【日々更新】おっさんとハムスターと冷ややっこ
@Nairiku_No_Umi
第1話 もし1日を一つの章とするならば
朝起きて欠伸をし、カーテンを開ける。
どんよりとした空にため息をつきつつ、賞味期限切れ間近の惣菜パンを水道水とともに喉に流し込む。
三十路が近づいてから多くなった気がする掛け声と共に腰を上げ、歯磨きをする。
きっと、こんな日々が毎日続くだろうし、特段大きな変化を求めているわけでもない。
そんな男が羽月一(29)だ。
もし、彼の1日を本の章で例えるならば、起承転結もなく、前章との違いは曜日と食事メニュー程度のものだ。
三十路という大台が二日後に迫った日も、昼前までは「前章」と同じであった。
強いて言えば、彼の勤めている会社の数少ない優良点である休暇取得のしやすさにかこつけて、羽月一が珍しくも午後休暇をとっていたことが異なる点か。
この午後休暇、羽月一が1ヶ月前から予定していたものであり、彼自身密かに楽しみにしていた。
昨今は名ばかりとなったプレミアムフライデーだが、三十路前に二十代最後を謳歌しようと思った彼には特別なものだ。
業務予定の調整に調整を重ねて産み出した午後休暇、羽月一は居酒屋に午後一から乗り込み、飲んべえを決め込むつもりだった。
だからこそ、退勤前に女上司が声をかけようとしたところにも気付かず、年甲斐もなくホップステップといった体で会社を飛び出していた。
社会の荒波に揉まれ、半ばため池の水にも似た彼の目にも、今日はいくらばかりか光が差している。
「砂肝、ぼんじり♪ねぎまにひややっこ♪熱燗キメて…」
普段より厚みを増している財布の重さを意識しつつ、柄にもなく小声で自作曲なんぞ歌う羽月一。
勿論、彼に音楽の才があるはずもなく、歌詞の奇っ怪さとも相まってすれ違う中には眉を潜める人もいる。
心ここに非ずな彼は気にも止めず、いつも通りに行きつけのチェーン店へ至る路地を曲がる。
もし、この時彼にいくらばかりかの冷静さがあり、いつも通りの注意深さがあれば、カーブミラーを見るくらいはしただろう。
若干の前傾姿勢で片足を差し出した羽月一上半身に重い衝撃が伝わる。
続けざまに鳩尾に鈍い痛みが走り、一瞬思考が停止する。
数瞬起き、彼が認識したのはアスファルト固さと尻の痛み、背の腹部に軽く残る鈍痛、そして重みだった。
何事かと意識を腹上へ向ければ目にはいるのは、茶色と白と黒。そして銀色の流れる河のような長髪。
この時、羽月一が少女に持った印象は「ハムスター」だった。
ひょこりと動物チックな小さな飾り耳のついたフードはまだらに白地に茶色の水玉模様があり、愛らしい。
それを着る幼さを残す顔立ちの少女は、磁器のように透き通った色合いの素肌に黒曜石を思わせる大きな瞳にすらりと伸びたまつ毛。
それを引き立てるようにふんわりと伸びた銀髪は運河を思わせる。
十人中十人が美少女と認めるであろう姿の惜しむべく点は、なんと言っても困り気に下げられた眉と正午の街中には似合わぬ格好だろう。
そんな状況であるから、思考が纏まらない羽月一に対し、少女のほうが早く動いた。
「あのっ! ハム蔵を知りませんか!!」
「……?」
もし、羽月一の1日を本の章に例えるならば、きっとこの日は起承転結の「起」になるのだろう。
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