しく揺れた。


「そしてここで歌い終わったら───」


 子どもたちはぞろぞろと前に並んで、それぞれ後ろに隠していた小さな花束を前に持ち直す。


「「シスターさん、いつもありがとう!!」」


 そこまで練習すると、皆満足そうに微笑みあった。今日のために準備してきた修道女シスターさんへのサプライズ企画。目の見えない彼女のために、お手紙ではなく香りの付いた花束を渡す算段になっている。一人一人が野に出て、彼女に似合うぴったりの花を選んでいた。


「よし、じゃあみんな花束はしまって!

 あとはシスターさんの帰りを待ちましょ!!」


 皆が花束を隠しに奥へ引っ込む。咲穂もそれにならい歩き出しながら、自分の摘んだ花を見つめた。大ぶりの黄色い花は百合のようにも見えるが、カサブランカという花らしい。黄色は少女の髪の色とよく似ていた。彼女は愛する修道女シスターの柔和な表情を思い浮かべ、思わず笑みを溢してしまう。夕暮れ時、誰もいなくなった礼拝堂に少女の無邪気な笑い声がこだました。


 トントン───


 花束を置いた子どもたちが駆け足に戻ってくる。少女は慌てて片し忘れた花を祈り台の下に隠すと、音のした扉に駆け寄る。修道女シスターが帰ってきたのだ。早く開けてあげなくては。後ろで少女を引き止めようと、誰かが声を上げる。しかしもう、遅い。


 


 確かにそう言われていた。しかし熱に浮かされていた少女はそんなことなど、すっかり忘れ去っていて。


! !!」


 開け放たれた扉の隙間から夜の闇が入り込む。洋燈ランプの灯りが一斉に消え、辺りに血飛沫が飛び散った。


ꕤ……………………………………ꕤ


「さあどうするの? 選んで頂戴!!」


 震える手でもう一度、短刀を掴んだ。この震えは怯えじゃない。きっと、きっと、怒りだ。そう言い聞かせて抜き取ると、静かに慟哭どうこくした。今ここで終わらせるべきだ。過去の幻影を、罪を意識を、消し去るべきだ。出来る。出来なくてはならない。あの日死んでしまった友のために。何よりも、自分のために───


 空気を揺るがす咆哮ほうこうと共に、鈍い金属の光が振り下ろされる。女は失笑すると、彼女に傘をかざす。光は闇夜を切り裂き、


 


「な……」


 絶叫が辺りにとどろく。少女はふらふらとその場に座り込んだ。カランと音を立てて、が転がる。女の目を貫いた刀は、少女のものではなかった。


 少女と女の狭間に、誰かいる。投げ込まれた硝煙しょうえんで、辺りがよく見えない。ただ微かに、銀色の髪が揺れた気がした。その光景を、少女は何処かで見たことがあるような気がする。



 静かな声に突き動かされ、少女は駆け出す。


「あ゛あ゛……!!」


 眼を潰された女はうめいて、彼をにらむ。


「次から次に雑魚ざこが……」


 白い煙が晴れていく。辺りに少女たちの姿はない。妹の姿さえ、地面に伏し倒されていた。湖白は呆然として、彼を見上げる。黒いベールの隙間から覗く琥珀色の輝きが、冷たく注がれていた。その瞳に体が硬直する。


「本当に変わってないんだな。

 

「糞餓鬼がッ!!」


 静かに囁かれる言葉は、先程湖白が呟いたそれ。彼女は顔を歪め、彼に飛び掛かる。鈴の音が辺りに響いて、次の瞬間には地面に倒れていた。遠ざかる意識の中、彼の横顔が映る。


 嗚呼、教会に差し込む朝日が、仄かに揺れていた気がする。あの日も私は此奴に敵わなかった。また同じことを繰り返している。嗚呼、嗚呼! 悔しい───!!


Have a good dreamおやすみなさい、良い夢を──」


 甘い囁き。その声が脳を揺らせばもう、何も聞こえなくなっていた。



「リタさんッ!! 大丈夫ですか!?」


 長い廊下の一端。少女たちは身を寄せ合いうずくまっていた。


「大丈夫……ありがとう」

 

 傷は見た目ほど酷くはなさそうだ。咲穂は持ち歩いている簡易的な救急箱を取り出し、手際良く手当をする。


「助かりましたね…」

「ええ…それにしても、誰が助けてくれたのかしら」


 リタの独り言に少女も首をひねった。つい先程のことなのに、


「とりあえず先を急ぎましょう。ニアは大丈夫?」


 咲穂は立ち上がると、側でじっとしている少年を見やった。彼はこくりと頷くと少女の服に取り付く。


「えっと……」


 困った少女がリタを見ると、彼女は微笑んだ。


「貴方といた方が落ち着くみたいだわ。そのままでいてあげて」


 すくっと立ち上がり先を歩くその背中を、少女たちは追いかける。長い廊下を我武者羅がむしゃらに走ってきてしまったために、ここが何処なのかさえわからなくなっていた。怯えるように進み続けると、別の道に行き着く。リタは慎重に辺りを確認すると、静かに息を呑んだ。


 


 リタは咲穂を振り返って、にこりと微笑んだ。哀しそうな笑顔が揺れて、少女の胸が震える。


「ね、これから私の昔話に付き合ってくれないかしら」


 先程とは異なる色の床が、長く伸びていた。目の前に広がる部屋の扉には、【研究室01】と書かれた札があてどなく揺れている。もう使われていない場所のようだ。床は薄汚れ、壁には誰が書いたのか分からない落書きが刻まれていた。

 少女は何かを察知して、ただ静かに頷く。リタはその仕草に目を細め、静かに語り出した。


───」


 耳を傾ける。静かな道の先に、彼らの姿が見えた気がした。

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LIFESTORY Vol.1 幻中紫都 @ShitoM

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