第10話 少女、羽里硝子は呟くのだった
鳩麦と別れた後、羽月がスマホを見ると二十時半を過ぎていた。
今夜もおかずはない。
仕方なく彼はコンビニへと向かう。
道中、ふと数日前のコンビニの出来事がフラッシュバックした。
(まあ、きっと気のせいさ)
コンビニに着き、羽月はいつものように総菜エリアに向かう。
歩く彼の目には店内の情景が映り込む。
雑誌エリアでコミックスの新刊を探す中学男子。
その横で音楽をかけながら立ち読みする大学生。
お菓子エリアで母親にお菓子をねだる子供。
この前と少しだけ違う情景だが、唯一同じことがあった。
バックヤードに入っていく店員――
反射的に、羽月がサンドウィッチの棚に目を移すと、そこには先日と同じ異様にダボ着いた真新しい黒のフードパーカーを着た少女がいた。
先日と違い、素早く周囲を確認してから棚へと手を伸ばす。
平静を装っているが、指先は細かく震えていた。
そして、震える指先でサンドウィッチを摘まみ、パーカーの中へと押し込む。
そのままレジを通らずに出口へと向かう。
羽月は視線で追いながらも、もう一人の自分がつぶやく。
「仮に止めたとして、それでどうするんだ」と「さして立派でもない自分が子供相手に説教でも垂れるつもりか」と。
そんな声の最後に、風鈴の声音が告げる「差し出した手の温もりは相手の心に届きますよ」と。
だから、羽月は――
「ねぇ、キミ、何か忘れてない?」
一瞬、世界が静止したかのようになる。
しかし、退店しようとする少女に反応した自動ドアの音は確かにしていて――
そして、時間が動き出した。
パーカーを翻して走り出す少女。
事態を察した店員の「万引きだぁ!」という声が木霊する。
読書中の大学生と目当てのコミックスを見つけたらしい男児がポカンとした顔をする。
最後に、店員の声に驚いた子供の泣き声。
それらの情景を置き去りに、少女は嘘のような速さで走り出す。
気づけば羽月自身もそれを追っていた。
少女はこの辺りの地理に詳しいのか、路地から路地に、時に地下道なども通って逃走する。
三十路も近づいた羽月は必死に追うが彼女のスタミナに置いて行かれそうになった。
一緒に追っていたのか、後方から聞こえていた店員の声はいつからか羽月の耳には届かなくなった。
そして15分後――
意図せずに彼が少女の背中に追いついたのはここ数日、カラスがやけに多かった通勤路横のゴミ捨て場だった。
肩で息をする少女と羽月。
少女はパーカーからぐちゃぐちゃに潰れたサンドウィッチを取り出すと、包装のままゴミ捨て場に叩きつける。
「迷惑なんだよッ!おっさんッ!!」
「なん…で、逃げるんだっ…」
半ば死に体の羽月に対し、少女はまだ余裕がある。
チラつく街頭に照らされたゴミ捨て場で、彼女は眉を吊り上げ声を荒げた。
「私に興味なんかない癖にッ!赤の他人のくせにッ!私の、私の小さな抵抗ですら邪魔をするのかよッ!!」
半ば、支離滅裂なことを彼女は濁流のように羽月に浴びせ続ける。
やがて、声が枯れ果てようかという時、彼女は糸が切れた人形のようにゴミ捨て場に座り込む。
「頼むからッ!頼むからさ…… このまま、腐らせてくれよ――」
大粒の涙を流しながら、烏色のパーカーを抱きしめ、少女、羽里硝子は呟くのだった。
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