Epilogue 「火星の剣」

 ――火星は、謎の艦隊に襲われていた。


 高度なステルス性を持つ、たった五隻からなる正体不明の艦隊は、突如として火星の衛星軌道上に現れ、火星人類に無条件降伏を要求した。


 はじめは、独立戦争に敗れた地球側の偽装だと疑う声が多数だった。

 しかし、この期に及んで出してくる艦隊としては、あまりに規模が小さすぎる。

 たしかに、独立戦争では火星メビウス・アクチュエータ連隊群M.A.R.S.の強襲攻撃によって地球連邦の大多数の船が墜とされた。

 だが、だからこそ、この程度の規模の艦隊で火星を脅かすことはできないとわかっているはずだ。


 実際、火星新政府からの度重なる照会に、旧地球連邦暫定政府は艦隊は連邦のものではないと頑なに否定を続けている。

 あまりにも必死なその様子は、火星を欺くための見せかけであるようには見えなかった。

 すくなくとも、火星新政府代表キリナ・リーズレットにはそう思えた。


 だが、キリナと同じ結論に至った火星人は少なかった。

 火星人の脳裏には、先の戦争で見せつけられた、地球人の卑劣さが焼き付いている。

 もはや歴史でしかない太平洋戦争末期に使用され、それ以来タブーとされてきた核兵器の引き金を、地球人は火星に向かってためらうことなく引いたのだ。


 ――地球人ならこの程度の欺瞞はなんとも思わない。


 それが、火星人たちの代表的な見解だった。


 ところが、この見解は誤りだった。

 火星独立の英雄であるメビウス・アクチュエータ連隊が謎の艦隊に強襲攻撃をしかけようとした瞬間、艦隊からそれぞれ百を超える小型宇宙戦闘機が飛び立った。

 この戦闘機は、高度なステルス性、高出力の正体不明の兵装、そして、人型形態への変形機能を備えた、おそろしく先進的な機体だったのだ。


「ちくしょう! なんだってんだ! 連邦はこんな隠し球を持ってやがったのか!?」


 二十代に見える金髪の男性パイロットが小型機の群れに翻弄されながら悲鳴をあげる。

 マシューと名付けられた改良人間である彼は、稀代のエース、セイヤ・ハヤタカに代わって、強襲部隊の切り込み隊長を務めていた。


「そんなわけない! こんなバケモン持ってんだったら決戦に投入してたはずだよ!」


 全周ディスプレイに浮かんだワイプの中で、十代くらいに見えるアジア系の女性が言い返す。


「じゃあマジで異星人の艦隊だって言うのかよ!? よりによってなんだってこんな時に! まさか、太陽系の人類が戦争で消耗したのを見計らって……!?」


 メガネをかけた黒人男性がそう叫ぶ。

 いつも知的な風貌を崩さない彼の顔にも隠しきれない焦りの色が浮かんでいた。


「マシュー、ナーニャ、オットー! フォーメーションを乱すな!」


 M.A.R.S.の指揮官であるバーンズ大佐だけはいくらかの冷静さを残している。


 だが、


「くそっ! こんな連中相手に連邦艦相手のフォーメーションが何の役に立つってんだ!?」


 マシューは敵小型機の正確で威力の高い正体不明の攻撃に混乱していた。

 最初は高出力のビームかと思った。

 だが、ビームシールドを張って防ごうとした僚機は、この攻撃であっさりと撃墜された。

 危険な精神波を感じて回避に移っていなければ、マシュー機も同じ運命を辿っていたことだろう。


「ありゃあビームじゃねえぞ、大佐! もっと得体の知れねえ何かだ!」


「しかもあいつら、あたしたちの動きを先読みしてあれを撃ってくる! 精神波を読まれてるんじゃないか!?」


「間違いない! あいつ・・・とシミュレーターでやりあった時の感覚とよく似ている! こっちが動く前に、こっちの意図を読んで回避準備をしてるんだ!」


 マシューの言葉に、ナーニャとオットーがそう返す。


 三人の言葉は、もはやほとんど悲鳴だった。


 だが、バーンズ大佐は、彼らの言葉を鼻で笑う。


「ふん、だからどうした? あの正真正銘の化け物野郎と比べてこいつらがそんなに強いのか? あいつをそばで見てたおまえらならわかるだろう」


「へっ、違ぇねえ!」


 マシューは思わず笑っていた。


「あいつは天才だった。こいつらは、いくら高性能つったって、所詮はただの量産機だ。正体不明の攻撃? んなもん、当たらなきゃいいだけだ!」


「ずいぶん簡単に言ってくれるね! でも、あいつならこれくらいなんとでもしてたか」


「だな。こんな程度の相手にビビってたんじゃ、あの世であいつに爆笑されそうだ」


 気を取り直してからは早かった。

 三機は態勢をみるみるうちに立て直し、謎の艦隊と小型機の猛攻を耐え忍ぶ。


 だが、これは戦争だ。

 三機が立ち直ったところで、他の僚機たちの動揺は収まらず、小型機を墜とせないままに早くも次の犠牲者が出た。


「くっそ! 今の直撃したろ!? アンチビームコーティングか!?」


 マシューが苛立ちをあらわに毒づいた。


「こっちはよくわかんないバリアで防がれたみたい! なにあれ!? 岩の塊をどっかから呼び出したみたいじゃん!」


「ふっ、今のはストーンウォールの魔法だろう。岩の壁を作って敵の攻撃を防ぐ魔法だな。消費MP15ってとこか?」


 ナーニャの悲鳴に、オットーがジョークを言った。

 オットーがゲーム好きであることは仲間内では有名だ。

 古いゲーム機を引っ張り出してはセイヤとよくやっていた。


 が、そのジョークがあながち外れてもないことに気づける者は、この宙域には一人もいない。


 いや、いなかった。


「むっ!? 宇宙方向に巨大なエネルギー反応……新手か!?」


「じ、冗談じゃねえ!」


 バーンズ大佐の言葉にマシューの顔から血の気が引いた。


「なにこれ!? 超強力な精神波じゃん! しかも、よくわかんないけど……ええっと、なにこれ!?」


「何じゃわからん、なんなんだよ!」


「不自然なんだよぉ! 精神波がしっかり編みこまれてる感じ!?」


「編みこまれ……どういうことだ、ナーニャ!」


「わからないよ! 普通の精神波はもっとこう単純なもんなんだ! 怒ったとか悲しいとか! でも、これはもっと複雑な――ああもう、セイヤならわかってくれるのに!」


 この中ではもっとも精神波への感受性が高いナーニャがもどかしげに叫ぶ。


 そこで、全周ディスプレイに新たなワイプが浮かんだ。

 透き通った美しさと芯の強さを併せ持つ、二十歳ほどに見える女性である。

 火星新政府代表キリナ・リーズレット。

 火星独立の母。

 いや、母と呼ばれるにはまだ若いが、尊敬をこめて火星人からそう呼ばれている女性だった。


「だ、代表!?」


 バーンズ大佐が驚きの声を漏らした。


 キリナは、憂いに満ちた表情で口を開く。


「……厳しいですか?」


「率直に言えば、大変厳しい状況です」


 大佐が答える。


「パイロットの皆さんの感触はいかがですか?」


 驚いたことに、キリナはマシューたちの意見も聞いてきた。

 マシューたちは戦闘を継続しながらなんとか答える。


「厳しいなんてもんじゃないです! 手のつけようがない!」


「一体一体は小さいけど性能じゃこっちを上回ってます! 無人機のはずなのにこっちの精神波を読んでくるし!」


「攻撃が通らない! いっそ連邦艦の主砲でも持ってくるしかないかもしれません! だが、あんなもんじゃ軽く避けられるだけでしょう!」


 マシュー、ナーニャ、オットーが口々に言う。


 キリナは、マシューたちの顔をじっと見つめてから、


「……わかりました。降伏しましょう」


「代表!?」


「セイヤに託された火星をこのような形で失うのは忸怩たるものがありますが、勝ち目のない戦いでこれ以上犠牲を出すわけにはいきません」


「ま、待ってくれよ! 俺たちはまだ――」


「戦えますか? 本当に?」


 キリナの言葉に、マシューたちは言葉を失った。


「ちくしょう! 攻撃さえ通れば墜とせるってのに!」


 マシューはビームライフルを一射する。

 ビームは小型機に命中したが、その表面で吹き散らされた。

 歴戦のパイロットであるマシューたちは、小型機の動きそのものには既に適応しはじめている。

 だが、有効な攻撃手段がなければジリ貧だ。


「これならどう――!?」


 ナーニャ機がビームハルバードを振るって小型機を狙う。

 小型機は回避するが、その軌道上にハルバードのビーム刃が割り込んだ。

 ナーニャの一撃は小型機をたしかに捉えていた。

 にもかかわらず、小型機の装甲は削れない。


「まだこいつがある!」


 今度はオットーが、肩のミサイルポッドからスウォームミサイルを発射する。

 小型機は「岩の壁」を生み出しミサイルの雨を難なく防いだ。


「……くっ……わかりました、代表」


 バーンズ大佐がうめくように言った。


「た、大佐っ!?」


「他にどうしようがある!? この上、増援が現れつつあるのだぞ!」


 先ほど宇宙側に現れた反応が、徐々に大きくなっていく。

 計器が自動で感度を落とすほどのとんでもないエネルギーだ。


 だが、マシューたちはそれどころではなかった。


 小型機たちの動きが変わったのだ。


「ぐっ!? 学習しやがったのか!?」


「あたしらの心の隙を突くような……!」


「くそっ、回避が追いつかん!」


 小型機が猟犬のようにマシューたちを追い立てる。


 最初に我慢できなくなったのはナーニャだった。


「せっかく戦争が終わったってのに……セイヤが命をかけて勝たせてくれたってのに……こんなことで、終われないよぉぉぉっ!」


「やめろ、無茶だ!」


 ナーニャ機が突出し、ハルバードの柄で小型機を捉えた。

 小型機は吹き飛ぶが、撃墜には至らない。

 小型機が吹き飛んだのは、ナーニャの体勢を崩すため――


「――ぁっ……」


 大きな隙を晒したナーニャ機に、別の小型機が照準を合わせ――



 爆散した。



 ――小型機が、だ。



「何っ!?」


 間を置かず、周辺の小型機が爆発していく。

 何の予兆もない謎の攻撃が小型機を襲い、次の瞬間には小型機は宇宙の藻屑となっている……。


 あぜんとするマシューたちに、新しい通信回線が開かれた。


 通信は不安定で、音声だけが流れてくる。


「――おいおい。戻ってみたら早速これって、展開早すぎだろ」


『敵の装甲には、マギウスと同様のアンチビームコーティングが用いられています。火星群のメビウス・アクチュエータで撃墜するのは困難でしょう。』


 流れてきた通信に、マシューは絶句した。


 マシューだけじゃない。この場にいる全員が言葉を失っていた。


 バーンズ大佐が呆然とつぶやく。


「そんな……まさか。しかし、この機体識別信号は間違いなく――!」


「よお、おまえら。無事だったか。帰ってきたぜ」


 いつだって不敵だったエースパイロットのセリフに、マシューは懐かしさすら覚えていた。

 不覚にも、マシューの目に涙が浮かぶ。

 そんな馬鹿なと言いたいが、それでもこいつなら……と納得してしまう自分もいた。


 エースの言葉に、最初に答えたのはキリナだった。


「――セイヤ!」


「ただいま、キリナ。火星はうまくやれてるか?」


「もちろんです。きっと無事だと信じていました」


 キリナは、溢れる涙で頬を濡らしながらそう言った。


「ははっ……代表の勘が当たっていたということですか。まさかほんとに生きてやがったとはな、セイヤ。このくたばりぞこないが!」


「大佐、そりゃねえぜ。俺があのくらいで死ぬわけねえだろ」


「……いや、あの状況で死んでないほうがおかしいだろうが……今度はどんな手品を使いやがった?」


 と、オットーが呆れた声でつっこんだ。

 だが、その頬は緩んでいる。

 こみあげる笑いを堪えるのに必死なのだ。


「セイヤ、セイヤぁっ! よかった、死んでなくってよかったよぉっ!」


「おお、ナーニャ。すまんが、再会を喜ぶのは後にしたほうがよさそうだ」


 肩をすくめるセイヤに、マシューが訊いた。


「だが、どうやってあいつらを墜としたんだ!?」


魔法で・・・墜としたんだよ。

 って、話してる場合じゃねえな。エスティカ、また頼むぜ。しっかし、エスティカがついてきてくれてホントによかったな……」


 マシューがツルギの座標を確認すると、謎のエネルギーが発生したまさにその宙域に現れていた。

 謎のエネルギーは、すでに消えている。

 あのエネルギーは、セイヤ機ツルギの出現に伴うものだったのだろう。

 さすがのセイヤといえども精神波だけであんな現象を起こせるとは思えないのだが……。


 そこで、セイヤからの通信に画像が載った。

 憎たらしいほどいつも通りのセイヤがそこにいた。


 同時に、後部に増設されたガンナーシートにいるもう一人の姿も画面に映る。

 二十歳ほどの神秘的な美女――紫がかった銀髪というありえない容姿の持ち主だ。

 キリナにどこか似た雰囲気がある一方で、まるで対極のような印象もある。

 キリナを太陽に喩えるなら、彼女は月の女神だろうか。


 火星人たちが息を呑んで見つめる中、その女性が唇を開く。


「はい、片付けてしまいましょう、セイヤさま」


「おい、セイヤ。そのべっぴんさんは何者だ? 代表から浮気か? それと、魔法ってのはなんなんだ?」


 オットーの二番目の質問に、画面の中のキリナがぴくりと震えた。


「そいつも後でな。キリナ。待たせて悪いが、感動の再会はこいつらを片付けるまでお預けだ」


「……はい、信じてますよ? セイヤは浮気なんてしてないって」


「それ、実は信じてねえやつのセリフじゃねえか!」


 たった一機の出現が、戦況を完全に覆した。


 火星人たちの怒りを、嘆きを、悲しみを――そして何より希望を背負って戦った「火星の剣」が、彼らのもとに戻ったのだ。


 火星かれらつるぎは、新たなる侵略者を斬り裂き、屠り、物言わぬ骸へと変えていく。



 ――敵艦隊が潰走するまでに、さしたる時間はかからなかった。

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「火星の剣」と呼ばれたエースパイロット、突撃して死んだと思ったら機動兵器ごと異世界に転生してた件 天宮暁 @akira_amamiya

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