繋ぎ止めて、幻想

 先程の喧騒けんそうが幻のように、長い廊下はしんと静まり返っていた。咲穂さほは先を急ぎながらふと、並んで歩く少年を見やる。繋いだ手はひんやりと冷たく、金属の重たい感触がした。改めて彼が人間でないことを思い知らされる。それと同時に積み重なるのは解けることのない疑問であった。どうして彼女はこんな、見え透いた嘘を吐いたのだろうか。自分たちが調査を進めていけば必ず、この事実に逢着ほうちゃくしてしまう。それを考えないほど無知な人ではないだろう。怯えたような鼠色ねずみいろの瞳が思い出される。きっと色々なことを考えたのだろう。しかし彼女はこの道を選んだ。。それほどまで大切だったのだ。

 空色の瞳が、心配そうに咲穂を見上げた。視線が交わる。


「まスターハ、どコでスカ?」


 握りしめた手が僅かに力を帯びているのを感じた。慌てた咲穂はその手を握り直すと、しゃがんで視線を合わせる。いつかの兄がやってくれたように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ニア、大丈夫だよ。絶対逢えるから」


 本当のマスターに、という言葉はすんでのところで抑えた。咲穂の言葉を聞いて、青色の瞳が微かに見開かれる。


「ニア……ダれでスか?」

「あっと……君の名前、かな……」


 思わず口から出てしまった言葉を誤魔化すように笑いかける。少年は静かに少女を見つめていた。


✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼


『ニア……ダれでスか?』

『あっと……君の名前、かな……』

『なマえ…』

『そ、名前。生まれてきた君に渡す、最初のプレゼント』


 知らない誰かの声と照れくさそうな笑顔が、脳裏ではじける。


✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼


「ニア……」

「どうかした?」


 動かなくなってしまった少年に、少女が優しく問いかける。


「いエ、なんデもなイデす」


 ニアはそう言って首を振った。青天にほんのりと影が差し込む。咲穂は彼の反応に首を傾げると、もう一度その手を繋ぎ直した。


「急がないと」


 皆が会場から消えた少年を探しているはずだ。急がなければきっと追いつかれてしまう。闇に、過去に、亡霊に。


 とりあえず上司に今の状況を伝えようと思い、通信機に手を伸ばした。今頃さがしているはずだ。長いノイズ音のあと、上司の声が耳に飛び込む。


「咲穂……───ッ、─────!!」


 名前を呼ばれ、叫び声が耳をつんざく。確かに放たれた言葉を嚥下えんげすると、それは粉々に砕け地面に散った。


 頬に走る鈍い痛み。


「あらあら、貴方の行く場所はそっちじゃないわ」


 背後から聞こえるヒールの音。それと同時に響く記憶の中の警報器サイレン


「迷子になちゃったのね、でも大丈夫」


 ゆっくりと振り返る。少女の瞳が女を捉える。


「私があるべき場所に返してあげるわ──」


 黒い服に、黒い傘。白い肌に埋め込まれた宝石の瞳。


「──


『咲穂……───ッ、─────!!』

『咲穂……逃げろッ、今すぐに─!!』


 上司の言葉が脳裏にこだまする。今更遅いよと微かに笑ってから、女を睨んだ。



 湖白はそう呟いて、乾いた笑みを漏らした。

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