2.

「いやほんとなんです、本当の話なんですってば…!」


 少女はそう言って、薄紅色の頬を膨らませる。春の麗らかな日差しが、フローリングにまだら模様を作っていた。それらは風にそよいでさざめく。まるで少女の話に微笑むかのように。


「も~その話は何回も聞いたって」

「だって朱音あかねさん、全然信じてないじゃないですか」

「そりゃそうだよ、『白い孔雀White peacock』なんて伝説だもの」


 少女の目の前でコーヒーをすする女性はつれなくそう応えると、肩を竦めて首を振ってみせた。少女はがっくりと肩を落とし、椅子に座り込む。


「ほんとなのに…」


 発色の良い橙色の髪が、焦げ茶色の瞳に悲しげな影を落とした。朱音あかねと呼ばれる女性は、項垂れている少女を見やり困ったように笑う。エメラルドの瞳が陽光を通し宝玉のように煌めいた。朝の風は穏やかに、コーヒーの香りをさらう。


 とある街にたたずむ小さな店。名前を『Punicaプニカ』という。少女たちはここで、街に暮らす人々の悩みを解決していた。俗に言う『何でも屋』である。この店は主人の気まぐれでオープンしており、今日も多くの客が訪れる──



「はぁ…朱音さんなら絶対有力な情報を持ってるって思ってたのに」


 モーニングタイムが終了し、洗った食器が乾いた頃。少女は何度目か分からない溜息を溢した。


咲穂さほも執念深いね。諦めれば良いじゃん」


 朱音は呆れたように笑って煙草に火を付ける。


「諦めるって…そしたら私がここに来た意味ないじゃないですか」


 少女…咲穂はそうむくれて、朱音に視線を送った。彼女は目を逸らして紫煙を曇らせる。


「例え咲穂の言ってる話が幻想じゃなかったとしても、

 もう一回はさすがに無理でしょ」


 呆れたような声とともに、朱音が吐く息が宙に消えた。しかし言葉が消えることは無く、咲穂の胸をえぐる。彼女は「ぐぅ…」と呻いて机に突っ伏した。それは少しずつ咲穂も自覚しつつあること。伝説になるのは、その人物が貴重で、稀だからだ。一回会えたからまた会えるとは限らない。そもそも会えたこと自体、夢のようなことだったのだから…


「にしても。私はたったそれだけの理由で『Atroposアトロポス』に入ろうと思った咲穂に、感服するけどね」


 朱音はそんな咲穂を見やると、皮肉っぽく笑みを零した。高い位置で一つに結ばれた朱色の髪も、咲穂を揶揄からかうかのようにふわふわと揺れる。彼女は顔を上げ、頬を膨らませた。


「だって…そしたら会えるかもしれないって思ったんですもん」


 少女の反論に、朱音は「またまたぁ~」と茶々を入れる。咲穂は自分をいじってくる上司に腹を立て、つんとそっぽを向いてしまった。少女の視線の先では、カーテンの隙間から溢れ出した青が輝いている。彼女はその青さに、そのまばゆさに、目を細めた。


「…変わった気がしたんです、あの日彼に出会ってから」


 小さな窓から外を見やる。青く澄んだ世界を、白い雲がのんびりと泳いでいた。咲穂は今もその青さの中に、あの青年の姿を探している。彼の琥珀色の瞳には、世界に対する侮蔑と憂いが光っていた。だから咲穂を助けたのだ。人造人間キマイラではない、人間である少女を…


「やっぱり難しいですかね」


 咲穂は僅かに朱音を振り返り、困ったように笑った。オレンジ色の髪が巻き上がって青と混ざる。

 彼と会いたいと願うことは、もしかしたら自分勝手なことかもしれない。でも初めてだった。初めて、あんなにも美しい瞳を見た。少女はその瞳が見据える先の未来を見てみたかった。それはきっと、少女が望む未来と同じであると、そう感じた。


「ん~でもまぁ依頼は依頼だからね。何でも屋としては叶えなくちゃ」


 朱音は咲穂の声を聞いて、そう返事をする。この少女は時々、面白いほどに見境のないことをやってのけた。朱音と初めて出会った時も、「何でも屋なら『白い孔雀White peacock』を見つける事が出来るだろう」と無茶な依頼をしてきたのだ。でもそんな少女に振り回される生活は、案外悪くはない。


 朱音の返事を聞いて、咲穂の顔がぱっと輝いた。


「ま、こんな優秀な部下を連れてきてくれた彼にも、一応恩義があるしね?」

「優秀なんて…そんなことないです」


 二人は晴天の下、同時に笑みを溢す。その刹那に響く、乾いたベルの音。


「さ、仕事が始まるわよ」


 朱音はそう言って席を立った。その後ろを嬉しそうに追いかける咲穂。


「「いらっしゃいませ」」


 ここは『Punicaプニカ』。お客の願いを叶える、何でも屋である。

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