第2話 それ以上に温かみがある
羽月一の頭が再度、停止する。
はて、ハム蔵とはなんぞや?と。
そんな彼に対して少女は必死の様相で、目尻にじんわりと浮かぶものまで出てきている。
(なんだか、面倒そうなのに絡まれたなぁ……)
内心、嘆息しつつ、仕事以外で女性に頼まれごとも昨今はされていないなと思うと同時に、羽月一は相手が変わった風体なれども美形の部類であることも相まり、先程まで自堕落に胃に酒を流し込むつもりだった思考を切り替える。
(とりあえず話ぐらい聞いてみるか……)
「えーと、おじさんに何か用かな?」
「い、いえ、その…やっぱり何でもないです…」
(え、何その反応。)
身構えた手前、相手側から拒否されるとなんだか肩透かしになってしまい、彼の心中で季節外れ外れの木枯らしが吹く。
次いで、「そもそもぶつかったなら謝るのが先では?」と自身が上の空だったことを横に置き、身勝手な苛立ちが湧いてくる。
大人として一言言うべきかと思った時分、彼はあることに気がついた。
(あれ、この子肩が震えてる)
羽月自身が怖いのかとも思ったが、見れば口とは裏腹に手はしっかりと彼の着崩れたYシャツを掴んでいた。
こうなると怒る気も失せてしまい、とりあえず少女を立たせてからかと考え直す。
手を貸して立たせて見れば、風変わりな格好ばかりに目が行きがちだが、彼にとっては思いの外背丈が小さく、中学生くらいのように思えた。
少女のほうも幾分か冷静さを取り戻したのか、両足を揃えて人形がするように頭を下げた。
「えっと、その…すいませんでした…ハム蔵が心配で、つい…」
「ああ、別に怪我もしてないから良いよ。それより、さっきから言っているハム蔵って何?」
数回、小さな口を開けては閉めた後、少女は眉を寄せて、泣き顔で一言一言紡いだ。
羽月一が少女から聞いた話としては、迷い子、迷い猫、迷い犬はあれども聞いたことのない迷いハムスターの話。
世の中に利口な動物はあれど、少女が言うハム蔵なるハムスターは人の頭に乗るだけでなく人語も理解する存在とのこと。
そんな存在であるから、頭に乗せて散歩をするのが日課だったが、今日は何故か途中で逃げ出したと。
つまるところ、交番の領分の話だった。
当然、少女を連れて交番に赴いた羽月だったが、赤子ほどの大きさもある犬猫ですら見つからないこともある昨今、拳大しかないハムスター探しに対する交番の対応は冷ややかで少女が羽月の衣服の裾を掴みながら震え上がる始末。
(せめて、見かけくらいしっかりしていてくれたらな……)
少女の見かけ以上の精神の幼さに溜め息をつきつつ、それでも探そうという気概に負けて少女と一緒に羽月は迷いハムスター探しを始めるのだった。
探しはじめて二時間がたった頃、彼女の家の近くだという公園で羽月と少女は二人で茂みを探す。
人語が分かるというから「ハム蔵ー!」と呼んでみたりはするものの、正直羽月には体感できないでいた。
それでも少女を信じて幾つ目かの茂みを漁っていると、ふと少女と目があった。
どうやら、少し前から羽月のことを見ていたらしい。
「どうかした?」
「いえ、どうして羽月さんはこんなにしてくれるのかなって…」
二時間も経てば互いの名前くらいは知る仲になっている。
羽月は少女こと、鳩麦公子の疑問の答えについて暫し思案する。
やがて顔を隠すように茂みを探しながら、羽月は答えた。
「俺、小さな頃ツチノ見たことあったんだ」
「ツ、ツチノコですか!?」
鳩麦の風鈴のような声で、驚愕が返ってくる。
羽月は小さく笑うと、話を続けた。
「結果から言うと、ツチノコじゃなくてでっかいカエルを飲み込んだ蛇だったんだ。
だけどさ、その時本当に俺はツチノコを見たと思ってた。でもツチノコを見たんだ!って大人に伝えた時、誰も信じてくれなくてさ。」
茂みを掻き分ける音だけが、二人の間に響き渡る。
先に言葉を発したのは、鳩麦のほうだった。
「えっと、だから、ですか?」
「子供が聞いてほしいときに耳を貸すのが、大人だと思ってるから。」
「なんだか、少し羽月さんのことわかった気がします。」
「こんなおっさんのこと、分かるにはまだ早いよ。」
「そうですか?私は――」
「鳩麦さん、疲れたろ?軽く休憩しよう。」
林を挟んで向かい側の屋台を指差し、羽月は微笑んだ。
彼の瞳は何処か疲れているけれど、それ以上に温かみがあるように鳩麦には思えた。
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