第39話 ついてきな。案内するよ。

 泣きじゃくる公子を落ち着かせると羽月は彼女を連れてアトリエを出た。

 二人の手には旅行鞄2つと小動物用の飼育ケースだけが握られている。

 羽月が見上げると、空を今にも降り出しそうな分厚い雲が覆っていた。

 彼は公子の手を引きつつ今後のことに思考を向ける。


(勢いで出てきてしまったが、これからどうするか……)


 外の風に当たり、彼の熱を帯びていた思考が若干冷やされる。

 このまま、彼女を連れて行くにしても、様々な問題があるのだ。

 彼女は未成年であるため連れて歩けば、保護者である両親が行方不明届を出すだけで、早々に羽月は逮捕されるだろう。

 仮に逮捕されないにしても、未成年の女性を彼の自宅に連れ込むのは倫理的な面で問題があるだろう。

 よって行方不明届が出ない状態でどこかに匿ってもらう必要がでてくるが、三十路の独身男に伝手があるかと言われると、非現実的としか言いようがないのが現実だ。


(やはり、警察に連れていくのが最善か……?)


 羽月はベストと思われる案に行きつく。

 結局のところ法治国家なのだから国家権力を頼るのが良いのではないかと。

 警察であれば彼女のアトリエの惨状と、彼女の痣を見れば事態を察して適切な対応を取ってくれるだろう。

 警察が無理だとしても、児童相談所があると羽月が考えていると、公子が彼に問う。


「あの、これからどこに行くんでしょうか?」

「ああ、それなら警察か、児童相談所に――」

「ま、待ってください……」


 弱弱しい声をあげつつ、公子は足を止める。

 羽月がつられて歩みをやめると、彼女は若干迷った後、困り顔で理由を話す。


「多分、そこには行かない方がいいと思います。」

「……?」

「警察も児童相談所も、行政が関わりますよね?

 そういうところの場合だと、実家の力が効くので、おそらく――」

「隠ぺいされると?」

「それで済めばいい方で……下手をすると羽月さんが逮捕されるかもしれません。」


 彼女の思いがけない言葉に羽月は面食らうが、一考する。


(たしかに、彼女が言ってたほど影響力のある家柄なら、不思議ではないか……)


 ただ、そうなると彼女を連れ出すこと自体が半ば無理難題であるとも羽月は思った。

 国家権力が敵となると、流石に一中小企業の社員の手には余る話だからだ。


(もっとも、だからとさっさと諦める気もないけどな。)


 羽月は暫し考え込む。すると、公子は付け加えるように言った。


「ただ、そういうところを利用しないなら、“家族”は何もしてこないと思います。」

「それは、どうして?」

「多分ですが……

 父と母は私に興味がないので、問題さえ起こさなければ、不干渉を貫くと思います。

 兄はわかりませんが、絵は完成させているので文句は言わないはずです。

 それに父と母には逆らえないはずなので、表立っては動かないかと。」

「それなのに警察にかけ込まれれば動くと?」

「ようするに――家名に傷がつくかどうかが父と母の気にするところなんです。」


 諦観の混じった笑いで公子は補足する。

 それは納得もできる手前、親としてどうなのかと羽月は思うのだった。


(とはいえ、そうなれば問題はどこに匿うか、か。)


 流石に自宅に匿うわけにはいかないため、羽月は別の案を模索する。

 ホテルやウィークリーマンションも良いかもしれないが、ホテルは即日利用できるが割高だ。

 公子自身の手持ちもあるとはいえ、羽月が補助するにしても使い続けることは現実味に欠ける。

 ではウィークリーマンションはどうかと言えば、単価でみれば手頃に済む反面、即日契約といくか微妙であるし、契約するなら羽月名義だろう。

 契約者とは別の少女が毎日出入りしていれば、必然的に人目もひくことになるだろう。

 通報をされてしまえば、努力が水泡に帰すこととなる。

 羽月が思考の海に旅立っていると、にわかに公子の肩が震える。


「どうかした?」

「えっと、その…少し寒くて。」


 彼女に言われて、羽月は初めて気づく。

 今まで彼女は絵が完成するまでは兄に人間らしい扱いを受けていなかった。

 きっとろくに食事もとれていなかったに違いないのだ。

 羽月にとっては常温に感じる外温でも、胃が空っぽで熱の発生源が体内にない彼女にとっては寒く感じるのだろう。


(とはいえ、いきなり食べ物を口にすると、胃が受け付けないとも聞くし。)


 羽月は近くのコンビニを指さす。


「コンビニで温かい飲み物でも買おうか。」

「いいんですか?」

「お兄さんはとりあえず今日はアトリエに来ないんでしょ?」

「はい、多分。絵が完成したので、明日に顔を出すと連絡があったので。」

「なら、少しは息抜きしないと。」

「そう、ですね……ありがとうございます。」

「気にしなくていいよ。俺も喉が渇いてたから。」


(それに、少し落ち着けば、いい案が思い浮かぶかもしれない。)


 二人がコンビニで飲み物を買って出ようとした時、自動ドアのところで丁度入店する客と

 羽月の目線がぶつかり合う。


「っ!!」

「は、はじめ!?」

「??えっと、羽月さん、お知り合いですか?」


 羽月は思わぬところで羽里と遭遇するのだった。


 ~~~~~~~


「ケッ、おっさんが女子学生を買春とは幻滅したぞ、はじめ。」

「違うと言っただろ?硝子。」

「どーだかねぇー。」


 あの後、三人は近くの公園へと来ていた。

 羽里は自分で購入したアイスキャンディーを食べつつ、交互に羽月と公子を見やる。


「で、はじめはどんなことに巻き込まれてんの?」

「なんだ、その巻き込まれていること前提の言い方は。」

「なんだ巻き込んだ方?こんなかわいい子巻き込むとは、罪な男だなぁ?」


 羽里はケラケラと笑いながらアイスキャンディーをガリガリとかみ砕く。

 羽月がその様に「寒くないのか?」と眉間のシワを深くしていると、横の公子がミルクティーで手を温めながら呟いた。


「えっと、お二人はどういったご関係なんですか?」


 どういった関係なのかと聞かれ、羽月と羽里は顔を見合わせる。

 互いに出会いは印象的だったが、その関係は友達とも恋人とも異なる。

 羽里は羽月に秘めたる思いがあるものの、直接伝えてはいなかった。

 妙な空気が二人の間で流れるが、羽月は自分なりの感想を口にすることにした。


「そうだな、知り合い以上かな」

「テメー、ぶん殴るぞ?」

「何故!?」


 アイスキャンディーの棒をへし折る羽里に羽月が戦々恐々としていると、公子は風鈴のような声を押し殺して笑う。

 なんなのかと二人が顔を合わせていると、暖色の戻った顔で彼女は呟いた。


「いえ、なんだかとても仲が良さそうだなって。」

「ふん、そうかよ。」

「ま、まあ悪くはないな。」


 羽里は嘆息すると本題を切り出す。


「それで?お二人さんはどういう関係よ。」

「関係と言うと難しいな。」

「私にとっては、羽月さんは恩人、です……」

「そうか。でも、俺はまだ何もしてない。」

「それでも、“家族”から逃げることを気づかせてくれたので……」

「そ、そうか……」


 何処か生暖かい空気が二人の間に生まれる。

 その瞬間。


 バキッ――


 羽里が棒を再度割る。

 もはや藻屑となった棒を彼女はゴミ箱に放り込み、羽月にガンを飛ばした。


「わりぃ。ぜんっぜん話が見えないんだけどぉ?」


 羽里の言い知れぬ圧に押される形で、仕方なく羽月は今の状況を説明することにした。

 それから10分後、訳知り顔の彼女は呟いた。


「ふーん、なるほどなるほど?理解。とどのつまり、ハム子は家出がしたいと。」

「ハ、ハム子…ですか…」

「公子っていうんだろ?ハとムと子でハム子じゃん。」

「硝子、そのくらいに――」

「はじめはちょい黙ってて?」

「――わかったよ。」


 はじめの口をふさぐと、羽里は公子の全身を撫でるように見まわす。

 ちなみに彼女は今、Tシャツの上に薄手のパーカーを羽織っている。

 兄に殴られた痣を隠すためだが、羽里はそんなことお構いなしと公子の腕をつかむ。

 丁度痣の位置だったのか、公子は表情を歪ませた。

 それを確認すると、羽里は早々に手を放して元居た位置に座り直す。

 暫し空を見上げた後、彼女は呟いた。


「ハム子、ことと次第によっては助けてやらんこともない。」

「ほ、ほんとかっ!?」

「はじめ、ステーイ……」

「うっ、すまん。」

「ったく、がっつくなや。『ことと次第によっては』だよ。

 ハム子は今回逃げたとして、今後どーするか何か考えてんの?」

「それは――」


 公子が目を伏せると、羽里は鼻で笑う。


「言っとくけど、はじめに助けてもらおうってんなら、やめとけ。」

「別に、そういうつもりじゃ――」

「なら、真面目に考えろ。どうする?」


 静かに、しかし有無を言わさない声音で羽里は公子に答えを迫る。

 公子は暫し服の裾を強く握る。

 羽月は彼女の内心でどのような葛藤が行われているのか予想できなかった。

 やがて公子は裾を握る手を緩めると、ある種の覚悟のこもった瞳で口を開く。


「まだ、はっきりとしたことは言えないし、わかりません。

 けど――自立したいと、そう思います。」

「どうやって?」

「わかりません。でも、いつか必ず。」

「ナメてんの?」

「舐めては、いません。これが本心です。」


 数秒、羽里と公子の視線が交わる。やがて、羽里が口角を上げた。


「へぇ、王子様に抱かれたお姫様かと思ったら、なかなかどうして……

 いいよ、気に入った。」


 羽里は立ち上がると、二人に手招きをして歩き出す。


「ついてきな。案内するよ。」

「硝子、どこにいくんだよ。」

「私の家。ひと月ばっかし家族旅行で誰もいないからさ。」

「いいんですか!?」

「良いも悪いも、私が誘ってるんだ。文句ある?」


 羽月と公子は、羽里の背中を小走りに追うのだった――

  

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