白い孔雀
入る口実はいくらでもあった。パーティーの招待状のこと、父親にまた嫌がらせを受けたこと、今回の試験結果のこと──しかし今は夜だ。いくら親しい仲とは言え、部屋に押しかけるのは気が引ける。そんな良心が、瑞綺の手を
今日は生憎、星が降るほど美しい夜だった。開け放ったままの窓から漏れ出す月明かりが、床に敷き詰められたタイルを濡らしている。彼は窓辺に近づくと、その
今日はもう寝よう。瑞綺はそう思い、カーテンを閉ざした。夜着に着替えようとクローゼットに近づく。その刹那、姿見に映った自分と目があった。
脳内を目まぐるしく色彩が瞬く。反射的に頭を抑え、数歩後ずさる。点滅する光はやがて落ち着き、一つの
静かな夜。部屋の中央に佇むのは瑞綺、自分だ。彼はただぼうっと窓の外を眺めている。はらはらと舞い落ちる孔雀の羽。そしてそこに佇む一人の人物──
息を呑む。再び鏡に映る自分を見つめる。その後ろで僅かにカーテンが
夢のような世界に、人の吐息が漏れた。月は淡く輝き、青年の白銀の髪を揺らす。涼やかな
「…久しぶりだね、
瑞綺は青年に近づくと、そう微笑みかけた。彼はそれに微笑み返すことなく、じっとその瞳を見つめる。風が吹き、耳に下がる孔雀の羽が揺れた。チリン──また一回、鈴の音が鳴る。
「……ちゃんと君から頼まれたことはやっているよ?」
瑞綺は視線を逸らし、そう呟いた。目が合う度、その美しい蜂蜜色の瞳に視線を奪われる。自分の全てを見透かされているような、そんな感覚が襲う。
麗は瑞綺の声に黙って頷いた。風が髪に絡まる。優しい鈴の音が響く。
「なら何で」
「聖なる祝日」
瑞綺が少し声を荒げると、麗は細い人差し指を口元に
「その日のパーティーで、咲穂を助けてやってほしい」
「来るの?」
問いかけると麗は首を縦に振った。生糸のように繊細な髪が、その褐色の肌に落ち影を作る。
「…わかった、出来る限り協力はする」
瑞綺は麗の声にこくりと頷いた。
これは借りだ。あの日。彼に、麗に、連れ出して貰ったあの日に、自らが作った借り。瑞綺の願い事を叶えてくれた代わりに、今度は瑞綺が手を貸す番だった。
「ありがとう」
美しい青年はそう微笑む。月明かりに濡れた彼は、この世の何にも敵わぬ優美な気品を
「これくらい当然だよ」
瑞綺はそう言って、微笑みを返した。
麗から咲穂の日常の様子を聞き出して欲しいと頼まれたのは、もうだいぶ前の事だ。上手いことチャンスを掴んで月に何度か会えるようになり、今もこうして麗の望みを叶え続けている。
「今日はよく笑うんだね」
月の精霊はふと、瑞綺を見て囁いた。月光が彼の長い睫毛を
「そういう時は、何かあった時」
麗がふわりと部屋に舞い下りる。優しく引き寄せられて、唇を奪われた。何故。そう思う。何故この青年は、他人の心の内をそんなにも、感じて、察して、覗き込んで。優しく包み込んでくれるのだろう。鼻の奥がつんとする。涙が頬を伝った。その口付けは先刻の愛撫を忘れさせる、甘く優しいキス。そして罪深き人間を
「麗」
唇が離れる。瑞綺は精霊の名を呼んだ。色んなことを聞きたかった。今の生活のこと。仕事のこと。この世界のこと。
そして、あの日のそれからのこと──
「良い子はおやすみの時間だ」
しかし麗は、瑞綺の声を遮るかのようにそう囁いた。
彼と視線を絡めたときに見える
爆風に揺れる髪と、辺りに満ち溢れる鮮血。
自分たちを待ち受ける、最期の戦い。
ねぇ、貴方はこの長い長い戦いの終焉の地で。
──自ら命を絶とうとしているの?
口に力が入らない。全身が
最後に見えた青年の口元。あの日とは真逆の、哀しげな笑みが浮かんでいる。貴方は違かったはずだ。もっと無邪気でよく笑い、
──私にそれを聞かせてはくれないの?
瑞綺の瞳から溢れた涙は夜に落ち、宝石のように煌めいた。
【記録】
20XX年
本日、長年穏健だった世界に恐怖の
……これで彼らに残ったのは、か弱い一人息子のみとなってしまった。あの少年の病気は治らぬ。死ぬのも時間の問題だろう。
……所詮人は人。どこまでも貪欲で滑稽な下等生物である。少年が死んだ
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